置塩信雄『蓄積論』(9)

第1章 資本制経済の基礎構造

4、実質賃金率と資本蓄積

c 蓄積需要と実質賃金率

  • ある時点における実質賃金率の水準は、その時点に存在する両部門の生産能力、生産技術を一定とすれば、これらの生産能力を所有する資本家の生産決定態度、資本家の蓄積需要、個人消費に依存する。これらの決定要因のうち、もっとも変動が激しく、他の諸要因をも変化させてゆくのは、資本家の蓄積需要である。(88ページ)
  • 資本家の蓄積需要が、その期の生産能力に比して高水準の時は、実質賃金率は下落し、蓄積需要が、その期の生産能力の比して低水準の時には、実質賃金率は上昇する。実質賃金率の運動の仕方を決めるのは、蓄積需要の絶対的な大きさではなく、その期の生産能力との相対的連関である。(89ページ)
  • その期の生産能力と蓄積需要の相対的関係は、今期に存在する生産財量に対する次期の生産財の増加分の比であらわすことができる。この比を資本蓄積率(資本の増加率)と呼ぶ。すると、各期の資本蓄積率の変化が実質賃金率の運動を引き起こすと言える。(90ページ)

高崎真規子『少女たちはなぜHを急ぐのか』

少女たちはなぜHを急ぐのか

「少女たちはなぜHを急ぐのか」というタイトルですが、「なぜ急ぐのか」だけを追いかけるのではなく、10代を含めた(その中には中学生もいる)女の子の、今どきの性行動を追跡調査したルポという感じです。

で、そのリアルな実態というのは、やっぱりそれは読んでもらうのが一番。結論めいたものを要約して紹介してみても、この手のルポの値打ちは伝わらないというのが正直なところです。しかし、「周りがやってたから、あせりもあった」「その場のノリで」「こんなに愛してくれるなら、申し訳なくて」という“受け身”でのsex。さらに「20歳過ぎたら終わりだよね」という感覚。このあたりに、「なぜ急ぐのか」を解く鍵がありそうだというのが著者の答えのようです。

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今日の買い物

今日(正確にはすでに昨日ですが)買った本です。

  • 石川康宏『現代を探求する経済学 「構造改革」、ジェンダー』(新日本出版社)
  • 高崎真規子『少女たちはなぜHを急ぐのか』(NHK出版、生活人新書)
  • 小松美彦『自己決定権は幻想である』(洋泉社新書)

またぞろ、いろいろな本の買い込み癖がうごめきだしたかな…? 気をつけねば。

1冊目は、優雅な女子大(しかもお嬢様学校)の先生でありながら、
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置塩信雄『蓄積論』(5)

第3章 資本制的蓄積と恐慌

4、反転

a、暴力的均衡化

上方への不均衡累積過程においては、次のような不均衡が累積していった。(イ)生産能力と市場の不均衡、(ロ)労働力供給と労働需要の不均衡、(ハ)諸商品の価値(労働生産性)と価格の不均衡、(ニ)各部門の利潤率の不均衡。
これらが、恐慌によって暴力的に均衡化される。(260ページ)

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置塩信雄『蓄積論』(2)

第2章 資本制的拡大再生産

4、「均衡」蓄積軌道

d、均衡蓄積軌道――技術変化のある場合

  • 生産技術が毎期一定率で変化する場合、実質賃金率が一定だとすれば、生産財部門の比重 λ は毎期上昇してゆく。つまり、このばあいには消費財1単位を生産するために直接・間接に必要な労働量が減少しているのに、実質賃金率が一定であるから、搾取率が上昇し、それが生産財の追加生産に回されるということ。
  • これにたいし、実質賃金率が労働生産性の上昇と同じ率で上昇してゆくとすれば、搾取率は不変にとどまり、生産財部門の比重は変化しない。ただしこれは、両部門における a1、a2(それぞれ1単位生産するのに必要な生産財の量)が変化しないというタイプの技術変化を想定したから。マルクスが想定したような、生産の有機的構成の高度化を伴うような生産技術の変化があった場合は、実質賃金率と労働生産性の上昇率と同一率で上昇し、搾取率が不変であっても、a1、a2が増加するから、生産財部門の比重は毎期増大してゆく。
  • 実質賃金率が一定であれば、生産財部門の比重 λ 、生産財生産の増加率 g は毎期上昇してゆかなければならず、もし実質賃金率が労働生産性と同一率で上昇すれば、λ と g は毎期不変となる。
  • このとき、消費財生産の増加率はどうなるか。もし、λ 一定なら、消費財生産部門の増加率は生産財生産部門の増加率と等しくなければならない。
  • それにたいし、実質賃金率がすえおかれて生産財生産部門の比重が毎期増大していく場合には、消費財生産部門の増加率は、生産財生産部門の増加率より小にならざるをえない。労働生産性の上昇率が充分に大きい場合には、消費財部門の生産量の変化はゼロまたは負になることもありうる。

(180〜181ページ)

