woの先行詞は「南部」か?

資本論第2部第3編「社会的総資本の再生産と流通」、第20章「単純再生産」、第12節「貨幣材料の再生産」の最後のあたりで、奴隷制度の話が出てくるところに、次のような文章が登場する。

……アメリカ合衆国においてさえ、北部の賃労働諸州と南部の奴隷諸州とのあいだの中間地帯が南部のための奴隷飼育地帯に転化した──したがって南部では奴隷市場に投じられる奴隷そのものが年々の再生産の一要素となった──あとでも、かなり長いあいだそれだけでは不足で、なお可能な限りの長期間にわたってアフリカとの奴隷貿易が市場を満たすために営まれ続けた。(新日本新書版、第7分冊、770ページ。MEW S.475)

大月書店の岡崎訳も岩波文庫の向坂訳も、基本的に同じ翻訳になっている。しかし、この翻訳で前から疑問だったのは、一方では、「中間地帯」(中間諸州)で南部諸州のために奴隷が「飼育」されたと書きながら、他方で南部で奴隷が「年々の再生産の一要素となった」と書かれていることだ。奴隷を「飼育」したのが「中間地帯」なら、南部では奴隷は「年々の再生産の一要素」にはなっていないし、南部で奴隷が「年々の再生産の一要素」になっていたのであれば、中間諸州で奴隷を「飼育」する必要はない。

だから、本当にマルクスが、中間諸州が奴隷「飼育」地帯となったのに、南部で奴隷が再生産されるようになったと書いているとしたら、マルクスは随分と筋の通らないことを言っているなあと思って、それがずっとモヤモヤしていた。

しかし、高畠訳を読んでみたら、ここは次のように訳されていた。

……北方の賃銀労働諸州と南方の奴隷諸州との中間地帯が、南方に対する奴隷養成地帯に転化せられ、斯くして奴隷市場に投入せられた奴隷そのものが年再生産の一要素たる至ってからのアメリカ合衆国に於いてすら、斯かる方法を以つてしては長期間の需要を充たすに足らず、その後も尚、出来得る限り久しい間、市場の充実を目的としてアフリカとの奴隷貿易が維持されてゐたのである。(改造社版、第3分冊、439ページ)

ここでは、中間地帯が「南部のための奴隷飼育地帯に転化した」ことで、アメリカ合衆国において「奴隷そのものが年々の再生産の一要素」になったという翻訳になっている。南部は奴隷を使うばかりで、中間諸州で奴隷が「飼育」されるようになって、はじめてアメリカ合衆国全体として、奴隷が「年々の再生産の一要素」になったというわけだ。これなら筋が通る。

そこで、ドイツ語を確かめてみた。Vereinigten StaateというのがUnited Statesのドイツ語表記。

Selbst in den Vereinigten Staaten, nachdem das Zwischengebiet zwischen den Lohnarbeitsstaaten des Nordens und den Sklavenstaaten des Südens sich in ein Sklavenzuchtgebiet für den Süden verwandelt, wo also der auf den Sklavenmarkt geworfne Sklave selbst ein Element der jährlichen Reproduktion geworden, genügte das für längre Zeit nicht, sondern wurde noch möglichst lange afrikanischer Sklaven- handel zur Füllung des Markts fortgetrieben.

要するに問題は、下線を引いた wo の先行詞をなんと読むか、ということだ。新日本訳や岡崎訳、向坂訳は直前に出てくるden Süden(南部)を指すと読んでいるが、高畠訳ではこれを冒頭のden Vereinigten Staatenを指すものと読んだわけだ。途中のnachdem以下、verwandeltまでは挿入部分だから、woはそれを飛び越えてden Vereinigten Staatenを受けているというのは、まっとうな解釈だろう。

マルクスはここで、アメリカ合衆国における奴隷貿易を論じているのだから、その点からみても、woの先行詞を「アメリカ合衆国」と読むことは納得がいく。北部=賃労働諸州、南部=奴隷州、中間諸州=「奴隷飼育地帯」というのはそのアメリカ合衆国の内部的な区分であって、奴隷が「年々の再生産の一要素」になったかどうかというのは、あくまでアメリカ合衆国全体について言われることである。

したがって、高畠訳のように解釈するのが正しく、向坂訳、岡崎訳、新日本版の訳は不正確ということになるだろう。

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