サイパンをめぐる様々な“思い”

天皇のサイパン訪問をめぐって、日本のメディアではあまり取り上げられていない話題について。

日王、戦争責任に沈黙…追悼を前面に(東亜日報)

日王、戦争責任に沈黙…追悼を前面に

 明仁日王夫妻が第2次世界大戦当時、日本の植民地であり、連合軍との激戦の末に7万5000人余りの軍人と民間人が死亡した米国領サイパン島を27日訪問した。
 旧植民地を日王が終戦後、慰霊目的に訪問したのは初めてのことだ。日王夫妻は同日の夕方、現地で日本人遺族会、戦友会会員などと懇談会を行った。
 明仁日王夫妻はサイパン訪問2日目の28日、日本政府が立てた「中部太平洋戦没者碑」と日本人軍人・民間人が自殺した絶壁などを訪問して犠牲者を追慕する。また、現地住民の犠牲者933人の名前が刻まれた「マリアナ記念碑」と、米軍のための「第2次世界大戦慰霊碑」にも献花する計画だ。
 これと関連して、サイパン現地住民たちは明仁日王夫妻の慰霊碑への献花が、双方の傷をある程度癒してくれるものと期待している。日本人観光客が急増して日本との貿易も拡大しているなか、60年前の痛みを「過去史」レベルで敢えて暴き出す必要はないという反応だ。
 しかし、サイパンで強制労働に苦しんだり、戦乱に巻き込まれて死亡した韓国人犠牲者のための「サイパン韓国人慰霊碑」は訪問対象から除外され、「国内向けの行事」という限界を露呈した。韓国人慰霊碑は日本政府が自国の死亡者のために立てた戦没者碑から徒歩で5分のところにある。
 このような日程から分かるように、日王の今度の慰霊巡礼は「日本王室(特に昭和日王)の戦争責任」に関して黙ったまま、戦没者追慕だけの形式を取っている。
 終戦後、昭和日王は慰霊目的の海外激戦地への訪問ができなかった。しかし1989年王位を受け継いだ明仁日王は、1992年中国を訪問して過去史に遺憾を示して以来、硫黄島、沖繩などの激戦地を訪問して戦没者を追慕してきた。
 結局、自分の責任に対しては口を閉ざしたまま、経済力を前面に過去の縁故地に影響力の拡大を狙う今度の慰霊巡礼は周辺国を慰めることはもちろん、日本国内の軍国主義(特に最近の「戦犯無罪論」)を鎮めることもできないだけだ。
 日本は1914年第1次世界大戦勃発後、サイパンを占領して殖民統治をした。サトウキビ栽培などのために2万人余りの日本人を移住させており、韓国人労働者1000人も労役に動員された。1944年6月の連合軍上陸後、約1ヵ月間にわたって展開されたの熾烈な戦闘で、日本軍4万3000人余りと米軍1万5000人余り、そして民間人など7万5000人余りが死亡した。[東亜日報 JUNE 28, 2005 06:03]

韓国人慰霊碑のことや、サイパンの韓国人会が一時、抗議の横断幕をかかげたことなどは、「東京新聞」も紹介していました。

「好意ばかりではない」 壊される日本人の慰霊碑(熊本日日新聞)

「好意ばかりではない」 壊される日本人の慰霊碑

 【サイパン25日共同】割れた石碑、土台だけの墓――。太平洋戦争の激戦地だった米自治領サイパン島には、家族や戦友のために日本人が建てた慰霊碑や墓が数多いが、壊されているものが少なくない。「観光客や住人のすべてが日本に好意的なわけではない」。自治政府の人の説明は、日本にとって忘れがたい戦闘に、別の思いを持つ人の存在を思い起こさせる。
 27日からのサイパン訪問で天皇、皇后両陛下は中部太平洋戦没者の碑に献花する。多くの遺骨が見つかった場所。周囲の岩や草むらに、高さ数10センチの石碑や墓石が隠れるように立っている。磨かれ、手向けた花の残る石碑の横に、刻んだ名前の途中で折れたままのもの、墓石の跡だけが残るものが並ぶ。[熊本日日新聞 2005年6月25日 06:16]

バンザイクリフ慰霊碑にガム サイパン島(産経新聞)

バンザイクリフ慰霊碑にガム サイパン島

≪清掃…また被害/「日本鬼子」の字も≫
 先の大戦の激戦地、サイパン島にある戦没者の慰霊碑にチューインガムが付けられる被害が相次いでいる。3月に慰霊事業で現地を訪れた日本人がガムを取り除き、その後現地当局も清掃を行ったが、同様の被害がおさまらない。戦没者の霊を冒涜(ぼうとく)する心ない行為に関係者は心を痛めている。(森本昌彦)

 ガムによる被害を受けているのは日本軍の将兵、民間人らが「万歳」と叫んでがけ下に身を投げた島北部の断崖(だんがい)、バンザイクリフにある慰霊碑。三月一日から五日間、慰霊のためサイパン島を訪れた長野市の若麻績(わかおみ)敬史さん(45)らが見つけた。
 「最初は『何だろうこれ』と思った。初めからこういうふうになっているのかなと思って近づいたらガムだった」
 「忠魂碑」という文字が刻まれた慰霊碑の表側だけでなく、その裏側までびっしりとガムがくっついていた。表側のガムは素手で何とか取り除くことができたが、裏面に付けられたガムは乾ききっており、手ではがすことはできなかった。
 ガムだけでなく、碑の表側には、きりのようなもので彫った「日本鬼子」という漢字が記されていたという。
 在サイパン出張駐在官事務所によると、現地のマリアナ政府観光局がガムが付けられているのを見つけるたびに清掃を行っているが、その後も被害は続き、慰霊碑が完全にきれいになるまでには至っていない。バンザイクリフには約二十の慰霊碑が存在するが、同様の被害を受けているのはこの慰霊碑だけ。
 若麻績さんは「誰がやったかは分からないが、死者を弔う人類の普遍的な感情に相反する行為で、やった人の気持ちは理解できない」と話している。[産経新聞2005/06/22 東京朝刊から]

「戦没者の霊を冒涜するものだ」「理解できない」と書いていますが、侵略者・征服者の日本人だけを慰霊することに「冒涜された」と思う人がいることを、私たちこそが「理解」すべきなのではないでしょうか。

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