琉球新報で連載「一次資料から見る日米安保改定50年」

アメリカ公文書館で公開された資料を丹念に調べて、「核密約」などの証拠を発掘されている新原昭治さんが、「琉球新報」で「一次資料から見る日米安保改定50年」という連載をされています。

人から教えてもらって、ようやくコピーを手に入れましたが、「一次資料から見る」とあるように、東京のアメリカ在日大使館とアメリカ本国の国務省、国防総省などとのあいだで交わされた外交電報(これも、新原さんが調べて見つけたもの)にもとづいて、日米安保条約の実態がどんなものだったかを、分かりやすく紹介しています。

連載開始は、今年2月2日。毎週火曜日に掲載されて(ぬけた週もあります)、これまでに連載14回を数えています。

残念ながら、「琉球新報」のサイトでは、この記事は公表されていません。本土ではめったに見る機会はないかもしれませんが、参考までに各回の見出しを紹介しておきます。

「琉球新報」連載「一次資料から見る日米安保改定50年」

  1. 伊達判決とマッカーサー大使の秘かな干渉(上):「左翼勢力を益する」 最高裁への「跳躍上告」要求(2月2日)
  2. 伊達判決とマッカーサー大使の秘かな干渉(下):米政府が弾圧けしかけ 「デモに対抗措置望ましい」(2月9日)
  3. 米側キーパーソンのマッカーサー2世:「集団自衛権」を提言 反安保闘争が全国拡大(2月16日)
  4. 沖縄の地殻変動と米軍政崩壊の始まり(1):瀬長市長追放に怒り 「植民地主義」内外から非難(2月23日)
  5. 沖縄の地殻変動と米軍政崩壊の始まり(2):従来方針通用せず 軍政の延命図り弥縫策(3月2日)
  6. 沖縄の地殻変動と米軍政崩壊の始まり(3):屋良当選が決定打 返還引き延ばし困難に(3月9日)
  7. 米軍用地強制接収――何が背景にあったか:核投下訓練へ準備 伊江島で軍用地強制接収(3月16日)
  8. 日米安保条約と米軍の基地権:寛大な軍事特権 占領直後の行政協定が源(4月6日)
  9. ベトナム戦争・嘉手納基地からのB52出撃(上):ケサン戦に総動員 反対世論に憤る国務長官(4月13日)
  10. ベトナム戦争・嘉手納基地からのB52出撃(下):グアムより安上がり 爆撃続行、軍が政府に勧告(4月27日)
  11. ベトナム戦争・洗浄直結の補給基地と反戦運動:戦車輸送、横浜で阻止 別ルートも核問題で頓挫(5月4日)
  12. ベトナム戦争・日本拠点に暗躍した米謀略部隊:親慶原にCIA基地 物資調達や運動家監禁も(5月18日)
  13. 核沖縄持ち込みと日本の態度:外相、非公表を提言 政府の責任回避狙う(5月25日)
  14. 復帰後の沖縄と核兵器のナゾ:模擬核訓練を容認 米意向で政府方針転換(6月1日)

ちょっとだけ付け加えると、「伊達判決」というのは、東京都立川市砂川町の米軍基地拡張反対運動で、強制測量に反対した学生や労働者が当時の行政協定(現在の基地協定)に基づく「刑事特別法」違反に問われた事件で、東京地裁の伊達秋雄裁判長が1959年3月に下した判決。「米軍駐留は憲法違反」として、被告全員に無罪を言い渡しました。

「瀬長市長追放」というのは、米軍政下の1956年12月、那覇市長選挙で、沖縄人民党の瀬長亀次郎氏が当選したのにたいして、米軍政当局が強権を発動して、翌57年11月に市長から追放した事件。瀬長氏は、その後、1970年の沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選し、1990年に引退するまで7期連続当選を果たしました。また、1973年に沖縄人民党が日本共産党に合流して、瀬長氏は日本共産党副委員長も務めました。

「屋良当選」は、当時、米軍の全面占領下にあった沖縄で、1968年に初めておこなわれた琉球政府主席の公選で、「即時無条件全面返還」をかかげる革新統一候補の屋良朝苗氏が当選したことを指します。

ということで、「琉球新報」を見ることができる方は、ぜひ一度ご覧ください。

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