どんな本を読めばいいのやら

90年代から最近まで、日本経済が全体としてどんなふうに動いてきたのか、概括できるような本はないのかなぁ…。金融がどうなったとか、自動車はどうしたとか、個別テーマの本はいろいろあるけれど、もっと全体を概括したものはないんでしょうか。

ご存じの方、教えてください。m(_’_)m

予定外の出費…

奥平康弘『「萬世一系」の研究』

ちょっと買っておきたいものがあったので、仕事帰りに本屋さんに行ったら、こんな本を見つけてしまいました。

奥平康弘『「萬世一系」の研究 「皇室典範的なるもの」への視座』(岩波書店、3月新刊、4900円+税)

副題は、いかにも奥平さんという感じ。しかし、予想外の出費でした…。(^^;)

永原慶二『下克上の時代』(中公版「日本の歴史」第10巻)

下克上の時代

永原慶二先生の『下克上の時代』(中公版「日本の歴史」第10巻)を久しぶりに読みました。親本は1965年刊で、僕自身は、多分(←記憶あいまい)大学に入ってすぐの頃に旧文庫版で読んだと思います。この度、新しく版を起こして、文庫で再刊されました。

その後、永原先生は、いわゆる一般向け通史としては、1975年に小学館版「日本の歴史」第14巻『戦国の動乱』を、1988年に同じく小学館の「大系 日本の歴史」第6巻『内乱と民衆の世紀』を執筆されています。前者は、その後、大幅に加筆・修正し、『戦国時代 16世紀、日本はどう変わったのか』と改題の上、2000年に小学館ライブラリーに上下2冊で収められました。後者は、90年代に「大系 日本歴史」全体が同じく小学館ライブラリーのシリーズとして再刊。どちらも現在入手可能です。

続きを読む

的場昭弘『マルクスを再読する』

マルクスを再読する

最近読み終わったのは、的場昭弘『マルクスを再読する 〈帝国〉とどう闘うか』(五月書房、2004年6月刊)。的場氏は、もともと一橋大学社会科学古典資料センターのアーカイビストで、現在は神奈川大学教授。最近、『マルクスだったらこう考える』(光文社新書)も刊行されていますが、内容はほぼ同じ。でも、『再読する』の方が何を考えているかがよく分かると思います。

最近さかんにマルクスを掲げ注目される的場氏ですが、結論からいうと、氏のマルクス論は……

続きを読む

とりあえず昨日今日買ったもの、読んだもの

この間買った本。

  • 関志雄『共存共栄の日中経済』(東洋経済、新刊)
  • 八代尚宏・鈴木玲子『家計の改革と日本経済』(日本経済新聞社、新刊)
  • 山之内靖『受苦者のまなざし 初期マルクス再興』(青土社、2004年11月刊)
  • 今村仁司・三島憲一他『現代思想の源流』(講談社、2003年刊)
  • 古井倫士『頭痛の話』(中公新書、新刊)
  • 岩井忠熊『陸軍・秘密情報機関の男』(新日本出版社、新刊)
  • 建部正義『はじめて学ぶ金融論〔第2版〕』(大月書店、新刊)
  • 加藤周一『歴史の分岐点に立って 加藤周一対話集5』(かもがわ出版、新刊)
  • 宮澤誠一『明治維新の再創造 近代日本の〈起源神話〉』(青木書店、新刊)
  • 松野誠也『日本軍の毒ガス兵器』(凱風社、新刊)
  • F・コワルスキー『日本再軍備』(サイマル出版、1969年)=古本

ということで、完全に買いすぎです…。(^^;)
続きを読む

雪でした

東京3月の雪は、7年ぶりだそうです。
といっても、昼頃にはやんでしまったし、夕方帰る時には、もうほとんど溶けてます。問題は、明日の朝ですね。中途半端に溶けたのが凍ると、危ないぞ?

超簡単!ブャ??入門

昨日、増田真樹『超簡単! ブログ入門』(角川oneテーマ21、本体705円)を買ったんですが、帰りの電車の中(約30分)で読めちゃいました。ブログを見たことも触ったこともないという人に、ブログの楽しさを伝えちゃおうという趣旨の本なので、僕が読んでも仕方ないんですけど。(^^;)

ブログの楽しさって、始めてみればすぐ分かるというか、始めてみなきゃ分からないというところがあって、すでに十分楽しんでる人間からすると、ちょっと歯がゆいところもあります。でも、ブログがこれまでのホームページや掲示板とどう違うのか、いろんな角度から紹介されています。

で、僕が思うに、ブログの一番の魅力は、コンピュータとブラウザさえあれば、あるいは携帯電話があれば、いつでも、どこからでも更新できるところだと思うんですけど。どうでしょう?

