『価値、価格および利潤』の前書き

Karl Marx "Value, Price and Profit", George Allen & Unwin Ltd., London, 1941

『賃金、価格および利潤』(英語版の書名はValue, Price and Profit)が発行されたとき、編者による前書きがつけられたのですが、いろいろな邦訳をみても、これまでその前書きを読んだことはありません。

ということで、またもや海外のネット古書店で、英語版の手に入れてみました。

ただし、僕が手に入れたのは、London, George Allen & Unwin Ltd.の、1899年初版発行の第7版(1941年)なので、これが初めての英語版(Swan Sonnenschein & Co., Lit.、1898)と同じなのかどうか、分かりません。

ということで、前書きの邦訳です。エレノア・マルクスの前書きかと思ったら、夫エドワード・エーヴェリングのものでした。

前書き

 この原稿が読み上げられた状況は、著作の冒頭に書かれている。原稿は、マルクスの存命中には出版されなかった。それは、マルクスの遺稿のなかから、エンゲルスの死後に、見つかった。
 マルクスの他の多くの特徴のなかで、この原稿は、とりわけ2つのことを示している。彼のアイデアの意味するところをできの悪い生徒に平易に説明する彼の忍耐強い意志と、これらのアイデアの非凡きわまりない明晰さである。
 ある意味では、この冊子は『資本論』第1巻の要約である。われわれのなかの誰であれ、同巻を分析し簡略化しようとしたとしても、おそらくこれほど成功はしないだろう。実際、気の利いた友人と解説者は、いま必要なのは、マルクスについてのわれわれの解説ではなくマルクスによる解説である、と言ってきた。
 私はしばしば質問される。生徒たちに社会主義の基本原理を理解させるのにもっとも適した一連の著作は何か、と。この質問は、答えるのが難しい質問の1つだ。しかし、こう言ってよければ、まず、エンゲルスの『空想から科学へ』、次に本書、『資本論』第1巻、それにStudent’s Marxといえるかも知れない。
 この著作を準備するなかで私が果たした小さな役割は、草稿を読んだこと、表現を英語ふうにするために若干の提案をおこなったこと、この著作をいくつかの章に分け、章に名前をつけたこと、そして印刷のために校正したことである。この著作の、そのほかのすべての部分、そしてもっとも重要な部分は、彼女によっておこなわれた。その名前は、表紙に書かれている。
 本書はすでにドイツ語に翻訳されている。

エドワード・エーヴェリング

しかし、あえて邦訳する意味はなかったですねぇ…。(^_^;)

ただ、従来の解説などでは、第1章から第6章まで章のタイトルをつけたのは、エレノア・マルクスだとされているのですが、エーヴェリングの説明だと彼がつけたことになってます。どんなもんでしょ? ((新日本出版社の古典選書シリーズ『賃労働と資本/賃金、価格および利潤』の解説(服部文男氏)には、次のように指摘されています。「公刊の準備には、エリナの夫エドワード・エイヴリングも協力した。エイヴリングによる「序文」には、『章に分けて表題を付けた』のは自分であると記されているが、マルクス自身が表題を記さなかった第1章から第6章までの表題を付けたということであろう」と指摘されています。))

それにしても、Student’s Marx って何?

【追記】
インターネットを検索したところでは、Student’s Marx というのは、エドワード・エーヴェリングが書いたThe Student’s Marx: An Introduction to the study of Karl Marx’s ‘Capital’という、180ページの入門書のようです。1892年初版? 出版社はSwan Sonnenschein & Co., London のようです。目次は以下のように、資本論の篇別のとおりです。

1 Commodities and Money
2 The Transformation of Money
3 The Production of Absolute Surplus-Value
4 Production of Relative Surplus-Value
5 The Production of Absolute and of Relative Surplus-Value
6 Wages
7 The Accumulation of Capital
8 The So-Called Primitive Accumulation

【さらに追記】
ところで、「賃金、価格および利潤」の原稿は、新MEGA第2部門(「『資本論』および準備諸労作」)の第4巻第1分冊と、第1部門(「諸著作、論説、草案」)の第20巻との2冊に、収められています。で、不思議なのは、このどちらでも、現在の第5章の分かれ目を示す「5)」の記載がないこと。「4)」から「6)」へ飛んでいるのです。これについては、どなたかが草稿の写真を示して論文を書かれていましたが、草稿には5)という書き込みがあるものの、ほかは行間をあけて書かれているのに対して、5)だけは行間があいていない、ということだったと記憶しています。5)の筆跡がマルクスのものだったかどうかは記憶してないのですが、マルクスが、うっかり5)を飛ばしてしまって、あとでマルクス自身が5)と書き加えた、あるいは、エレノアもしくはエーヴェリングが草稿を整理して発行するさいに書き加えた、ということでしょう。う〜む、だれの論文でしたっけねぇ、思い出せません……。

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