またまた細かい詮索。資本論第2部第4章に次のようなくだりが出てくる。
他国の商品について言えることは、他国の貨幣についても言える。商品資本が他国の貨幣にたいして商品としてのみ機能するのと同様に、この他国の貨幣もこの商品資本にたいして貨幣としてのみ機能する。貨幣はここでは世界貨幣として機能する。(新日本出版社・上製版II, 174ページ。新書版第5分冊173ページ)
ヴェルケ版では次のようになっている(S.113 35-37)。
Was von fremden Waren gilt, gilt von fremdem Geld; wie das Warenkapital ihm gegenüber nur als Ware, so fungiert dies Geld ihm gegenüber nur als Geld; das Geld fungiert hier als Weltgeld.
問題は、下線を引いた2つのihm。草稿を見ると、前者はihmだが、後者はihrとなっているのだ。
新メガによると、草稿の該当部分は次のとおり(MEGA II/11 651.12-15)。
Was von der fremden Ware, gilt vom fremdem Geld; das Warenkapital funkutioniert ihm gegenüber nur als Ware und dies Geld ihr gegenüber nur als Geld; das Geld funktioniert hier als Weltgeld.
ご覧のとおり、後のほうはihrと判読されている。ihmは男性名詞あるいは中性名詞の3格。ihrは女性名詞あるいは複数名詞の3格である。
で、問題は、これによって微妙な意味の違いが生じることだ。ところが訳してみようと思うと、このihm、ihrおよびdies Geldが何を指しているか、必ずしも判然としない。以下は、私なりの解釈を踏まえた翻訳である。
ihmが外国の貨幣を指していることは間違いない(これは草稿も現行版も同じ)。すると、対になっているihrは外国の商品を指すのだろう(商品は草稿では単数の女性名詞、したがってihrで受けることができる)。となるとdies Geldは、現行訳のように「外国の貨幣」ではなくて「この国の貨幣」と読まざるを得なくなる。こう考えると、この部分は以下のように訳される。
他国の商品について言えることは、他国の貨幣についても言える。商品資本は外国の貨幣にたいして諸商品としてのみ機能し、この国の貨幣は他国の商品にたいして貨幣としてのみ機能する。貨幣はここでは世界貨幣として機能する。
ところが、このように解釈すると、文章の意味するところが現行版とは違ってくる。
現行版では、前者のihmが「他国の貨幣」を指しているのは草稿と同じだが、後ろのihmは男性名詞なので、「商品資本」(つまり「自国の商品資本」)を指しているとしか読めない。したがって、自国の「商品資本」と交換されるdies Geldは「他国の貨幣」を指すと読まざるを得ない。
その結果、現行版では、2番目の文は、自国の商品資本と他国の貨幣とが相対する同じ1つの関係を、まず商品資本の側から述べ、次いで他国の貨幣の側から述べる、そういうかっこうの文になる。
それにたいして、草稿のほうはというと、私の上の解釈が正しければ、前半では自国の商品資本が他国の貨幣に相対するのにたいして、後半では自国の貨幣が他国の商品に相対している。つまり、相互関係がクロスしているわけだ。
私は、最後の「貨幣はここでは世界貨幣として機能する」という結論にいたるプロセスの説明としては、草稿のように、自国の商品vs.他国の貨幣と、自国の貨幣vs.他国の商品というように、相互にクロスする関係をあげるほうがよりふさわしいと思う。それもあって、草稿をこう解釈したのだが、dies Geldを「この国の貨幣」と読む明白な根拠はない。
dies Geldは直訳すれば「この貨幣」であり、diesは単なる指示代名詞なのだから、「この貨幣」とはその前に出てくる「他国の貨幣」である。現行訳は、そう解釈しているわけだ。diesを「この国の」と読むというのは一種の解釈でしかない。
さらに、さきほどihmが「他国の貨幣」を指すのだからihrは「他国の商品」であると述べたが、これもそう断定しきるだけの根拠があるわけではない。ihrは女性名詞を指しているだけだから、厳密にはただ「商品」を受ける。したがって、dies Geldを現行訳のように「他国の貨幣」と読めば、ihrはおのずと自国の「商品」ということになるし、そう解釈しても文としては十分成り立つ(内容は現行版とほぼ同じ)。自国の「商品」は「商品資本」(男性名詞)なのだから、ihrではなくihmが正しい――エンゲルスは、そう考えて、ihrをihmに訂正したのだろう(あるいはihmと読み間違えたのかも知れない)。
ihmとihr。わずか1文字の違いだが、エンゲルスの解釈は正しいのか? はたまた、草稿の記述(の私の解釈)のほうが正しいのか? 決め手がないので、なんともすっきりしない。また、「世界貨幣」論としてこのくだりに触れた文献も寡聞にして知らない。どなたかお考え、お知恵があればご教授を。
【追記】
ツイッター上で斎藤幸平さんからコメントをいただきました。
@gaku_iz うーん、別にWarenkapitalがWareとしてgeltenしているので、ihmでもihrでも大きく意味は変わらないと思いますし、それでそれにひっぱられてマルクスがihrで受けているのもわかりますけれど・・・
— 斎藤幸平さん (@koheisaito0131) 11月 12, 2012
確かに斎藤さんのおっしゃるとおり、マルクスがWarenkapital(これは中性名詞)のWare(女性名詞)に引っ張られて、ihmと書くべきところをihrと書いてしまったという可能性はあり、それでエンゲルスがihrをihmに直したということは十分考えられます。
しかし、世界貨幣の成立プロセスとして考えると、やっぱり、ihmとihrが他国の貨幣、他国の商品を指し、マルクスがここで自国の商品資本vs.他国の貨幣、自国の貨幣vs.他国の商品というクロスの関係を指摘している、という読み方は、なかなか捨てがたい魅力があると思うのですが…。
まあ、ここの読み方でこれまでの世界貨幣論の研究が覆る、というような問題ではないので、詮索立てしてみても仕方ないのですが。(^_^;)