『現代思想』マルクス特集号

いまさらとは思うが、『現代思想』2004年4月臨時増刊「総特集 マルクス」を読み始めました。筑摩の「マルクス・コレクション」といい、マルクスが出版ジャーナリズムでいろいろ取沙汰されるのはよいのですが、問題はその中身です。

全部は読み終わっていませんが、これまで読んだところで、いろいろ感想を。
続きを読む

筑摩版『資本論』

筑摩書房から新しく出た『資本論 第1巻』を読み始めました。

とりあえずぱらぱら読み始めた印象では、細かい訳注などがいっさいない(簡単なものは割り注で入っているが)ので、意外と読みやすいというのが一番。あと、強調(ゴチック)がたくさんあるのも特徴です。後者は、邦訳「マルクス・エンゲルス全集」などの底本となっているDietz社のWerke版ではいっさい省略されているものを、同じDietz社の普及版(1953年)を参考に復活させたとのこと。従来の邦訳資本論にはなかったもので、結構たくさん出てきます。

ところで、これまで読んだところで、誤訳(もしくは誤植)と思われるのは――

(1)上巻68ページ13行目、および、同72ページ8行目の「人間労働の支出」のところは、独文はArbeitskraftなので、「人間労働力の支出」と訳されるべき部分です。同じ68ページの15?16行目では、「人間の労働」と「人間の労働力」がきちんと訳し分けられているので、たんなるミスか、それとも誤植なんでしょうか。しかし、2カ所もというのはちょっと解せません。

(2)上巻171ページ、注73の3行目と4行目の「資本制生産様式」。原文はProduktionsprozesses(「生産過程」)なので、ここも訳が違っています。そのあとに出てくる「生産様式」はProduktionsweiseなので、正しい翻訳になっています。

こなれた日本語にするために、いろいろ努力されていますが、上記2点は誤訳もしくは誤植と言わざるをえません。

ジョン・ベラミー・フォスター『マルクスのエコロジー』

マルクスのエコャ??ー表紙

ジョン・ベラミー・フォスター氏は、『独占資本主義の理論』(鶴田満彦監訳、広樹社、1988年)などの著書で知られるアメリカの経済学者。現在はオレゴン大学教授(社会学)。

で、この本は、最初は「マルクスとエコロジー」という題名で書かれる予定だったが、執筆の過程で「マルクスのエコロジー」に変わったという。著者によれば、マルクスに対するエコロジーの側からの批判は、次のような6点にかかわっている。

  1. マルクスのエコロジーにかんする記述は「啓発的な余談」であって、マルクスの著作本体とは体系的に関連づけられていない。
  2. マルクスのエコロジーにかんする洞察は、もっぱら初期の「疎外」論から生まれたもので、後期の著作にはエコロジーにかんする洞察は見られない。
  3. マルクスは、結局、自然の搾取という問題へのとりくみに失敗し、それを価値論に取り込むことを怠った。
  4. マルクスは、科学の発展と社会変革がエコロジー的限界の問題を解決し、未来社会ではエコロジー的問題は考える必要がないと考えた。
  5. マルクスは、科学の問題やテクノロジーの環境への影響に関心を持たなかった。
  6. マルクスは、人間中心主義である。

著者は、こうした見方が、マルクスが批判した相手の議論であって、マルクスのものではないことを明らかにしていくのだが、その詳細は省略せざるを得ない。

面白いのは、こうした問題とかかわって、著者が、自分のマルクス主義理解を問題にしていること。「私のエコロジー的唯物論への道は、長年学んできたマルクス主義によって遮られていた」(まえがき)と書いて、次のように指摘している。

私の哲学的基礎はヘーゲルと、ポジティヴィズム〔実証主義〕的マルクス主義に対するヘーゲル主義的マルクス主義者の反乱に置かれていた。それは1920年代にルカーチ、コルシュ、グラムシによって始められ、フランクフルト学派、ニュー・レフトへとひきつがれたものであった。……そこで強調されたのは、マルクスの実践概念に根ざした実践的唯物論であり、……このような理論の中には、自然や、自然・物質科学の問題へのマルクス主義的アプローチが入り込む余地はないように思われたのである。……私が自分の一部としたルカーチやグラムシの理論的遺産は、弁証法的方法を自然界に適用することの可能性を否定した。それは基本的に領域全体をポジティヴィズムの手に譲り渡すことになると考えたのである。……私の唯物論は、完全に実践的な、政治経済学的なものであり、哲学的にはヘーゲルの観念論とフォイエルバッハによるその唯物論的転倒から知識を得たものだったが、哲学と科学内部における唯物論のより長い歴史については無知だった。(本書、9?10ページ)

