「大連立」の舞台裏

毎日新聞が「検証・大連立」と題して、自民・民主の「大連立」で一度は合意にいたった動きを追っている。

読む政治:検証・大連立 小沢代表・森元首相「密談」(毎日新聞)
読む政治:検証・大連立構想(その1) ねじれが契機、第1幕(毎日新聞)
読む政治:検証・大連立構想(その2) 第2幕のカギ、消費税(毎日新聞)
読む政治:検証・大連立構想(その3) 小沢代表・再編呼ぶ「二面性」(毎日新聞)

読む政治:検証・大連立 小沢代表・森元首相「密談」
[毎日新聞 2007年12月12日 東京朝刊]

◇「小沢さんが副総理か」「そういう感じもある」

 大連立政権がテーマとなった党首会談に先立ち、小沢一郎民主党代表と森喜朗元首相が会談し、閣僚配分などを協議していたことが分かった。複数の政界関係者が証言した。小沢氏は半数の閣僚を要求し、連立政権からの公明党外しも求め、森氏はいずれも拒否。参院選直後から始まり、福田政権誕生で一気に加速した大連立構想を検証した。

◇小沢氏「閣僚は自民と同数で」

 小沢氏は11月7日の会見で、大連立について「さる人」から頼まれ、首相の「代理人」と協議したことを明らかにした。関係者によると「さる人」は渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆で、「代理人」は森氏。
 森氏は10月25日、官邸で福田康夫首相と打ち合わせ、その日のうちに東京都内のホテルで小沢氏と会談した。
 森氏は「連立話になると閣僚の配分となるが、どう考えるか」と意見を求めた。小沢氏は「自民と民主は対等にすべきだ」と答えたという。森氏は「全く対等なのはおかしな話だ」と反論。小沢氏は「そこまで(完全に)対等というのではない」と述べたようだ。
 森氏が「あなたが無任所の副総理で入閣ということか」と問うと、小沢氏はこう言ったという。
 「そういう感じもある」
 微妙な物言いに前向きな姿勢がにじんだ。
 その後、閣僚配分は国会議員数の比例配分を基準にする方向になった。民主党には副総理、厚生労働相、農相などが配分される見通しになった。
 一方、関係者によると小沢氏は「連立から公明党を外さないとダメだ」と要求。森氏は「それは無理だ。自公あっての民主党との大連立だ」と拒んだ。公明党問題は党首会談まで持ち越され、福田首相は拒否した。
 党首会談は10月30日と11月2日。2回目の会談で大連立政権へのプロセスで両氏の違いが出た。首相が「まずは政策協議をやろう。そうすれば信頼関係ができて、大連立になっていくかもしれない」との意向を示した。
 これに対し小沢氏は「連立を決めてくれ。連立ができれば何でもできる」と連立の確約にこだわったという。小沢氏は民主党から閣僚を出し、参院選で公約した政策の実現を図ろうとしたものとみられる。
 大連立構想は民主党の反対で決裂。どちらが大連立を持ちかけたかという点について首相は「あうんの呼吸」と述べた。小沢氏は自分が主導的に持ちかけたという報道について強く否定した。

読む政治:検証・大連立構想(その1) ねじれが契機、第1幕
[毎日新聞 2007年12月12日 東京朝刊]

 参院選での与野党逆転の結果、「ねじれ国会」が生まれた。未踏の舞台に立った政治家はその処方せんに悩み、出した一つの結論が大連立構想だった。民主党の反対で頓挫したものの、再び第2幕が開かれるとの見方も根強い。関係者の証言をもとに、参院選直後から始まったプレーヤーたちの動きを追った。(文中敬称略)

■第1場 胎動

◇8月10日 渡辺恒雄氏「大連立しかない」――ゴルフ場で綿貫氏を説得

 大連立は、読売新聞グループ本社会長兼主筆・渡辺恒雄を抜きには語れない。
 参院選投票日の1週間前、マスコミはすでに自民党の惨敗を予測していた。そのころ、政治評論家・三宅久之は渡辺から巨人戦のチケットが同封された手紙を受け取った。
 「自民党の大苦戦は疑いなく、野党の同意がなければ重要法案がストップする最悪の事態になる。実力のある知恵者が打開策を講じ、政界の部分的再編が必要だ。最重要課題は消費税のアップだ」という内容だった。
 政治記者として渡辺と同時代を生きてきた三宅は今、語らない渡辺の気持ちを代弁することが多い。「大連立構想は6月ごろから聞いていた。今の政治家で、誰が仲介役の芸当ができるのか。渡辺さんしかいないではないか」