新刊本を注文する

新刊本は、古本と違って、本屋へ行けばすぐ見つかると思っている人も多いでしょうが、学術書や専門書、それに小さな出版社の本などはよほど大きな書店に行かないと置いていません。刊行から少し時間がたつと、大きな書店でも置いていない場合もあります。
そういうときは、仕方なく本屋で注文……ということになりますが、取り寄せに2週間かかると言われると、「買いたいときが読みたいとき」という堪え性のない僕みたいな人間には、かなりやる気をそがれます。

そういうとき、便利なのがインターネットでの注文です。伝票が小売店→取り次ぎ→出版元と遡っていく手間がかからないので、早いものなら1日か2日で手に入ります。遅いものは1週間ほどかかることがありますが、それでも書店経由で注文するのとほとんど同じか、なお早いぐらいですから、書籍を注文するならインターネットがお薦めです。(一般小売り書店のみなさん、スミマセン……)
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古本を探す

社会科学系の書籍の出版事情が悪くなって、すぐに「版元品切・重版未定」になって入手できなくなってしまいます。岩波文庫、大月書店の国民文庫なども、軒並み品切です。で、どうするか? やっぱり古本屋をさがして見つけるのが一番です。
古本屋も、いまやインターネット時代。僕の地元の某古本屋のオヤジが言うには、売り上げでいうと3分の1が店売り、3分の1が他の古書専門店との取り引き、3分の1がインターネット販売という時代です。そういうこともあって、最近は、古書店側でもデータを整備して、インターネット取引に積極的に対応するようになってきました。汗水垂らして、神田や早稲田など古本屋を足まめに回らなくても、必要な本をもっと効率よくさがすことができます。

そこで、僕がよく使っている古書のインターネット検索を紹介します。
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藤家寛子『他の誰かになりたかった』

他の誰かになりたかった

この本を書いた藤家寛子さんは、アスペルガー症候群の25歳の女性。「自閉スペクトラムで知的障害が伴わなず、言語能力の高い『アスペルガー症候群』」だと、カウンセリングの先生の診断を紹介されています。

最近、このアスペルガー症候群という病気をよく耳にしますが、自閉症とどう違うのか、必ずしもよく分かりません。「自閉スペクトラム」という言い方もされるように、外に現われる症状でいえば相当の広がりがあって、だから「こういう症状が…」という外形的なとらえ方だとますます分からなくなるのかも知れません。
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読みたい本(追加)

読みたい本に、もう1冊追加。

  • ジャン・ジグレール『私物化される世界』(阪急コミュニケーションズ)

著者は、スイスの社会学者・元国会議員、現在は国連人権委員会で活躍中とのこと。「しんぶん赤旗」7/4の書評で、横浜国大の山崎圭一氏が「全体は〈理論→原因と結果→対策(社会運動)〉というように明確な構成」「グローバル化批判に食傷気味の勉強家にも、大変フレッシュな内容である」と紹介しています。

ところで、出版元の阪急コミュニケーションズですが…
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読んでみたい本

最近出た本で、読んでみたいと思うもの…。

  • ブルース・カミングス『戦争とテレビ』(みすず書房)
  • 『テロリスト・ハンター』(アスペクト)
  • ジョージ・ソロス『ブッシュへの宣戦布告 アメリカ単独覇権主義の危険な過ち』(ダイヤモンド社)
  • M・T・カウフマン『ソロス』(ダイヤモンド社)
  • ブルックス・ブラウン、ロブ・メリット『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー』(太田出版)
  • 藤家寛子『他の誰かになりたかった――多重人格からめざめた自閉の少女の手記』(花風社)

さっそく仕事帰りに書店に立ち寄ったのですが、『他の誰かになりたかった』は、売り切れていました。今日の「毎日」の特集記事で取り上げられていたからでしょうか? ということで、この本はインターネットで注文。ブルース・カミングスの『戦争とテレビ』を買い、さっそく読み始めました。
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置塩信雄『蓄積論』

置塩信雄先生の『蓄積論』を読んでいますが、これはなかなか相当な本ですね。

これじゃあ意味不明(^^;)ですが、こんなすごい中身だったとは…、なんでいままでちゃんと読まなかったんだろうと後悔することしきりです。この本の中で置塩氏は次のようなことを明らかにしています。

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この間、読んだものについてあれこれ(2)

『<帝国>を考える』(的場昭弘編、双風舎刊)という本を、たまたま本屋で見つけてぱらぱらめくっていたら、日本近代経済史の中村政則氏がこういうことを書いているのを見つけました。

