立川自衛隊官舎ビラ配布事件について刑法学者の否定的コメントが理解できないと書いたところ、「まともなコメントも出てるよ」と教えてもらいました。
無罪の結論は支持できる。憲法の表現の自由の保障に照らし違法性がないというもので、適切だ。ただ、事件の基本的問題点が正しく司法判断を受けたかというと疑問もある。そもそも「基本的に無党派の立場」(本判決)で活動する市民グループの運動に、刑事罰と過剰な強制捜査で対応したこと自体、批判の対象となるべきだ。起訴価値が大きいとは考えにくい。「住居侵入」で起訴した検察側には首をかしげざるをえない。一連の捜査の過程で失われたものは大きいはずで、この種の捜査・起訴を繰り返してはならない。(白取祐司・北海道大学教授、「朝日」12/17)
「事件の基本的問題点」というのは、本来犯罪とはならないようなものを警察・検察が重大犯罪のようにとりあつかったことを指しており、白取氏の意見は、むしろそちらこそ問題にすべきだということです。ちなみに、この事件で逮捕された3人は75日間も拘留されたそうで、今日(12/18)の「東京新聞」社説は、検察の拘留延期の請求を唯々諾々と認めた裁判官も責任があると指摘しています。
あともう1つ。「毎日」にも、まっとうな刑事法学者のコメントが出てました。
判例からすると有罪の可能性が濃厚だったが、表現の自由の趣旨に照らし、無罪とした判決は画期的で高く評価できる。政治的議論を封鎖することにつながる事件の背景を正確に見抜き、違法性を形式的に解釈せず、実質的にとらえたもので、国民感情にそった血の通った判決だ。(村岡啓一・一橋大教授、「毎日」12/17)
まあ、やっぱりこのあたりが普通の考え方でしょう。
社説 ビラ配り無罪 裁判官も反省すべきだ
反戦ビラ配布の無罪判決は、公安流捜査の政治性とともに、令状審査制度の形がい化を明らかにした。裁判官が人権感覚をもっと磨き、司法の使命を自覚すれば強引な捜査も抑制できるはずだ。
焼き肉屋のビラ配りはよくて、自衛隊のイラク派遣に反対するビラは犯罪なのか。形式的には法に触れるとしても、長期の身柄拘束のすえの刑事処罰が正義に合致するのか。
東京地裁八王子支部が無罪判決を言い渡した市民運動家三人の住居侵入事件は、このような課題を背負って裁判が続いた。
三人は東京都立川市にある自衛隊官舎ビルの階段や通路に立ち入り、ビラを新聞受けなどに配った。敷地には無断で入ったが、誰にも迷惑はかけなかった。官舎には飲食店などの宣伝ビラがしばしば投げ込まれ、敷地を通り抜ける人もいたのにいずれも問題になったことがない。
これでは、逮捕、起訴を政治的と受け止め、七十五日間の拘置を黙秘権行使に対する見せしめと考える人がいても無理はない。
ビラは表現の自由を行使する貴重な手段であり、世論が分かれる自衛隊イラク派遣問題は多様な議論がなされる必要がある。公権力の抑制的行使は民主主義のイロハである。
「いきなり刑事責任を問うのは疑問」と三人を無罪とした判決は、表現の自由の重要性、権力の抑制原則を正しく理解した判決といえる。
政治的表現活動に対する過剰取り締まりが、イラク戦争が始まるころから日本中で際だつようになった。ささいな事実で逮捕、捜索などの強制力行使がなされている。今後、この無罪判決がブレーキとなることを期待するが、結果的にしろ公安流捜査を司法が支えているのが現実だ。
立川事件の被告が七十五日間も身柄を拘束されたのは裁判官が拘置を認めたからだ。身元も明らかで逃亡や証拠隠滅の恐れが明らかにあるとはいえない人たちを拘束し続けたのは、警察や検察の主張を無批判に受け入れたとしか思えない。
そのほかの事件でも裁判官は逮捕状や捜索令状の発行で強引な捜査を許容してしまっている。
最新の司法統計によると、裁判所が逮捕状の請求を退けたのは請求の0・1%にも満たず、拘置令状の請求却下も0・4%弱にすぎない。裁判官は弁護士の目に「捜査当局の言いなり」と映っている。
捜査における強制力行使を司法審査にゆだねたのは、過剰な権力行使を防ぎ人権を守るためである。司法は捜査の協力者にならないよう厳に戒めなければならない。(「東京新聞」12月18日付)