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 7月29日、投票日。予測通りに与野党が逆転し「ねじれ国会」が生まれた。首相・安倍晋三は続投を決めた。
 民主党は民意を無視した首相の居座りに反発。代表・小沢一郎は「与野党談合して足して2で割るのは古き良き時代の手法だ」と政府・与党との対決姿勢を鮮明にした。

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 8月10日朝、長野県・軽井沢のゴルフ場。家族とともにスタート地点にいた国民新党代表・綿貫民輔の前に突然、カートに乗った渡辺が現れた。
 渡辺は「いいところで会いました」とカートを降り、綿貫に説き始めた。
 「国会がこの状態ではどうにもならない。3年も6年もこのまま(のねじれ国会)では、何とかしないといけない。もう大連立しかない」
 「その時は、綿貫さんにも声を上げてもらわないと」
 綿貫と小沢は、自民党旧竹下派時代からの仲間である。
 綿貫は「そうですね」と相づちを打ったが、心中、「民主党がまとまるか」と半信半疑だった。
 ゴルフ場の食堂では、自民党を離党した元経済産業相・平沼赳夫も渡辺から声をかけられ、安倍退陣を前提にした大連立の必要性を説かれた。
 「安倍さんはもたない。命旦夕(めいたんせき)に迫るだよ。次は福田(康夫)さんがいい」
 綿貫らが、渡辺構想を小沢の耳に入れたかは不明だ。
 だが、それ以来、自民党側にも、小沢サイドも大連立に関心を持っているという情報がもたらされるようになった。
 首相になる前の福田が渡辺と会ったのも8月上旬だ。「ポスト安倍」問題や大連立が話題になったと見られる。

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 16日、読売新聞は、「民主党も『政権責任』を分担せよ」と題する、大連立を求める社説を掲載した。直後、与謝野馨も渡辺に食事に誘われ、大連立構想を打ち明けられた。与謝野は渡辺の盟友、元首相・中曽根康弘の秘書も務めた。
 ただ、与謝野はこの時期、安倍改造内閣での官房長官就任を打診されていた。与謝野は「安倍政権をどうするか頭がいっぱいで、なかなか本気にできなかった」と漏らしている。
 21日、渡辺は民主党幹事長・鳩山由紀夫を、自分が主宰する政治評論家らの集まり「山里会」に招いた。鳩山は、この時の様子を自身のメルマガで明らかにしている。
 渡辺は「年金問題や税制、憲法や安全保障など多くの懸案事項を一挙に解決するために、大連立が必要だ」と力説した。これに対して鳩山は「大連立を組んでも、その後の選挙では敵味方になって戦うことになり、連立もうまく機能しない」と疑問を呈する。
 すると渡辺は「大連立を組んで懸案を解決した後、選挙制度を中選挙区制に戻せばよい」と切り返した

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 まだ安倍政権下の8月下旬から9月上旬、小沢と渡辺は会談した。この事実は小沢が11月7日の記者会見で、「2カ月ほど前、さる人から呼び出された」と、相手の名前を明示せずに明らかにした。
 小沢は大連立を勧める「さる人」(渡辺)に、「民主党は今、衆院選も力を合わせて頑張ろうという雰囲気だ。そういう話は現実に政権を持っている人が判断すべきだ」と話したという。

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 渡辺によって大連立の種がまかれ、小沢も関心を示した。ただし、大連立は安倍退陣が前提だった。選挙で民主党と激しくぶつかり合って敗れ、求心力を失った政権下では誰もが大連立は難しいという認識だった。
 「第1場」では、大連立へのリアリティーは希薄だった。

■第2場 加速

◇9月20日 加藤氏「for whatが大事です」/岡田氏「悪魔のささやきですね」

 9月12日、安倍は突然、辞任を表明した。心身ともに追い込まれた安倍は、背後で進む大連立構想をどこまで意識していたのか。
 キーになるのが、辞任会見での「小沢氏に党首会談を断られ、辞任によって局面を打開したい」との発言だ。

