『資本論』第2部第15章「回転時間が資本前貸しの大きさに及ぼす影響」を、草稿(MEGA II/11所収)とつきあわせながら精読しています。ここは、労働期間と流通期間の長短によってどれだけの追加資本が必要になるか、それによってどれだけの「資本の過多(プレトーラ)」が生じるかを吟味しているところです。
実際、草稿を読んでみると、マルクス自身、この部分を書き始めたときには、労働期間と流通期間の違いによって投下資本と追加資本が交錯しながら回転していく様子をどうやって追いかけたらよいのか分かっていなかったようです。それで、あれやこれやの数値を仮定して、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返しているうちに、投下資本と追加資本が交錯して回転していく様子を叙述するのに成功するようになるのですが、エンゲルスは、その結論を見事につかんで、その立場でマルクスの草稿の試行錯誤を整理して、それなりに筋の通った章をつくりあげたのですから、その読解力はたいしたものだと感心してしまいます。
しかし、だから、エンゲルスが一生懸命整理して、それでもなお分かりにくい議論の筋を追ってみても、結局、あまり得るところがないし、そこで結論的に指摘されてていることが、はたして実際に資本の回転で生じる問題なのか、それともただ単に仮定の数値に起因するものでしかないのか、そこもよく分からない話ばかりです。
結局、不破さんが『「資本論」全三部を読む』で、ここは、そもそものマルクスの問題意識そのものに重大な「錯覚」があって、何でもないことに重大な意味を持たせてしまったと指摘したとおりだと、あらためて納得した次第です。