 ……多分、冷戦崩壊後の1990年代になってからだと思いますが、わたしは古典的帝国主義の理論では、もはや世界は解けないと強く感じるようになりました。すなわち、独占資本主義=帝国主義だとすると、独占資本主義の国は他国・他民族を絶えず侵略し、植民地化していなければならないことになる。しかし、第二次大戦後の世界をみると、そうはなっていない。イギリス、フランス、ドイツ、そして日本など独占資本主義国を見ても、のべつまくなしに対外的軍事侵略、つまり帝国主義戦争をおこなっているわけではありません。やはり独占資本主義=帝国主義的侵略必然論は間違いではないかと考えるようになったのです。この隘路を突破するためには、帝国主義とは体制(構造〉ではなく、むしろ政策と考えたほうがいいのではないか。政策なら変えられます。……第二次大戦後は、アジア、アフリカ諸国が民族的独立を達成し、どんな強国といえども、他民族を侵略し、植民地化することはできなくなりました。いわば「植民地ぬきの帝国主義」が一般的となったのです。
 このように帝国主義を体制ではなく、政策として捉えるならば経済的要因もさることながら、<帝国主義>をささえる軍事戦略思想、軍事技術・兵器体系、帝国意識の研究が決定的に重要になってきます。(「プチ<帝国>としての日本」、157?158ページ)

中村氏は、独占資本主義=帝国主義という見方には疑問を呈していますが、だからといって、帝国主義的な侵略、世界戦略にとって、経済的要因が意味を持たないと主張しているわけではありません。経済的要因だけで見るのではなくて、軍事戦略思想や軍事技術、兵器体系、帝国意識などを視野に入れて、総合的に判断しようと言われているのだと思います。

同書は、神奈川大学2003年度秋期公開講座の記録で、中村氏の論文は2003年10月23日の講義がもとになっています。

この間、読んだものについてあれこれ(1)

桐野夏生のブーム再来です。

土曜日、外仕事へ行くので分厚い本は持って行けないということで、『錆びる心』(文春文庫)を持って出かけました。短編集で、こういう空き時間にちょこちょこっと読むには便利です。解説(中条昌平氏)にも書かれていますが、1つ1つのストーリーにはもはや「事件」さえ起こりません。にもかかわらず、そこに「何か」が起こっているのは確かで、その「何か」がもたらす「まがまがしさ」が、独特の「桐野ワールド」を生み出しています。ついつい引き込まれ、1日で読んでしまいました。

で、それにつられて、こんどは、新刊(と言っても2月刊ですが)『残虐記』(新潮社)を日曜日、世田谷美術館へのお出かけの“友”として読み始めました。ストーリーは、有名な小説家が突然失踪する。彼女は実は25年前、小学4年生のときに若い作業員に誘拐され、彼のアパートの一室で1年間監禁された被害者だった、というもの。これもかなり“怪しい”小説で、桐野夏生の筆(キーボードか?)は、彼はなぜ少女を誘拐したのか、その1年間に彼と彼女の間に何が起こったか、という“事件”よりも、“事件”が解決され、救出されたあとの彼女に向けられる世間の“好奇”の眼差しや、そういう眼差しにたいする少女の反応、そういうものへ向けられています。そういう点では、ある意味、『グロテスク』にも似ています。“事件”の魔力という“磁場”のなかでこそ現われ出る人間の本性をリアルに描く――そこに桐野夏生作品の醍醐味があるように思いました。

韓国映画を楽しむ

といっても、別に今日韓国映画を見てきたというわけではありません。実を言うと、「シルミド」をみようと映画館に行ったのですが、レディース・デーで行列ができていたのでそのまま帰ってきました。(^^;)

今日の「毎日」夕刊の記事によれば、「冬のソナタ」のおかげでNHKは昨年度だけでDVD、ビデオ関連で25億円、その他の関連グッズなどで10億円、合わせて35億円の売り上げをあげたそうです。ファン10万人とすると、1人3万5000円のお買いあげ……、ほんとにご苦労さまです。日本での「冬ソナ」人気のおかげで、いまや韓国でも「ヨン様」という言葉が市民権を得たとか。ただただ驚き入るばかりです。

ところで、昨日のNHK教育のハングル講座で、映画「シルミド」の主演であるアン・ソンギホ・ジュノが、映画のもとになった「シルミド」事件(1971年)について語っていましたが、その内容が非常に印象的でした。

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横田勇人『パレスチナ紛争史』

知り合いから“何かパレスチナ問題について適当な本を知らないか?”と聞かれ、本屋でパラパラ立ち読みして、「とりあえず…」と横田勇人著『パレスチナ紛争史』(集英社新書、5月刊)を紹介したのですが、紹介した責任上(?)、この本を読みました。著者は、日本経済新聞の記者で、カイロ支局長を務めたこともある中東担当の国際部記者です。で、結論からいうと、かなりしっかりしたお薦めの本です。
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怒濤のような1週間…

今週は締め切りで超ハードな1週間でした。どうしても間に合わず、久しぶりに徹夜をしましたが、結局、ほとんど使えませんでした。そういうことを考える余裕もなかったということです。あ〜あ、疲れた…。(^^;)

といいつつ、中谷武『価値、価格と利潤の経済学』を読み終えました。といっても、数式部分はさっぱり分からないので、実際にどこまで理解できたか分りません。しかし、価格現象から価値へ向かうという経済学の必要性など、いろいろおもしろく学べました。