日本中世史研究をふり返る

雑記@史華堂: 史学史を学ぶで、『歴史評論』6月号「特集 日本中世史研究の現代史」を知り、さっそく購入しました。特集は以下の論文。

  • 鈴木靖民、保立道久「対談 石母田正の古代・中世史論をめぐって」
  • 池 享「永原慶二 荘園制論と大名領国制論の間」
  • 伊藤喜良「非農業民と南北朝時代――網野善彦氏をめぐって」
  • 木村茂光「戸田芳実氏と在地領主制論」
  • 竹内光浩「河音能平『天神信仰論』のめざしたもの」


で、面白かったのは、永原、戸田、河音の研究業績をふり返った3つの論文。とくに、木村茂光氏の戸田芳実論は、最近、関口裕子氏が『日本古代家族史の研究』で戸田氏の『日本領主制成立史の研究』(岩波書店、1967年)を評価されていることを知り、勉強し直そうと思っていたところだったので、非常に興味深く読みました。そのなかで、戸田氏が、「生産様式の法則的な展開に基本的な視点をすえて分析する研究視角」(社会構成史・社会発展史の方法)と「荘園・田堵・名・在家など、制度の中におけるそれ自体のあり方・機能によって性格づけ、それによって社会的諸関係を理解しようとする視角」(制度史的・機能論的な研究方法)を区別し、制度史的・機能論的な研究方法を厳しく批判されたという話が紹介されていますが、昨今の「社会史」ブームを考えると、これはなかなか重要な提起だと思いました。

永原慶二氏についての論文では、池享氏が、永原氏の「職の体系」論を論じて、永原氏があくまで規定的要因は在地領主制の展開にあるのであって、職の体系=請負関係という捉え方を批判されているのが、なるほどと思われました。

佐々木潤之介先生の「偲ぶ会」で、安丸先生が、マルクス主義歴史学をつらぬく2つの方法論的な軸として、制度論的研究と人民闘争史的研究とをあげておられましたが、大きく言えば、木村氏や池氏の指摘は、それにつらなるものではないでしょうか。制度論的研究と人民闘争史的研究とをどうやって媒介するか――そこに、研究の“苦労”がある訳で、その点では、前にも書いたことですが、僕は、やっぱり永原先生の『内乱と民衆の世紀』(小学館 体系日本の歴史第6巻、1988年)が1つの結実であるように思いました。

座談会については、関口裕子氏の研究を読んでいるのでとくに感じることですが、石母田氏その他、古代史研究者が前提としている家父長制世帯共同体にたいする根本的な疑義が提起されているだけに、その点での検討を望みたいと思いました。

網野善彦氏の業績については、一般的に氏の研究を評価する・しないとか、歴史学研究者は網野氏に「冷たい」とかいうことが問題なのではなく、網野氏の天皇制論をどう評価するか、これが中心にすえられるべきだと、僕は思っています。その点で、伊藤氏の論文が、網野氏の論文「日本中世の自由について」(初出『年報中世史研究』第10号、1985年、現在は『中世再考 列島の地域と社会』講談社学術文庫所収)を検討の対象にされていないのが残念でした。

ところで、同号掲載の南相九(ナム・サンク)「戦後日本における国家による戦没者追悼――『無名戦没者の墓』の建設をめぐる議論を中心に」は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑建設問題を軸にしながら、いま問題になっている靖国神社の、戦後の「英霊」顕彰と国家護持の動きを検討したもの。これまでの研究業績の掘り下げ方が弱いように思われますが、それはそれとして、注目すべき研究だと思いました。

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