共産党大阪府委員会のアピールを読んで

29日、共産党の大阪府委員会が発表した、橋下・「維新の会」に「ノー」のアピール。府知事選・市長選を前にしたアピールかと思いきや、さにあらず。

橋下・「維新の会」によるファッショ的な独裁政治に「ノー」の審判を下すため、府民の広大な共同を/10月29日 日本共産党大阪府委員会:しんぶん赤旗

読んでみて、僕なりに「なるほど」と思ったのは、この部分。

閉塞感が広がっているだけに、大阪に独裁政治が誕生するなら、それを拠点として、いまの政治状況を反動的に打開しようとする衝動が強まる危険もあります。まさに、大阪におけるこのたたかいは、日本の現在と行く末もかかった全国的にきわめて重大な意味をもっています。

アピールの見出しに「ファッショ」の文字があるのは故なきものに非ずということだろう。

アピールでは、「『大阪は独裁・橋下知事に屈しない』などの声が広がり、知事選挙・大阪市長選挙の様相を変えつつあります」とも指摘されている。すでに2チャンネルなどで大きく取り上げられているが、先週土曜日の「東京新聞」夕刊には、歌手の杉良太郎さんが「私の市長選」と題して、こんな文章を書かれていた。

【紙つぶて】私の市長選・杉良太郎

[東京新聞 2011年10月29日夕刊]

 私は2度、市長選に出馬しようかと考えたことがある。1回目はハワイ州ホノルルであった。 1988年、私はホノルル市の名誉市長の称号を頂いていた。
 ある日、ホノルルの税関を通るとき、職員が私を別室へ連れて行き、身体検査をした。名誉市長のIDカードを見せたが、職員はそのカードを指で挟んで捨てた。 「名誉市長」は上下両院の議決で、全議員が起立賛成して任命されたものだ。 世界にたった1人の大変名誉なポストにもかかわらず、この職員は大変横暴な処置をした。
 私は早速、当時の市長と面会、このことを話すと市長は顔色を失い、税関のトップに電話をして「今から謝りに来い」と興奮して抗議した。市長は「スギ、これで収めてくれ。もう一度私にチャンスをくれ」と言う。「ダメだ。あの職員の態度は日本人に対しての差別とも感じたし、私以外にもこんな扱いをしていると思われる。そこで私は決心した。この次のホノルル市長選に出る」。そう告げると、市長は涙目になり、「それだけはやめてくれ」と手を合わせた。その後、米国務省からわび状が届いたため、市長選出馬はあきらめた。
 2度目は大阪市、当時の西尾正也市長に「この次は私が出る」と言ったら、私のパーティーに西尾さんが出席して
「市長選に出るのだけはやめてほしい」と、祈りとも思えるようなあいさつをした。西尾さんは別格良い人だった。今、大阪を“めちゃくちゃ”にしようとしている人が現れた。私の心はグラグラしている。(法務省特別矯正官、歌手・俳優)

大阪の自民党も民主党も、「勝てる候補」探しに汲々としている。しかし、大阪を「めちゃくちゃ」にし、さらに日本全体も「めちゃくちゃ」にするかも知れない人物を阻止するために、党派的な利害やあれこれの行きがかりは棚上げして、府民も市民も、そしてそれを見守る全国の有権者からもすっきるする結果をだしてほしい。

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