関西でいうところの文化住宅。実態は木造モルタル2階建ての木賃アパートのことなんですが、東京では、大正?昭和初期に山の手の新築一戸建ての住宅を「文化住宅」と呼んだそうです(玄関脇に洋間をつけたのが新しかったらしい)。
ほんま?関西伝説
昔文化住宅 今コーポ? 街の活力住民ワイワイ
関西では、木造賃貸アパートのことを俗に「文化住宅」って言いますよね。この呼び方、いまでは減ってきたけれど、実は名前を変えて、生き残っているんです。
文化住宅の家主さん数人に聞いてみると、建てたのは1950年代半ばからという。
大阪市住之江区の家主さん(70)が65年ごろに建てた文化住宅は、木造2階建てに16戸が入る。基本は6畳と4畳半、台所、トイレ、風呂は専用。賃料は3万?4万円台。
なぜ「文化」と名づけたのか。「当時のアパートは、設備が共用。それに比べれば文化的な暮らしができるからかな」と家主さん。いまもあって「近所づきあいがしやすい」と人気は高いそうだ。
関西住まいの長かった県立広島女子大教授の間野博さん(56)=住環境学=は「名前を付けたのは施工した地場の中小建売業者と思う。文化というキャッチコピーをつけた関西的なちゃっかり商法といえる」と話す。
関係者の話をまとめると、関西で文化住宅は、高度成長期の住宅難を背景に相次ぎできた。ピークは60年代前半。
往時は大阪府だけで30万戸とされ、豊中、門真、寝屋川などに多かった。62年11月6日付朝日新聞では入居心得を特集したほど。
語源の手がかりは講談社の日本語大辞典にあった。文化住宅には二つの意味がある。<1>大正の後半から昭和にかけて流行した和洋折衷住宅。多くは玄関脇に洋風応接間を持つ。
<2>戦後、関西地方で多く建てられた木造2階建ての棟割りアパートの俗称。大家さんでつくる大阪賃貸住宅経営協会事務局長の中村泰典さん(42)によると、関西ではもちろん<2>の意味。
でも関東では<1>の意味、と証言するのは、「よこはま洋館付き住宅を考える会」事務局長の兼弘彰さん(34)。
関東で文化住宅とは、和洋折衷住宅を指す。22年に東京・上野で開かれた平和記念東京博覧会に出品された住宅群がそのはしり。当時もてはやされた文化という言葉をもじったという。
大阪教育大教授の岸本幸臣さん(64)=住居学=は、関西と関東で文化住宅のイメージが違うことを、こんなたとえ話でしてくれた。関西の大工さん「いま、文化住宅、施工してますわ」。
関東の大工さん「そりゃハイカラな仕事ですな」。
関西の大工さん「??」。「関東ではグレードがかなり上の建物を指しているわけです」と岸本さん。63年ごろにした大阪の文化住宅調査などによると、地方から来た労働者らのために普及した。
岸本さんは「文化住宅には住人同士の相互扶助や活気があった」という。
マンションでは、人間関係が薄くなりがちだ。都市のコミュニティーをどうつくるのか。住民が共同設計、建設する集合住宅が、普及し始めている。「文化住宅は都市生活のコミュニティーづくりの原点」という。
いま、文化住宅は賃貸マンションの普及で減っているとされる。しかし、不動産会社によると、呼称を「ハイツ」「コーポ」と変えているケースがあるらしい。
関西文化の一翼を担った文化住宅は、時代が変わっても不滅ということですね! [朝日新聞 2004/07/02]
しかし、じつは論争が1つ。僕は、関西風「文化住宅」は、木造モルタル2階建ての木賃アパートのことだと思うのですが、同じ木造モルタル2階建てアパートでも、「玄関が引き戸になっているのが文化住宅。ドアのは文化住宅じゃない」という強力な意見がありまして、はたしてどっちなんでしょう?
大阪方面のみなさんのコメントをお待ちしています。m(_’_)m
神戸市内の大学に通っていましたが、学生課ではドアのものも含めて文化住宅として紹介されていた記憶があります。