牧原憲夫『民権と憲法 シリーズ日本近現代史<2>』

牧原憲夫『民権と憲法 シリーズ日本近現代史<2>』(岩波新書)

岩波新書の「シリーズ日本近現代史」の2冊目。牧原憲夫氏の『民権と憲法』を読み終えました。

1877年の西南戦争終結から、1889年の「大日本帝国憲法」発布までの時期が対象になっています。牧原氏が「あとがき」に書かれているように、この時代は、どんな工夫をしてみても、自由民権運動が高揚しながら、結局、敗北し、帝国憲法体制ができあがるという「大きなストーリー」は動かしようがありません。しかし、牧原氏は、民権派と政府の対抗という図式に、「民衆」という「独自の存在」を加え、「三極の対抗」としてこの時代を描き、民権派が「国権」にからめとられていく側面を民権運動の敗北というふうに一面的に見ず、民権派の複雑な諸側面を分かりやすく描くことに成功していると思いました。

第1章と第2章で、自由民権運動をめぐる歴史が描かれ、第3章では「松方財政」との関係が論じられます。で、これらの章と、第6章の「近代天皇制の成立」とで、この時代の基本的な歴史過程をカバーされています。第3章では、民権派と「民衆」との違いなども明らかにされます。そして、第4章「内国植民地と『脱亜』への道」では、琉球、蝦夷地の「内国植民地」への対処や、朝鮮・中国との関係がとりあげられ、第5章「学校教育と家族」では、教育制度をめぐる国民主義と国家主義の対抗とか、明治の民法論争など、「社会史」的な研究成果にも目配りを聞かせつつ、明治社会の「質」のようなものを決めていった問題に論及しています。

しかし、意外だったのは、牧原氏が「あとがき」に書かれていることなのですが、この分野では色川大吉『自由民権』(岩波新書、1981年)いらい「手頃な民権通史がない」ということ。う〜む、いわれてみれば確かに…。色川『自由民権』は、佐々木ゼミのとき、1年下のゼミ生が「自由民権を研究したい」といって、ゼミで議論したことがあります。そのとき、佐々木先生は、秩父事件などのいわゆる「激化事件」を「自由民権運動の解体」とみるのか、それともこうした激化事件こそ自由民権運動のピークとみるのか、というところに、自由民権運動をどうとらえるかという見方、とらえ方の大きな立場があることを教えてくださいました。

もちろん、実際の歴史は「あれかこれか」ではないので、そういう対立したとらえ方を生み出すような複雑さ、多面性を、もともと自由民権運動がもっていたということなのですが、その相互に矛盾・対立するような諸側面を含めた自由民権運動の全体をどうとらえるかということが、「文明開化」とか「近代化」、あるいは経済の問題を含め、この時期の歴史を見るときの重要な視点になります。これを、国民的な上昇・発展の時期とだけとらえると、「日本は明治維新で近代化に成功してよかった」ということになります。しかし、だからといって、結局自由民権運動も圧殺されて、暗黒の専制支配体制が確立し、民衆は支配・収奪されただけだ、というのも一面的。国民的な上昇・発展を含みつつ、それが国家主義的な方向に絡め取られてしまった仕組みといったものが何だったのか、そういう見方が重要になります。

その点で、本書は、バランスがとれ、目配りのきいた叙述で、上に書いたような、この時代の“課題”のようなものも見えてくるようになっていて、とても分かりやすいと思いました。また、江戸時代の民衆が、困窮したときに豪商・豪農などに打ち毀しを欠けるときの「世直し」観念や、幕府にたいする「仁政」観念について、牧原氏が、それらを美化することなく、「身分制国家の領主は統治権を独占するがゆえに、領民の生活を安定させねばならなかった」からこそだときちんと指摘しているのも、当たり前といえば当たり前ですが、本シリーズ<1>の井上勝生氏の『幕末・維新』と対比したときに、大事なことだと思いました。

【書誌情報】著者:牧原憲夫/書名:民権と憲法 シリーズ日本近現代史<2>/出版社:岩波書店(岩波新書、新赤版1043)/発行年:2006年12月/定価:740円+税/ISBN4-00-431043-1

牧原憲夫『民権と憲法 シリーズ日本近現代史<2>』」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 本に溺れたい

  2. ご挨拶が遅れましたが、関連記事をTBさせて戴きました。御参考になれば。

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