資本主義的所有関係を成り立たせている根拠は資本主義的生産関係である

資本主義的所有関係を成り立たせている根拠は資本主義的生産関係である、というある意味自明であることについて、少しつぶやきました。

こっちは14日のつぶやき。

  • 労働者は資本家とすすんで相互承認しているわけではないだろう。支配的な法的諸関係が、労働者をして、自らを労働力商品の所有者として承認せしめているのではないか。そのような支配的法的諸関係の中に労働者は生み落とされる。 posted at 18:22:02
  • 人は支配的イデオロギーの中に生み落とされるというのがアルチュセールの再認論。そして彼は、その支配的イデオロギーを内面化する装置として学校教育を問題にした。しかしそれは法的イデオロギーではないのか、というのが上野俊樹氏の批判点。 posted at 19:19:53
  • で、法的イデオロギー関係の中では確かに相互承認的関係になるが、だからと言って法的イデオロギーそのものが相互承認的関係から生まれるわけではない。法的イデオロギー関係に階級的形態を与えるのはあくまで土台。資本主義的所有関係を成り立たせているのは資本主義的生産関係。 posted at 19:25:33

ほいでもって、こっちは15日のつぶやき。

  • 江戸時代には「米価安で諸色高値」が問題になるが、これは商品生産が広がっていくにつれて価値法則が貫徹して、諸商品の価格は労働力再生産に見合った水準に上がっていくのに対して、米は年貢として一方的に収奪したものを売り出すため、価値法則が貫徹しないため。 RT @hirofreak posted at 12:20:15
  • 奉公人の給金についても、江戸時代初期は長年季奉公人なので極めて安い。それが段々奉公の期間が短くなるにつれて徐々に高騰し、江戸時代後半には日傭が一般化し手間賃は再生産費に近づく。これに伴って、奉公人を使った地主手作り経営は利潤が出なくなり寄生地主化する。 RT @hirofreak posted at 12:25:25
  • だからと言って、江戸時代に、価値法則が自動成長的平和的に貫徹するようになった訳ではない。幕府や藩は価格統制を図ったり、商人に組合を作らせて統制しようとした。他方で、農地を失った半プロレタリア層は打毀しなどで、奉公給金の引き上げを要求して戦った。 posted at 12:36:10
  • 要するに現実の過程は、けっして相互承認的ではない、ということ。 posted at 12:37:02
  • と、ツイートしてみても、ご本人は寝てるらしい。^^; posted at 12:40:41
  • 純粋商品生産社会などというものは、歴史的に存在したためしがない。現実に商品生産が一般化する歴史的過程は、第24章にあるとおり、「血と火の文字」で歴史に刻まれている。第2章は、そうした歴史的過程を、商品生産という面から抽象化してとらえたもの。 posted at 12:46:02
  • 第2章では、それぞれの人格が商品所有者として市場に現われることは前提されている。商品生産を前提とする社会では、市場に現われて初めて相互承認しあい、それによって初めて相互承認的関係が成立するのではない。相互承認的関係があらかじめ成立したところへ人間は生まれ落ちる。 posted at 13:28:03
  • そもそも相互前提関係にある2つのものは、どちらか一方を原因とすることはできない。したがって、原因は、相互前提関係の外部に、相互前提関係そのもの、相互前提しあう物事自体を生み出すものの中に探られなければならない。 posted at 13:29:59

『資本論』第2章は第24章を「商品生産という面から抽象化してとらえたもの」というのは「商品交換という面から」のほうが正しい。また、相互前提関係にあるものの「原因」というのも不正確。正確には「根拠」というべきだろう。いずれにしても、相互前提関係にあるものの根拠を相互前提関係に求めるのは堂々巡り。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください