最近、女性の皇位継承を認めるかどうかの議論がクローズアップされ、政府も有識者会議を設けて議論を始めています。しかし、憲法学の泰斗である著者は、単純に「女帝」の是非を論じる訳ではありません。
歴史的にみれば、女性の天皇もいましたが、女性天皇の子どもが皇位を継いだことはなく、天皇の地位が男系によって受け継がれてきたことは事実。明治の皇室典範では、それを「男系男子」に限るとした訳ですが、著者は、明治皇室典範制定過程の詳細な検討から、「男系男子」への限定が「庶出」(つまり正妻=皇后以外の女性を母親とする天皇)の容認と一体のものであったことを明らかにします。ところが、戦後、国会が審議・制定することになった現在の皇室典範では、嫡出(正妻の子ども)の男系男子に限られています。現在の「お世継ぎ」問題は、そこに端を発しているのですが、制定当時の国会審議の検討から、当時、支配層は、そういう事態が起こりうることは認めつつも、「当分、そんな事態は起こらないから大丈夫」と事実上先送りしたことが分かります。
もちろん著者の主張は、庶出を容認せよということではありません。もはや時代は庶出の「象徴」を容認するような状況にはありません。しかし、だからといって「女帝」を認めよ、「男子に限るのは女性差別だ」というだけでは、憲法論議として不足であると著者は指摘します。象徴天皇という制度そのもののもつ不平等さを問題にすべきだというのです。
さらにそこには、この問題にたいするもう一つの補助線が引かれています。すなわち、天皇の退位を認めない「退位の不自由」問題です(そして、それのパラレルな系として、一定範囲の皇族についても離脱の自由を認めない「離脱の不自由」)。
著者は、この天皇・皇族の不自由は「致命的な違憲性」をもち、それゆえ「窮極の『人権』」として、いっさいの「特権」の放棄、特殊地位からの解放を意味する「脱出の権利」を認めるべきだと主張します。
象徴の地位を男系男子に限りながら、庶出は認めないという矛盾をかかえた天皇の存在は、おのずから「過渡的」なものとならざるをえません。さらに、世襲という形で有無をいわさず象徴という特別な地位につくことを強いる制度は、戦後憲法の平等や人権原理と深刻な矛盾を抱えています。「伝統」か「皇位の安定的な継承」かなどという、見せかけの「争点」ではなく、象徴天皇の存在そのものへの憲法学的な問いかけとして、示唆に富み、なおかつ今の時期に書かれなければならなかった貴重な研究書だと思います。
【書誌情報】著者:奥平康弘/書名:「萬世一系」の研究――「皇室典範的なるもの」への視座/出版社:岩波書店/出版年:2005年3月/定価:本体4900円+税/ISBN4-00-024430-2