著者はまた、「唯物論を実践的なものにする際に、マルクスは自然の唯物論的把握への、つまり存在論的および認識論的カテゴリーとしての唯物論への一般的な関わりをけっして放棄しなかったということである」とも指摘している(同、23ページ)。
続きを読む

戸田山和久『科学哲学の冒険』

科妥??妣??冒険表紙

科学哲学というと、論理実証主義とか構成主義とか、あまりロクでもない観念論的議論が多くて、鬱陶しいだけと思っていたのですが、この本は、科学的実在論の立場に立ち、「それでも科学は実在を捉えている」というのが結論。また、筆者の戸田山氏は、前著『論文の教室』(NHKブックス)が意外に良くて(けっこう文章は乱暴でしたが)、論理の筋道の展開の仕方が分かりやすく、僕の感覚に近いところがあると思っていました。それで、とりあえず買ってきました。

開いてみると、これも会話形式で書かれていて、科学哲学専攻のセンセイ、それに理系のリカコさんと文系・哲学好きのテツオくんというベタな名前の学生が登場。センセイの研究室で、お菓子を食べながら、哲学談義をするという趣向になってます。で、テツオくんが、論理実証主義や反実在論など、いかにも文科系の哲学オタクがはまりそうな議論を持ち出すのにたいし、リカコさんが、科学(この場合は自然科学)をやってる人間として、そんな議論は間違ってると反論し、その2人に引きずられて、センセイが科学哲学とは何か、実在と科学との関係をどう考えるかを述べるというふうになっています。
続きを読む

今日のお買い物

今日は、いろいろと本を買い込んでしまいました。

  • 鹿野政直『兵士であること 動員と従軍の精神史』(朝日選書、2005年1月刊、定価1300円+税)
  • 大澤真幸『現実の向こう』(春秋社、2005年2月刊、定価1800円+税)
  • 戸田山和久『科学哲学の冒険――サイエンスの目的と方法を探る』(NHKブックス、2005年1月刊、定価1120円+税)
  • ジョン・ベラミー・フォスター『マルクスのエコロジー』(こぶし書房、2004年4月刊、定価5600円+税)
  • 『思想』〈知覚の謎〉2005年2月号(定価1200円)
  • 『現代思想 特集・脳科学の最前線』2005年2月号(定価1300円)

もともとは、フォスターの『マルクスのエコロジー』を買おうと思って書店に立ち寄ったのですが、あれよあれよという間に、1万円近い買い物になってしまいました。
続きを読む

関口裕子『日本古代家族史の研究』(途中経過)

関口裕子さんの『日本古代家族史の研究』、ようやく上巻の390ページあたりまで来ました。ようやく全体の3分の1を超えたあたりでしょうか。

少しずつ関口さんの考えていたことが見えてきました。

1つは、古代の家族が家父長制かどうかという議論以前の問題として、そもそも古代において「家族」が成立していたのかどうか、ということ。関口さんの考えだと、当時の婚姻形態は対偶婚なので、「家族」も共同生活が続く限りでしか存続しない。したがって、家族が「所有」や「経営」の主体になるということはありえない。そういうことになります。

なぜ班田収授法で、男女ともに、個人を単位として班田が給付されたのか? もし、永続的な家族が成立しているとしたら、仮に妻や娘が死んだからといって、班田が取り上げられるということがありうるのか? むしろ、そういう「家族」が成立していなかったからこそ、個人単位の給付になったのではないか?

