ロシア革命100周年について

ロシア革命100周年の某記事についてつぶやきました。

  • ロシア革命では革命派も反革命派も武力によって争った。外国軍の干渉戦争もあった。その中で革命派によって行われたことの中には、今日我々から見て、肯定できないことが多々ある。我々は、あらゆる改革を1つずつ国民の多数の支持を得ながら進めていく。ロシア革命の否定的経験は絶対に繰り返さない posted at 12:27:30
  • レーニン時代の「試行錯誤」と言われているのは、革命が強力的形態をとったことにともなう否定的経験のことではない。否定的経験は絶対に繰り返してはならないこととして明確に否定されなければならない。そうしたことを除外しても、なおそのまま評価できない問題もいろいろある。それが「試行錯誤」 posted at 12:35:30
  • ロシア革命の否定的経験は絶対に繰り返してはならないという評価は、日本の社会変革の将来にたいする責任であると同時に、ロシア革命にたいする見方としても「革命政権を守るためにはやむをえなかった」というような見方を取らないという意味 posted at 13:13:04
  • そういう言い方をすると、ではソビエト政権はどうすればよかったのか?という議論になるが、それは遠く離れた我々には無理な話。今後新しい資料が出てくる可能性もある。それでも日本の将来の展望としては、そうしたことの繰り返しは絶対に許されない。そのことをはっきりさせることが大事。 posted at 13:17:53
  • 「そのまま評価できない」というのは、1つには当時のロシアの置かれた社会的経済的諸条件に規定されて、発達した資本主義国での社会変革の展望として普遍性を持ちえないという問題であり、もう1つには、マルクスの理論・展望に照らして普遍的なものとは認められないという問題がある posted at 13:24:49
  • あの記事の拙いところは、レーニンの時代にはいろいろいいことをやったで終わっていること。だから、当然「レーニンの時代には何も問題がなかったと言うのか?」という疑問が出てくる。そこにきちんと論及しないと、いまの時代にロシア革命を論じる意味が問われる。掘り下げ不足といわざるを得ない posted at 22:00:23
  • すでに、内戦期に、レーニンの指示で見せしめ的な大量処刑が行われたことは明らかになっている。そうした事実に対しては、はっきりと間違いだと言わなくてはならない。もちろん、内戦期のあらゆる出来事について、どういう事情でどのような事態に立ち至ったのか、我々がつまびらかにすることはできない posted at 22:04:23
  • しかし、そういうことは「試行錯誤」で片付けられることではないし、綱領が「試行錯誤」と言っているのはそういう問題ではない。我々は、そうした事件を是としないし、「革命政権を守るためにはやむを得なかった」とか「反革命派だって同じようなことをやっていた」という理由で容認したりはしない posted at 22:06:59
  • いまロシア革命100年を振り返るとすれば、やぱりその点を明確にしないと、都合の悪いことから逃げたと思われるだけ。もちろん、社会主義を目指す道から、決定的に変質して転落させたのはスターリンだが、レーニン時代の誤りについてもきちんとものを言っておかなければならないはずだ posted at 22:10:57
  • スターリン時代の変質についても、日本共産党は詳細に解明してきている。いまロシア革命について語るのであれば、その意義とともに、変質の過程やその内容についてももっと分量を割いて語らなければならない。そのあたりも通り一遍で、ロシア革命について色々思う人の心の機微にはとても触れられない posted at 22:16:03
  • 後半の「日本における未来社会の展望」についていえば、いますぐ社会主義・共産主義を目指すのではなく、当面する国民的課題を一つずつ、多数の支持にもとづいて解決するという多数者革命と社会の段階的発展という考え方に触れていないのも、掘り下げ不足というかもに足りなさを感じる posted at 22:21:22
  • 総選挙で不破さんが街頭演説したが、その目玉の一つは、綱領の多数者革命と社会の段階的発展の考え方を説明したくだり。だから、将来の展望が違っても、日本共産党は当面する課題で他の党とも協力してブレずに頑張れるんだという話につながる。そこが、いま一番語るべきポイントではないか posted at 22:24:40
  • 日本共産党は、1961年に綱領を採択して、当面する革命は資本主義の枠内で真の独立と政治・経済・社会の徹底的な民主主義的変革を達成する新しい民主主義革命であることを明らかにした。しかし同時に、当時の綱領には、そうした 民主主義革命が日本における社会主義への道を切り開くとか、社会主義 posted at 22:35:13
  • 革命に連続的に発展する必然性を持つとか、そういう規定を含んでいた。2004年に改定された現在の綱領では、こうした規定はすべて削除されている。当面する革命の性格を明らかにした第4章には、社会主義革命に進む必然性とか可能性とか、そうしたことにはまったく触れていない。社会主義・共産主義 posted at 22:40:12
  • の展望を明らかにした第5章でも、「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる」と述べて、社会主義・共産主義への前進というのは科学的社会主義の立場にたつ日本共産党の展望として述べられているだけで、 posted at 22:42:58
  • その道に実際に踏み出すかどうかは「国民多数の合意の形成」による、それも社会主義に進むという一回だけの多数ではなく、一歩一歩の段階ごとに国民多数の支持にもとづいて前進することが明記されている。だから、民主主義的変革で共産党と一緒にやっていたら、いつのまにか社会主義にすすむことに posted at 22:47:54
  • なっていたというような心配はご無用なのである。その意味で、日本共産党は「二段階連続革命」ではない。そこもきちんと訴える必要があると思う posted at 22:49:24
  • あと、たとえば一党制の問題も触れてないし。これも、すでに答えは明らかにされているけど、いまどき風にどう答えたらいいか、よく考えないといけないテーマ。「これこれの事情で一党制になった」という経過の説明だけでは、聞いている人には一党制を弁護しているように聞こえるからねえ。 posted at 23:24:34
  • ロシア革命論としては、十月革命の性格づけの問題がある。二月革命で皇帝勢力は打倒された。レーニンは四月テーゼでケレンスキー内閣の不支持、ソビエトが権力を握ることを提起したが、目指す革命は民主主義革命だった。しかし、二月革命後も戦争は続いた。ブルジョアジーは革命後も戦争継続を望み、 posted at 23:37:09
  • 革命派の中にも戦争継続派が生まれた。そういう時に、レーニンは戦争を終わらせるためにはブルジョアジーの権力を打倒する社会主義革命が必要であると主張した。これは革命家レーニンならではの卓見だったが、しかし「パンと平和」を求めてボリシェヴィキを支持した民衆の要求と社会主義革命の間には posted at 23:40:00
  • 一種の「ズレ」が生じることとなった。ここに十月革命の複雑さがあったわけで、それにどう答えるか?という難しい課題を、ソビエト政権は背負わされた。これをどう考えたらよいか?というテーマは、何年も前に不破さんが『レーニンと「資本論」』の中で提起したこと posted at 23:43:02

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