本日の日本経済新聞「大機小機」は「土地保有株式会社のススメ」。
「思考実験」と断りつつ、「地区や町などの単位で、土地所有者が土地を現物出資して株式会社を設立する」という「土地保有会社構想」を取り上げている。株式会社が個々に土地を買い取るのではなく、町単位で、すべての土地所有者が土地を出し合って、丸ごと株式会社所有にするというところがミソ。
はたしてそんなに上手くいくのか、などという議論は不要。あくまで「思考実験」なのだから。それでも、本来は公共財であるはずの土地を共有財産化することによって、公共財本来のあるべき姿に近づけようという発想はよく分かる。
【大機小機】土地保有株式会社のススメ
[日本経済新聞 2012年1月24日付朝刊]
新年早々に東日本大震災の被災地を訪ねた。釜石市は中心市街地にも津波の爪痕が残るものの、仮設住宅や店舗で生活の再建が始まっていた。隣接する大槌町に足を踏み入れると、人々の生活の痕跡として住宅の基礎部分だけが広がる光景に言葉を失った。
職の確保と並んで、生活の基盤となる住宅(土地)を、私有財産として再建することの困難を思わざるを得ない。しかし、常識にとらわれず、土地の呪縛を解き放つことで可能性が大きく開けるのではないか。思考実験として、株式会社制度を活用した土地保有会社構想を考えてみる。
例えば、地区や町などの単位で、土地所有者が土地を現物出資して株式会社を設立する。個人や法人の土地は土地保有会社の資産となり、地権者は個別具体的な土地の所有者から会社の抽象的な持ち分(株式)の所有者になる。
そうすれば、土地にまつわる煩雑な権利調整が減り、市街地の再開発や、道路・上下水道などの生活インフラ、さらには学校、医療・介護施設などの整備が容易になる。
株主が会社から土地を借りて住宅や店舗を建ててもいいが、会社が建てた集合住宅や商業施設を借りてもよい。後者の場合、自治体などの公的支援や金融機関の融資を受けやすくなるだろう。借り手は株主以外に開放してもよい。自治体との協力や行政と会社の役割分担は、自治とは何かを学ぶ格好の教材になる。
私有財産化した土地を共有財産化して、公共財の本来の姿に近づける試みは被災地の復興に有効なだけではない。少子高齢化社会に向け、無秩序に広がる市街地の住宅や各種施設を集約し、公共サービスを効率化する、持続可能な街づくりにも応用できる。
社会的市場経済の国ドイツが不動産バブルにまみれなかったのは、土地を完全な私有財産とは見なさない都市計画の共同体的規制や、地方政府の助成の下で公社や民間が良質な賃貸住宅を供給した社会住宅制度の伝統なのだろう。日本は米欧に先行したバブル崩壊で地価の調整は進んだとはいえ、土地利用の構造的問題は手付かずだ。先達の知恵に学ぶ点は少なくない。
土地保有会社は会社の運営(ガバナンス)を通じて自治に目覚めた住民(株主)が、利害関係を共有する者として共同体意識と地域社会の絆を強め、連帯と自立のコミュニティー再生の契機にもなるのではないか。(渾沌)
マルクスは、「剰余価値にかんする諸学説」のなかで、土地の国有化は資本主義的生産の枠内でも可能なブルジョア的改革であると指摘している(たとえば『資本論草稿集』第6分冊、48〜49ページ参照)。
どうしてブルジョア的な土地国有化論が生まれてくるのかというと、国有化されれば絶対地代が消滅するから。それにならって考えれば、コラム子のいう「土地にまつわる煩雑な権利調整」が絶対地代に当たるのかも知れない。実際、「土地保有株式会社」ができたとしても、土地の利用者(借主)は土地の用益の一部を株式会社に地代として支払い、それらは株主への配当という形で分配されるだろう。その場合、立地の違いによって、同じ面積の土地でも利用者が支払う地代には高い低いがあるはず。つまり「差額地代」は残るわけだ。そう考えると、まさにこの土地保有株式会社は、マルクスのいう「絶対地代」を消滅させる土地国有化の地方版と言えるのではないだろうか。