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 8月の段階で、安倍降ろしによる福田内閣誕生と、その下での大連立政権の動きがあることは、情報として首相秘書官・井上義行から安倍に伝わっている。
 体調のすぐれない安倍はどういう思いだったのか。
 安倍はオーストラリアでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席した際に、インド洋での海上自衛隊の給油活動継続に「職を賭す」と宣言した。
 これは小沢との党首会談で突破口を開こうという最後の賭けでもあった。
 安倍は側近らと小沢の動きについて、幾通りかのシミュレーションをした。
 その中には次の1項目も盛り込まれた。
 「小沢が政策協議に応じる条件として、安倍の辞任を求めた場合」
 何の根回しもない党首会談が成立するわけもない。断られた時点で、安倍は「小沢は辞任を求めている」と判断したらしい。
 強気の野党と身内の与党からの退陣論に安倍は絶望し、辞任しか局面打開の方法はない、と思い詰めたとみられる。そして言葉通りに、辞任は大きな局面転換になった。

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 首相が福田に代わり、一気に大連立構想は加速した。
 元幹事長・中川秀直は9月の「山里会」で、「連立をしないと政策は実現しない」と強調した。出席者の一人から「大政翼賛会になりはしないか」との疑問が呈されると、渡辺とともにドイツなどの「大連立」の事例を挙げて、反論した。
 9月20日には渡辺と元幹事長・加藤紘一との会談もあった。加藤は強い体制ができたら、崩壊している地域コミュニティーの再生はできないものか、と持論を語った。そして目的の設定を求めた。
 「for what(何のためか)が大事ですね」
 一方、加藤と盟友の山崎拓は、渡辺に反対論をぶち、激怒されている。
 大連立を組む上での民主党のキーパーソンは、副代表・岡田克也だった。連立反対派の代表格で、「ポスト小沢」の有力候補。かつて民主党代表に就任した時から渡辺とは年2回ほどの会合を持っている。
 今回、岡田とも大連立構想を話し合った。岡田は渡辺に言った。
 「悪魔のささやきですね」

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 10月中旬になると、前防衛事務次官、守屋武昌のゴルフ接待スキャンダルなどで国会は見通しのつかない状況になっていた。11月1日のテロ特措法の期限切れは確実となった。与党内からは混乱を避けるためにも、11月10日の会期末に国会を閉じるべきだとの意見も出ていた。
 一方、国会の対立とは逆にしばらく音さたのなかった小沢サイドから、福田のもとに人を介して大連立への具体的な動きを促す声が入った。
 福田、小沢、渡辺、元首相・森喜朗らが互いに意見交換を重ねるうちに党首会談、大連立協議への流れは熟成していった。
 10月19日、小沢は京都大学で講演をした。その際に「ねじれを日本国憲法は想定していない。こういう事態で国民のための政策を実現するのは枠組みを変えるか、仕組みを変えるしかない」という趣旨の発言をした。
 講演は非公開。記者への説明役の元議員は振り返る。
 「代表は何かやる気かもしれないと思った。瞬間、これは記者に知られるとまずいと思い、ブリーフではその部分に触れなかった」

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 そして10月25日を迎える。
 福田・森会談▽渡辺・中曽根・与謝野・氏家斉一郎(日本テレビ取締役会議長)の会合▽森・小沢会談――三つの会合が重なったこの日は、党首会談に向けた最終準備となった。
 東京・紀尾井町の日本料理店「福田家」では、中曽根らが会合を催した。官房長官を退いた与謝野の慰労が名目だったが、年少の与謝野が写真係となった。こんなやりとりがあったという。
 中曽根が口火を切った。「渡辺さん、衆院選前にも大連立が実現するんですか」
 中曽根89歳、渡辺81歳。2人は50年近い交際があるが、口調は互いにていねいだ。
 渡辺は「うんうん、できます。近々おもしろいことが起きます」
 党首会談を暗示する一言だった。

