下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書、2004年)とか松原隆一郎『分断される経済』(NHKブックス、2005年12月)とか、年末年始に読み終えたまま感想を書き込めないでいる本がいろいろ溜まってしまいました。
それらは順番に、ということで、まずは、大嶽秀夫『再軍備とナショナリズム――戦後日本の防衛観』から。もとは1988年に中公新書『再軍備とナショナリズム――保守、リベラル、社会民主主義者の防衛観』として刊行されたものですが、昨年12月に、サブタイトルだけ変更して、講談社学術文庫から再刊されました。テーマは、朝鮮戦争の時期における日本の再軍備をめぐる議論。警察予備隊から保安隊にいたる時期の吉田茂首相(保守派)、芦田均・石橋湛山・鳩山一郎ら(「リベラル」)、それに日本社会党の防衛論議を検討しています。
で、著者の基本的な立場は、第1章「二つの再軍備――西ドイツと日本」によく示されています。
すなわち、日本と同じ第2次世界大戦の敗戦国である西ドイツでは、再軍備が問題となったとき、CDU(キリスト教民主同盟)のアデナウアー首相が、独立の達成と西ドイツの西ヨーロッパへの統合のために再軍備は避けることのできない道であると考え、そのために戦前の軍国主義とは一線を画したこと、また野党のSDP(社会民主党)も非武装平和主義を排して、シビリアン・コントロールの法制化を実現するために現実的な道を選択したことによって、超党派的な安全保障の枠組みが出来上がり、そのもとで再軍備が進められたが、それにたいし、日本では、吉田首相が復古的な考え方を捨てず、他方で社会党が非武装路線を選択したため、今日まで、憲法9条の解釈や自衛隊をめぐって神学論争的な対立が続き、そのかげで、シビリアン・コントロールなどが曖昧にされた、というものです。
第2章以下では、そういう角度から、吉田内閣(これが保守派)、芦田均、石橋湛山、鳩山一郎(以上が「リベラル」)、それに日本社会党(「社会民主主義者」)の防衛論議をふり返っています。
しかし、読み終えた率直な感想は、いささか議論が図式的に感じられました。というか、第1章を読んだ段階で、ほぼ結論は見えていたわけで、なぜ日本で、吉田のような復古主義的な政治勢力とは切断されたところで再軍備がおこなわれなかったのかという、いちばん根本の問題が検討されないままになっています。そこを解かなければ、「吉田首相がもう少し物分りがよければよかったのに」という願望の表明にしかならないのではないでしょうか。
【書誌情報】著者:大嶽秀夫/書名:再軍備とナショナリズム――戦後日本の防衛観/出版社:講談社(学術文庫1738)/出版年:2005年12月/定価:960円+税/ISBN:4-06-159738-8