金曜日、錦糸町で、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いてきました。今回は、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」。生でドツレクを聴くのは初めてなので、楽しみにして行ってきました。
ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45
指揮:ミヒャエル・ボーダー/ソプラノ:カテリーナ・ミューラー/バリトン:石野繁生/合唱:晋友会合唱団/合唱指揮:清水敬一/演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
同じレクイエムといっても、ブラームスのは歌詞はドイツ語で、フォーレのような静謐さや、ヴェルディのような絢爛豪華さとも違う、もっと身近な感じでしょうか。プログラム・ノーツによれば、ブレーメンでの演奏会では「聴衆の全てが涙に咽いだ」そうですが、プログラムの歌詞対訳を見ながらでは、そうしたこの楽曲の持つ情感が分からないのが残念です。そうなると、ヴェルディのレクイエムのような“派手さ”がない分、どうしても地味な印象になってしまいます。また、これもプラグラム・ノーツが指摘するところなのですが、レクイエムといっても、神の再臨とか死者の復活とかを描くのではなく、あくまで現世で暮らす者の慰めとか救いといったものが歌の内容となっているので、その意味でも楽曲全体が地味な印象を受けます。
もともとブラームスの曲は、ベートーベン的な深刻さもなく、またマーラーやブルックナーみたいな派手さもなく、謹厳実直というか、堅実というか、そんな印象を持っています。色でいうと、ベートーベンは赤、マーラーは妖しい紫?、ブルックナーのキンキラキンという感じですが、ブラームスは、秋の晴れた日の午後の日差しのような落ち着きと安心感、それにちょっとした温かみみたいなものがあるように思います。ドイツ・レクイエムでも、ところどころに、そんなブラームスらしいフレーズなどが登場します。
当日の演奏は、そういうブラームスの実直さみたいなものがよく出ていたと思います。ただ、もう少し弦に柔らかさというか艶のようなものがあれば、ブラームスらしいフレーズのもつ温かみがもっと出たように思われました。ソリストは2人とも素晴らしく、とくにソプラノのカテリーナ・ミューラーは声量もたっぷりでよかったと思います。合唱はところどころ不鮮明になるところがあって、ちょっと残念でしたが。
しかし、全曲が終わったあとすぐに始まった拍手が、せっかくの曲の余韻の楽しみを壊してしまいました。さすがにブラボーと叫ぶ人はいなかったものの、どうしてあと1秒か2秒待てないのか。指揮者もソリストもいささかがっかりしていたように、僕には見えました。前回の演奏会のように、レジ袋にネギを入れて会場に入ってくる奴はいませんでしたが、斜め後ろでは、演奏が始まってから飴を剥いて食べてるオヤジがいて、相変わらず演奏に集中できません…。