関口さんは、実証的な論拠をたくさんあげておられますが、根本的には、上のような考え方があるのではないかと思います。従って、当然、当時の「戸籍」にのせられた郷戸は「作られたもの」ということになります。

また、家族を単位とした「所有」が成立していないから、当時の所有のあり方は、基本的に、用益している限りでの占有、ということになる、ということです。そういう点で、高群逸枝氏の研究とのつながりや、河音能平氏の『中世封建制成立史論』や戸田芳実氏の『日本領主制成立史の研究』などの参照が求められていることなどを興味深く感じています。
続きを読む

気になる本

関口裕子『日本古代家族史の研究』にかかりっきりなので、他の本を読んでいる余裕がないのですが、それでも気になる本がいろいろ…。

  • 橘木俊詔編『リスク社会を生きる』(岩波書店、2004年12月刊、3,045円)
  • 野田正彰著『陳真 戦争と平和の旅路』(岩波書店、2004年12月刊、1,890円)
  • 河島英昭著『イタリア・ユダヤ人の風景』(岩波書店、2004年12月刊、3,780円)
  • P・W・シンガー著/山崎淳訳『戦争請負会社』(日本放送出版協会、2004年12月刊、2,625円)

他にも、まだいろいろ気になってるのがあるのだが、問題は金と時間だ。…困った!

関口裕子『日本古代家族史の研究』

こないだから、関口裕子さんの『日本古代家族史の研究』(上下、塙書房、2004年2月刊)を読んでいます。上下合わせて1000ページ超、上下各12000円の分厚い学術書です。

ようやく上巻の140ページほど読んだだけで、まだ全貌どころかその片鱗をうかがうところにさえ至っていません。戦前、戦後の家族史・共同体史(論)を研究史的に検討した序論部分なのですが、研究史批判の基礎となる実証的部分は、その後の部分に出てくるので、なかなか関口さんの積極的な論の展開がみえないままで、苦労しています。(^^;)

ところで、

続きを読む

「精力善用」「自他共栄」

『丁玲自伝』を読み終えたので、こんどは計見一雄『統合失調症あるいは精神分裂病』(講談社選書メチエ)を読み始めました。講演録ということで、文章は相当に乱暴?ですが、つらつら読んでいたら「私の高校は加納治五郎という人が理事長だったので、柔道場に『自他共栄』って書いてあるんです」という文章にぶちあたりました。ということは、計見さんはわが高校の大先輩! 

わが校出身の精神科医が和田秀樹みたいなのばっかりじゃなかったことが分かり、安心しました。(^^;)

『丁玲自伝』

丁玲自伝

昨日(正確には一昨日)買ってきた丁玲著『丁玲自伝』(東方書店)ですが、今日(正確には昨日…あ〜面倒くさい)読み終えてしまいました。

同書は、丁玲が1933年に上海で逮捕され国民党によって3年間余り幽閉されていた時代のことを書いた「暗黒の世界で」(原題は『魍魎世界』)と、1957年の「反右派闘争」から「文化大革命」の時期の体験を書いた「風雪に耐えて」(原題は『風雪人間』)の2部構成です。

とくに上海で幽閉されている時期に、国民党によって、「丁玲は裏切った」というデマが流され、それが「反右派闘争」や「文化大革命」の時期に「右派」の証拠として持ち出されるなど、苦労を重ねることになります。しかし本書では、そうした境遇で苦しむ自分の気持ちとともに、そのとき、そのときのさまざまな人との出会い――そのなかには、裏切りや挫折もありますが、思いやりある人々との出会いがていねいに書かれていて、あらためて、革命運動というものはそうした人々の思いによって支えられ、継承され、発展していくものなのだということを強く感じました。

【書誌情報】著者:丁玲 Ding Ling/書名:丁玲自伝 中国革命を生きた女性作家の回想/訳者:田畑佐和子/出版社:東方書店/発行:2004年10月/INBN4-497-20415-4/定価:本体2400円+税

ストレス発散?ご乱行…

ストレスが溜まっているという自覚はないのですが、ふらふらと紀伊國屋書店に立ち寄り、目に付く本をあれこれと買い漁ってしまいました。(^^;)

佐佐木隆著『万葉歌を解読する』(NHKブックス、新刊)
日経12付書評で面白いと思ったのと、「万葉集の正しい読み方、教えます!」というオビに惹かれてしまいました。
林光著『私の戦後音楽史』(平凡社ライブラリー)
日本を代表する作曲家である林光氏の1945年8月を起点とした半自伝(?)となれば、読むしかない。俳優座の「フィガロの結婚」に徳球が来た話とか、中央合唱団の話なども登場します。
計見一雄著『統合失調症あるいは精神分裂病 精神医学の虚実』(講談社選書メチエ、新刊)
とりあえず計見氏の本は読んでみる。
竹田青嗣『人間的自由の条件 ヘーゲルとポストモダン思想』(講談社、新刊)
前に『群像』で読んだ論文などが収録されているので、つい仕方なく…。
丁玲著『丁玲自伝 中国革命を生きた女性作家の回想』(東方書店、10月刊)
丁玲は、丸山昇氏の『上海物語』にも出てきますが、戦前からの中国共産党員でありながら、反右派闘争、「文革」で「裏切り者」とされ、1984年になってようやく名誉回復された人です。
小林英夫・福井紳一著『満鉄調査部事件の真相』(小学館、新刊)
満鉄調査部事件というのは、1942年9月に満鉄調査部の堀江邑一、具島兼三郎、石田精一、深谷進氏らが治安維持法違反として関東軍憲兵隊に逮捕された事件。

