大瀧雅之『平成不況の本質』(岩波新書)。読み終わったけれど、感想を書いてなかったので、あらためて。
結論から言えば、本書はマルクス経済学とはまったく異なる立場からのものだけれども、「公正な所得配分」を実現することこそが、実は「経済効率の上昇の礎」となるという立場から、小泉首相以来の「構造改革」を真正面から批判したもの。
だから、「構造改革」路線、「格差と貧困」の拡大に反対だと思っている人はもちろん、「そうはいっても、企業が儲からなかったら、どうしようもないのだから、規制緩和・構造改革は仕方ない」と思っている人にも、ぜひ一度読んでもらいたい。
大瀧氏は、「はじめに」で、まず次の表を掲げている(5ページ)。
1986-1990年 バブル期 |
1991-2000年 失われた10年 |
2001-2009年 構造改革期 |
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名目国民所得の平均額(年額) | 約300兆円 | 約370兆円 | 約362兆円 |
名目企業所得の平均額(年額) | 約67兆円 | 約72兆円 | 約88兆円 |
名目雇用者所得の平均額(年額) | 約199兆円 | 約266兆円 | 約261兆円 |
つまり、この10年間では、企業所得が平均で年額約16兆円も増えたのにたいして、雇用者所得は同じく年額約5兆円も減っている。これでは、企業業績が上向いても、「実感なき景気回復」と言われるのは当然だ。
大瀧氏は、個人というのは社会的な存在であって、経済学の初等教科書に書かれているような「万能型個人」ではない、ということを強調する。職業の多様性(社会的分業)に見られるようなネットワークに支えられた存在だというわけだ。だから、このネットワークの内部にいる個人は、他のメンバーと同等の経済的権利があるということになる。それが「公正な所得配分」。
しかし、これは平等な所得という意味ではない。著者は、社会には「これ以下の報酬ではとても暮らしてはいけない」という最低水準の報酬(「留保賃金」)というものがあって、社会の成員のうちどれほど多くが保留賃金を上回る所得を得ているかどうか、によって測ることができると指摘する(14〜15ページ)。
「留保賃金」以下という場合、究極は失業。だから、大瀧氏は、失業をいかに減らすかということを重視するし、賃金の下落を問題視する。
たとえば、19ページでは、日本の労働人口は約6500万人、そのうち330万人ほどは失業者。これを著者は「330万人と言えば、大阪市の人口を大きく上回り、横浜市の人口とほぼ同じ失業者数であることを、是非知っていただきたい。それほど現在の日本の失業問題は深刻なのである」と強調する。また、「80・90年代は雇用者所得が上昇するなか、失業率が高まっ」たが、それは「労働所得を主たる糧としている家計の中で著しい所得分配の不平等が進行した」ことを意味するとして、「誠に深刻な問題」と述べる(20ページ)、等々。
さらに、「失業率の上昇を不況と捉えるなら、日本は70年代中盤からの安定成長期以降、30年近くずっと不況なのである」(30年以上ではないかと思うのだが)とも(20ページ)。にもかかわらず、21世紀に入って「構造改革」という「反社会的な政策の束が実施される」結果、「日本経済に埋め込まれていた多様な安定機能・緩衝材が機能不全に陥ったりあるいは破壊されたりすることで、失業は極めて深刻化している」(21ページ)。
さて、本書のユニークなところは、デフレ論。多くの論者が、デフレ=不況、あるいはデフレ→不況ととらえるのに対して、著者は、不況とデフレを区別する。不況は「国民経済の活動が滞り、賃金が低下したり失業が増えたりすること」だが、デフレは「物価が継続的に低下する現象」だとする(18ページ)。
これは、1つには、いわゆる「リフレ」論にたいする批判という意味があると思う。
(まだまだ続く)
GAKUさん。こんにちは。
オガちゃんです。ご無沙汰しています
僕の頭は、宮崎義一『複合不況』中公新書で止まってしまっているのですが^^;、大滝さんの本と対称しながら読むと切り口の違いから新しい発見があるのかも知れませんね。大瀧雅之『平成不況の本質』(岩波新書)、早速読んでみましょう。