岩波新書の日本古代史シリーズ最終巻の古瀬奈津子『摂関政治』。オビにあるとおり、藤原道長を中心に、9世紀から11世紀ぐらいまでを対象にしています。
以前に、講談社の『天皇の歴史』シリーズでも書いたことですが、摂関期ぐらいになってくると、描かれている時代のスケールがうんと小さくなってしまいます。古代律令国家で権力の頂点にあった天皇が、この時代になると、ほとんど内裏から外へはでなくなり、政治もほんの近親の公卿たちによって担われてゆきます。
そのことを、本書でも著者は、天皇との私的関係によって政治がおこなわれるようになると表現するのですが、国のまつりごとが私的な関係によって処理されてゆくというのは、いったいどういうことなのでしょうか?
著者は、中世になると私的関係の占める割合が大きくなるというような書き方もしていますが、その場合の「私的な関係」とはいったいどういうものなのか。また、どういう意味で、著者が古代とか中世という言葉を使っているのか。この時代の国家がいったいどういう基盤の上に成り立っていたのかという点でも、「負名」や「大名田堵」などの話はでてくるものの、その正体がいまいちはっきりしません。
律令制国家の官僚制が形骸化し、天皇とごく近しい公卿・殿上人によって政治が担われるようになる、というのは、ある意味では天皇への権限集中ということができますが、他方では、政治の大部分が、天皇中心の「政治」の埒外に切り離されていくということでもあります。諸国からの庸調の納入も、受領任せ。班田収授もおこなわれなくなり、荒田の開発も現地任せ。本書でも、そういう部分で実際に何がどうおこなわれていたのか、その一端は描かれていますが、比重でいえば、かなりの部分は内裏のなかでの小さな政治の世界に限られていて、その分、藤原氏を中心とする貴族の文化・生活はよく分かるのですが、この時代のこの国の歴史となると、イメージがぼやけてしまうばかり…。いろいろ読む度に、そのあたりを、何とかしていただきたいと思ってしまうのですが。
【書誌情報】
著者:古瀬奈津子/書名:摂関政治〈シリーズ日本古代史6〉 岩波新書新赤版1276/出版社:岩波書店/発行:2011年12月/定価:本体800円+税/ISBN978-4-00-431276-5
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1.岩波ジュニア新書、日本の歴史の平安時代、苦労の末、読了。荘園が理解の根本。古文なまけたつけが今に。源氏は、凄い。ゼロからやり直しに。古事記、万葉、治さんの貧乏は正しいシリーズ、僕たちの資本論(小学舘文庫)が中世の理解に役立つ、頼朝=ロレンスには瞠目。2.都政。労働現場としての都職員の声がききたい。自治体現場が、細分化、密室の連なり(北沢恒彦「方法としての現場」社会評論社)であることは、この本に指摘されているとおり。彼は小熊創の父親。京都市役所、むかしの、とは規模がちがうが?またあしたかきます。