仕事の締め切りがようやく終わり、日曜日は一日寝倒して、昨日、一昨日と連続して映画を見て、いささか疲れ気味で、今日はまた腰が痛くなってしまいました。ということで、映画を諦めて真っ直ぐ家へ帰るつもりだったんですけどねえ。(^^;)

このほかに、さらにインターネットで買ったものも…。

  • ヴィヴィアン・バー著『社会的構築主義への招待――言語分析とはなにか』(川島書店、1997年)←これはAmazonで買った。
  • 赤羽隆夫著『日本経済探偵術』(東洋経済新報社、1997年)←古本です

ということで、いったい読み切れるのかどうか…。困った、困った。

【本日のBGM】Ludwig Beethoven:Symphonie No.9 op.125/dir. Philippe Herreweghe/La Chapelle Rpyale, Collegium Vocale Orchestre des Champs Elysees/harmonia mundi HMX 2981687

『世界』1月号

締め切り前の忙しい時期ですが、昨日は、仕事帰りの満員電車の中で、久しぶりに『世界』を読みながら帰ってきました。毎月買ってはいても、まともに読むのは久しぶりです。(^^;)

まず読んだのは、池明観氏の連載「境界線を超える旅」。氏の半生をふり返った自伝的な連載ですが、ちょうど「韓国からの通信」を書き始めた時期のことが書かれています。そのとき僕はちょうど中学3年生で、『世界』という雑誌のことは全く知りませんでした。それがまとめられて岩波新書として刊行されたときには、自分で買って読んだ記憶がありますが、もとよりどれだけ理解していたか…。連載を読みながら、あらためて「維新体制」下の韓国民の暮らしを思い浮かべました。池明観氏が、金大中事件について「日本国民が韓国の問題にたいして近代史以降これほど人道的関心を示したことがあるであろうか」と述べておられるのが印象に残りました。

そのほか、河野洋平衆院議長へのインタビュー「日中『政冷』を憂慮する」、伊東光晴氏の論文、金子勝氏とA・デウィッ氏の論文をとりあえず読みました。

伊東光晴「景気上昇はなぜ起きたか」は、90年代不況の初期対策として増税をおこなうべきだったと主張しており、にわかには理解しがたいところもありますが、日本の場合、減税が景気刺激策として効果がないという指摘は説得力があります。注にあげられた赤羽隆夫『日本経済探偵術』、同「図解、2003年の経済」(『エコノミスト』2003年1月14日号)は読んでみる価値あり?

金子勝、A・デウィット「ネオコンからテオコンへ」は、前に「日刊ゲンダイ」の記事として紹介した話とテーマは同じですが、内容はずっと真面目なもの。<1>ブッシュはチェイニーなどに操られる人形だという漫画的理解とは異なって、ブッシュはホワイトハウスの政策決定過程において実際に大きな役割を果たしている、<2>ブッシュ自身がアドバイザーの人脈を非常に小さな均質なグループに限るようになりつつあり、政策を決定する際には、多くの情報にもとづく議論や熟考よりも、信仰心と祈りに強く裏打ちされた「本能的直感」を重視するようになっている、という米ジャーナリストの分析を紹介しています。

ジェフ・コリンズ著『ハイデガーとナチス』

ハイデガーとナチス表紙カバー

一昨日、朝の電車の中で『東アジア共同体』を読み終えてしまったので、次は、岩波書店のポストモダン・ブックスの新刊『ハイデガーとナチス』(ジェフ・コリンズ著)を読み始めました。といっても本文は80ページだけの薄い本なので、その日の帰りの電車の中だけで読み終わってしまいましたが。(^^;)

ハイデガーとナチス(あるいはナチズム)については、これまでもいろんな論者がたくさん論じていて、重要なテーマだと思うのですが、僕のような素人には、何が議論されているのか、とてもじゃないですが全体が見渡せない状態になっています。本書は、それを実に手際よくふり返りつつ、なぜこの問題がそんなに重要なのかを分かりやすく明らかにしています。
続きを読む