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 28日、東京・赤坂のANAインターコンチネンタル東京で開かれた与謝野と小沢の「囲碁対決」は話題を呼んだ。 政界屈指の打ち手である与謝野が15目半の大差で負けたのは、大連立のパートナーに気を使ったためだという憶測も流れた。
 小沢は同ホテル内の囲碁サロンの常連。対決の仕掛け人の一人は、サロン・マネジャーのアマチュア棋士・稲葉禄子だ。参院選投票日前後にも、このサロンにいたという目撃談があるほど、小沢は囲碁にはまっている。
 与謝野は「囲碁は小細工はできないし、仕掛けなどない。小沢さんが、あれだけマスコミにさらされるのは珍しいケース。大連立になった場合は友好関係の証しになったと思う」と話す。
 そして小沢は、党首会談で強烈な一手を打ってきた。

■第3場 対決

◇11月2日朝 小沢氏、役員会設定を指示

◇同日夕 青木氏「うまくいきそうだ」

 「私は小沢さんと個人的に話したことはない。エレベーターの中ですれ違うぐらい。評価までは、とてもまいらない」(9月21日、日本記者クラブ主催総裁選討論会)
 福田が小沢についてこう語るように、2人は森、渡辺らを通じて互いの意向を探りつつ、10月30日の第1回会談に臨んだ。

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 国会内の常任委員長室で、2人の会談は45分に及んだ。
 年金など社会保障問題も話題に上ったが、主題は自衛隊の海外派遣問題だった
 新テロ対策特別措置法案をベースとして日米同盟の重要性を説く福田に対し、小沢は国連決議が海外派遣の前提とする原則を譲らなかった。
 また小沢は大連立を組む場合、公明を外せないかと迫ったという。「公明党外し」は10月25日の森・小沢会談でも話題になり、森は拒否していた。福田は強く断った。
 この日の会談では、大連立も話題になったが、まだ合意はない。福田も記者団に「そこまでいかなかった。考えるのは自由だが、実行可能なことを考えてもらわないといけない」と話している。
 1回目と2回目の会談の間の数日、福田と小沢の対応には違いが出た。
 福田や森は大連立へ発展することも想定して、中川や官房長官・町村信孝を党内調整に走らせた。

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 一方、小沢はすべてを自分の胸にしまい込んだ。
 11月2日朝、小沢は党首会談終了後に役員会を設定するように鳩山に指示した。
 その話が流れると、民主党内には緊張が走った。金曜日だが、地元には帰らずに国会周辺で待機する幹部が目立った。
 岡田は振り返る。
 「大連立の話が出る、これは危ないと思った。金曜日の夕方だとそのまま週末を迎え、何かあればそのことが既成事実化するという不安感がよぎった」

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 第2回会談は2日午後3時から始まった。自衛隊の海外派遣問題が引き続き話し合われた。
 小沢はその場で自分の考えをメモにして福田に渡した。
 福田は「国連決議だけの有無でいいのか。相談させてほしい」と検討を約束した。
 小沢が書いたメモには「特定の国の要請で派遣はできない」という文言も入っていたらしい。福田は「それはアメリカしかない。そんなの入れない方がいいですよ」と言った。小沢は「米国の言いなりにはならない」とまで口にしたという。
 国連のお墨付きがあれば何でもできるという論法は、憲法違反にならないか。福田は携帯電話でその場から防衛相・石破茂らにも問い合わせた。

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 福田は政策協議から大連立に発展させるプロセスを考えたが、小沢は大連立の約束にこだわったという
 福田にすれば、党内の小沢アレルギーは根強く、それは町村らの党内調整でも感じ取った。まず政策協議をして、どんな形であれ新テロ特措法案をはじめ他の法案が成立すればいいと思っていた。
 結局、福田は小沢の熱意と「まとめる」という自信に乗った。大連立への最終調整のため会談は、午後4時過ぎにいったん中断した。

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 同日夕、都内のホテルでは元首相・竹下登の実弟の衆院議員、竹下亘の政治資金パーティーが開かれた。亘の妻は小沢の妻の実妹でもある。
 会場には渡辺や前参院議員会長・青木幹雄もいた。会談内容の報告を受けた青木は、旧知の議員を見つけ、興奮状態で「うまくいきそうだ」と告げた。
 かつてのような影響力を失った津島派(旧竹下派)の大幹部として、一度はたもとを分かった小沢と手を組むことへの興奮だった。
 青木は周囲に「ナベツネ(渡辺)さんは情に厚い人。私とは兄弟のような付き合いだわね」と話した。

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 会談は午後6時半に再開された。福田は、恒久法に自衛隊派遣は国連の承認を必要とする原則を盛り込むことを承知した。

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