本日のお買い物。読む余裕があるのかどうかわからないけどね
松本有一『ピエロ・スラッファ 非主流の経済学者』(関西学院大学出版会、2021年10月刊)
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woの先行詞は「南部」か?
資本論第2部第3編「社会的総資本の再生産と流通」、第20章「単純再生産」、第12節「貨幣材料の再生産」の最後のあたりで、奴隷制度の話が出てくるところに、次のような文章が登場する。
……アメリカ合衆国においてさえ、北部の賃労働諸州と南部の奴隷諸州とのあいだの中間地帯が南部のための奴隷飼育地帯に転化した──したがって南部では奴隷市場に投じられる奴隷そのものが年々の再生産の一要素となった──あとでも、かなり長いあいだそれだけでは不足で、なお可能な限りの長期間にわたってアフリカとの奴隷貿易が市場を満たすために営まれ続けた。(新日本新書版、第7分冊、770ページ。MEW S.475)
大月書店の岡崎訳も岩波文庫の向坂訳も、基本的に同じ翻訳になっている。しかし、この翻訳で前から疑問だったのは、一方では、「中間地帯」(中間諸州)で南部諸州のために奴隷が「飼育」されたと書きながら、他方で南部で奴隷が「年々の再生産の一要素となった」と書かれていることだ。奴隷を「飼育」したのが「中間地帯」なら、南部では奴隷は「年々の再生産の一要素」にはなっていないし、南部で奴隷が「年々の再生産の一要素」になっていたのであれば、中間諸州で奴隷を「飼育」する必要はない。
だから、本当にマルクスが、中間諸州が奴隷「飼育」地帯となったのに、南部で奴隷が再生産されるようになったと書いているとしたら、マルクスは随分と筋の通らないことを言っているなあと思って、それがずっとモヤモヤしていた。
Google Booksではいろんなものが見つかってしまう件(続き)
Google Booksで見つかるのは『資本論』の原本だけではない。マルクスが『資本論』を執筆するにあたって利用したさまざまな文献のコピーもGoogle Booksでは見つかる。
マルクスが「機械論」を執筆するさいに勉強した「諸国民の産業」The Industry of Nationsもその1つだ。
Google Booksで資本論の各版が見つかる件
Google Booksを検索してみると、マルクス、エンゲルス関係、資本論関係のさまざまな文献が見つかる。まず、『資本論』そのもの。第1部では、初版(1867年刊)は見つからないが、それ以外はコピーが公開されている。
探し方は、簡単。
『経済学批判』27ページとはどこか?
『資本論』第3部第19章で、マルクスは、「貨幣制度一般が、どのようにして最初、異なる諸共同体間の生産物交換のなかで発展するかについて、私はかつて指摘したことがある」と述べて、そこに注(42)を付して、『経済学批判』(ベルリン、1859年)の27ページを上げている。
新日本出版社版では、ここに訳注がついていて、邦訳該当ページとして、『全集』第13巻(『経済学批判』が収められている)の19ページを指示している。大月書店版では、ヴェルケ版のページで21ページとなっているが、『全集』で確認したらすぐ分かるように、指示した個所は同じだ。
ところが、どうもこのページが違うようなのだ。
そこで、まず『経済学批判』の原書を確認してみた。いまは便利な世の中で、Google Booksを探すと、ちゃんと『経済学批判』のコピーのPDFファイルが見つかるのだ。冒頭の写真はその27ページだ。
資本論第3部第17章「商業利潤」の翻訳について
資本論第3部第17章「商業利潤」を読んでいて、どうしても日本語として意味不明なところにぶつかってしまった。それはヴェルケ版のページで308ページの終わりから309ページにかけて、商人資本が商業労働者の賃金を支払うために前貸しする可変資本部分にたいして、どうして利潤が支払われるのか?という「困難」を考察した部分。
ここは、もともと「『資本論』のなかできわめて難解な個所に属する」(有斐閣『資本論体系』5「利潤・生産価格」、100ページ)と言われている部分。エンゲルスの編集はおおむねマルクスの草稿どおりなのだが、もともと草稿の文章が入り組んでいるため、邦訳を読んでいても、マルクスが何を論じているのか、文意を追うことさえ難しい。
たとえば、新日本出版社の資本論ではこうなっている。ここでマルクスは、純粋に商品資本の形態転換のために必要な追加資本をB、またその過程で消費される不変資本をK、形態転換を遂行するために必要な労働にたいする支払いをbとして、BおよびKについて検討したあと、問題はbについてであるとして、bおよびbにたいする利潤がどのように商人に支払われるのかという問題に考察を加えている。