ちょっと古くなりましたが、17日におこなわれた日本記者クラブの党首討論会について、ブログ「世に倦む日日」で、「各党討論は志位和夫の8分間が圧巻だった」との評価が書かれていました。
世に倦む日日 6党党首討論 – 志位和夫のエクセレンス、福島瑞穂のプログレス
僕も党首討論を見ましたが、志位さんはそうはいってもやっぱり麻生首相と論戦すると思っていたので、8分間をまるまる鳩山民主党代表との論戦に費やしたのは、正直驚きました。
しかし、終わってみれば、志位さんの選択は正解だったと思います。
ちょっと古くなりましたが、17日におこなわれた日本記者クラブの党首討論会について、ブログ「世に倦む日日」で、「各党討論は志位和夫の8分間が圧巻だった」との評価が書かれていました。
世に倦む日日 6党党首討論 – 志位和夫のエクセレンス、福島瑞穂のプログレス
僕も党首討論を見ましたが、志位さんはそうはいってもやっぱり麻生首相と論戦すると思っていたので、8分間をまるまる鳩山民主党代表との論戦に費やしたのは、正直驚きました。
しかし、終わってみれば、志位さんの選択は正解だったと思います。
今日は、南関東方面ウロウロ旅のために、千葉ニュータウン中央駅までお出かけ。ということで、北総鉄道に初めて乗りました。(^_^)v
といっても、写真は仕事をすませたあと帰りに撮ったものなので、正確には初乗りじゃなくて2度目です。
先日、中曽根康弘氏との対談で、「密約文書は見ていないんですか」と問いただした共産党の不破哲三・前議長が、ふたたび今週の『サンデー毎日』(8月23日号、8月11日発売)に登場。
誌面には、不破さんがアメリカの情報公開制度を利用して入手した「核密約」の「現物」の写真も紹介されています。
午前5時過ぎ、寝ていましたが、最初の揺れで目が覚めました。(狭い部屋に本棚がぎっちりならんでいるので、地震が起きると本の下敷きになる危険があります)
震源は駿河湾で、マグニチュード6.66.5だそうです。静岡県内では震度6弱も観測されたそうですが、はたして大丈夫でしょうか。
それにしても、昨日は東海南方沖でマグニチュード6.9の地震、そしてこんどは駿河湾(御前崎の北東40kmというから、ほんとに駿河湾内ですね)。心配です。
6月の失業率が発表された。5月よりさらに0.2ポイント悪化して、完全失業率は5.4%に。過去最悪は2003年4月の5.5%で、それにあと0.1ポイントとなったが、現在は5カ月連続で悪化しており、もはや過去最悪突破は確実だろう。
6月失業率5.4%、最悪に迫る 求人倍率最低、0.43倍 : NIKKEI NET
総務省統計局の発表データはこちら。↓PDFファイルが開きます。
『剰余価値学説史』を読んでみると、マルクスは、すでにリカードウを自家薬籠中の物にしている。『57-58年草稿』の学説史の部分を読んでみても同じ。
そもそも1851年に、エンゲルスにたいして、古典派経済学はリカードウ以来なんの進歩もしていないと書いて送っているのだから、そのころにはすでに十分読みこなしていたと考えられる。
しかし、リカードウの『諸原理』を読んで、あそこからマルクス的な労働価値学説を引き出すには、かなりの読みこなしが必要なはずで、いったいマルクスは、どんなふうにリカードウあるいは『諸原理』を読んでいったのだろうか?
岩波科学ライブラリーの最新刊の1つ。倉谷うらら『フジツボ 魅惑の足まねき』。
フジツボと言われると、みなさんはどんなイメージをもたれるでしょうか? 本書でも紹介されていますが、「ビッシリ、ベッタリ、気持ち悪い」などなど。ところが、これがフジツボ研究者に言わせると、「可愛い、チャーミング、繊細、わくわくする、蠱惑的」等々。著者は、フジツボに敬愛をこめて、これをFと呼んでいます。
で、そのフジツボ、分類学的にはいったい何の仲間なのか?
東京フィルハーモニー交響楽団 第775回サントリー定期シリーズ
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 op.73
指揮:チョン・ミョンフン/コンサートマスター:三浦章広
サントリーホール/2009年7月24日 午後7時開演
今日は、サントリーホールで、チョン・ミョンフン×東フィルによるブラームス・チクルスの第1夜。交響曲第1番と第2番という重厚なプログラムでした。
イギリスのデイリーテレグラフ紙が「景気沈滞で共産主義にむかう日本人」という記事を掲載。
42歳のサラリーマン、オバタ・ケイスケさんなどを登場させて、「共産主義が答えなのかも知れない」という声を紹介しています。
オーストラリアのABCラジオのニュースで、日本共産党が取り上げられました。インタビューでは、日本共産党の志位和夫委員長だけでなく、最近日本共産党に入党した29歳の青年サトミ・ケンタロウさんも登場しています。
『資本論』第13章「機械と大工業」の第8節eで、マルクスは、工場法を導入することによって、かえって生産力の発展が促される、という話をしています。そのなかで、注278がついているところ(ヴェルケ版ページで500ページ)に、陶器の作り方の話が出てきます。
これは、製陶業での技術改良の話を、『工場監督官報告』から引用しているところなのですが、そのなかに、こんな表現が出てきます。(新日本新書<3>820ページ。大月書店全集版620ページ)
蒸気による代わりに圧力によって陶土漿をつくる改良された方法……
陶土漿というのは、陶器用の土に水を混ぜてドロドロにしたものであるとの訳注が、新日本版にはついています。しかし、蒸気で陶土漿をつくるかわりに圧力で陶土漿をつくる、って、いったいどういうことなんでしょうか? どう考えても、よく分かりません。
この部分、大月版では、「蒸発によらないで圧力によって陶土漿(slip)をつくる」となっています。蒸気と蒸発では、全然意味が違ってきますが、それもまた疑問。謎が謎を呼ぶばかりです。
自転車がバンクしてしまったので駅前の自転車屋さんで修理してもらいました。待ち時間のあいだに、近くの書店で見つけた月刊『言語』(太修館書店)8月号。手話については、前から、一番身近にある「外国語」として興味があったので、さっそく買い込んで、近くの喫茶店でぱらぱら読んでみました。(^^;)
『資本論』第1部第3章「貨幣または商品流通」の第3節「貨幣」b「支払手段」の終わり近く、注(107)がついているところで、マルクスは、次のように書いています。(上製版Ia、238ページ、新書版第1分冊、239ページ)
支払手段の通流速度にかんする法則の帰結として、どんな起源をもつ支払いであろうと、すべての周期的支払いにとって必要な支払手段の総量は、諸支払期間の長さに正比例する。
この部分、長谷部文雄氏の翻訳では、次のようになっています。
支払い手段の通流速度にかんする法則からして、その起源のいかんをとわずすべての周期的な支払いにとっては、支払手段の必要分量は支払期間の長さに逆比例する、ということになる。
ご覧のように、新日本訳で「正比例」となっている部分が、長谷部訳では「逆比例」(反比例)と、正反対の意味に訳されています。「正比例」か「反比例」か、 どっちが正しいのでしょうか?