作家の小田実氏が今朝なくなられました。かつては「既成政党」批判を全面にかかげた「市民主義」を唱えられましたが、1995年の阪神・淡路大震災の復興市民運動のなかで共産党とも協力をおこない、晩年は「九条の会」の呼びかけ人の1人として、さまざまな団体・個人を結びつける重要な役割をはたされました。
前日の参院選での安倍政権、自民・公明連合の歴史的大敗を、小田氏ならどのように見られたでしょうか。合掌。
小田実さん死去 作家 市民平和運動に尽力
[東京新聞 2007年7月30日 朝刊]作家・評論家で、市民運動家としても知られた小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時すぎ、東京都中央区の病院で死去した。75歳。大阪市出身。
妻の玄順恵(ヒョン・スンヒエ)さんは画家。
東大大学院を経て米ハーバード大学大学院に留学。1961年、ヨーロッパやアジアを無銭旅行した体験記「何でも見てやろう」を刊行、空前のベストセラーとなる。
戦時中に大阪大空襲を体験し、「ベトナムから遠く離れて」「HIROSHIMA」「海冥」など、戦争と社会、民主主義のあり方を問う作品を書き続けた。97年に「アボジ」で川端康成文学賞を受賞。
評論やエッセーも手がけ、「難死の思想」「私と天皇」などを発表。
執筆にとどまらず、65年には「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成、ベトナム反戦運動を展開するなど、市民運動の中核として活動した。95年には阪神大震災で被災したことから、被災者支援法制定を訴える運動に取り組むなど、一市民の立場から盛んに発言、行動した。
2004年、憲法改正に反対する「九条の会」を評論家の加藤周一氏、哲学者の鶴見俊輔氏らと結成。07年3月には、フィリピンでの権力犯罪を追及する「恒久民族民衆法廷」の判事役を務めるため、オランダ・ハーグに赴いた。帰国後にがんであることが判明し、都内の病院で闘病生活を送っていた。
著作はほかに「アメリカ」「現代史」「ガ島」など。「小田実全仕事」(全16巻)がある。
1996年5月から98年6月まで、本紙に毎月「西方ニ異説アリ」を寄稿、04年には「随論『老いる』」を連載した。