12日、広島で開催された「憲法9条いまこそ旬」講演会は、第2会場などもいっぱいになる2600人の参加で、大盛会でした。
一般紙も地方版で大きく取り上げていますが、相変わらず全国版では無視されてますので、地方紙の報道も含め紹介しておきます。
12日、広島で開催された「憲法9条いまこそ旬」講演会は、第2会場などもいっぱいになる2600人の参加で、大盛会でした。
一般紙も地方版で大きく取り上げていますが、相変わらず全国版では無視されてますので、地方紙の報道も含め紹介しておきます。
大江健三郎氏などが呼びかけた「9条の会」にこたえて、大学教授・研究者らによる「九条科学者の会」が発足しました。
呼びかけ人には、政治学の石田雄氏、キリスト教学の荒井献氏、政治学の加藤節氏、日本古典文学の西郷信綱氏、経済学の伊藤誠氏、政治思想の千葉眞氏、日本思想史の武田清子さん、哲学の中村雄二郎氏、物理の伏見康治氏、政治学の升味準之輔氏、日本思想史の松本三之介氏、憲法の浦部法穂氏など、各方面第一人者の方が名前を連ねておられます。応援したいと思います。
「公益の尊重」というと聞こえはいいけれど、ホンネは「国家のためにあなたは何ができますか?」ということ。言論の自由も思想信条の自由も、はたまた個人の財産権も、幸福追求権も基本的人権も、なんもかんもみんな「公益のため」と言えば、何でも制限できてしまう。国家主義者には、これほど便利な“打ち出の小槌”はありません。
こんなバカなことを許したら、国家のために働かない人間は生きていけない世の中になっちゃうよ。絶対ハンタ??イ!!!
「憲法9条。知ってるヒトも、知らないヒトも。」「“ちょっと待って、もう少し考えよう”と言ってみませんか?」をキャッチフレーズに、ウェブサイト「マガジン9条」が3月1日新創刊されました。
つくっているのは、漫画家の石坂啓さん、国立市長の上原公子さん、精神科医の香山リカ先生、東大教授の姜尚中さん、絵本作家の木村裕一さん、料理でおなじみ小林カツ代さん、ミュージシャン小室等さん、カタログハウスの斎藤駿社長、経済評論家・佐高信さん、作家の椎名誠さん、テレビでお馴染みのピーコさん 小児科医の毛利子来先生、経済アナリスト・森永卓郎さん、ノンフィクション作家の吉岡忍さん、作家の渡辺一枝さん、という豪華メンバー。
クリックしていくと、毛利子来先生のインタビューや、「攻められたときに守ってくれる自衛隊は必要では?」という疑問に、渡辺一枝さんやカタログハウスの斎藤社長が直々に答えてくれちゃったりします。
ということで、我がサイトも、勝手に応援しちゃいます。
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自民党が、9条「改正」案について、集団的自衛権の行使を憲法の条文に明記するのは見送りつつ、「安全保障基本法」と「国際協力基本法」を制定し、そちらで集団的自衛権の行使や自衛隊海外派兵の仕組みを定めるという方針を決めたようです。
で、「毎日新聞」はそのねらいについて、次のように書いています。
1つには、集団的自衛権は「当然」だから、明記するまでもない、という議論。もう1つは、民主党との間での「調整」に期待をかけるというもの。とくに2つ目の点がポイントかも知れません。
なお、記事中では自民党の主張として、「国連憲章上も認められた国家としての自然権」という書き方がされていますが、これは間違い。個別的自衛権(つまり自国が侵略されたときに自分で自分の国を守るために戦う権利)は国家の「自然権」(国家について「自然権」という言い方をするのは不適切ですが)だという言い方もできますが、集団的自衛権(同盟国A国がZ国によって侵略されたときに、侵略・攻撃を受けていないB国が、自国への侵略と同じと見なしてZ国に反撃する権利)は、条約によって軍事同盟を結んで初めて成立する権利であり、国際法上は国連憲章によって初めて認められることになりました。従って、それはどんな意味においても「自然権」ということはできないというのは、国際法のイロハです。
ちょっと古い記事ですが、「東京新聞」の記事を紹介しておきます。この記事を読むと、9条改憲の動きが、アメリカとの関係でず〜〜〜っとおこなわれてきたということがよく分かります。
ちなみに、「東京新聞」が連載中の「逐条点検 日本国憲法」は、抑えた筆致ながら、なかなか核心をついた連載になっています。
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日本平和委員会の「平和新聞」2月25日号に、GPPAC(武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ)東北アジア地域会議実行委員長の馬奈木厳太郎さん(早稲田大学大学院博士課程)のインタビューが載っています。
一読して、なるほどなあと思ったのは、9条改憲の問題をアジア的視野、世界的視野でとらえていること。「実際に9条が変えられてしまった時のインパクトは日本国内にとどまりません」、「日本国内の議論はまだまだ内向き」という指摘は、この問題を僕たちがどういう文脈で考えたらいいかということを教えてくれているように思いました。
また、9条を改悪させないためにどうしたらよいかということでも、馬奈木さんは、「そもそも憲法とは何なのかというところから伝えていく必要がある」と言っています。そのことを通して、憲法が、実は僕たち一人ひとりの「生き方」に繋がっていることを意識しよう、というのです。さらに、9条だけでなく、国家と個人の関係も、これまでの「個人のための国家」から「国家のための個人」へ、「政府に守らせる憲法」から「国民に守らせる憲法」へ、根本からひっくり返そうとしているんだ、という指摘に、あらためてはっとさせられました。
※GPPAC(武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ)というのは、国連のアナン事務総長が、2001年に、報告書のなかで、「紛争予防における市民社会の役割が大切」だと述べ、紛争予防にかんするNGO国際会議の開催を呼びかけたのに応えて発足したプロジェクト。欧州紛争予防センター(ECCP)を国際事務局として、世界各国のNGOが「地域プロセス」に参加。2005年7月19日?21日にニューヨーク国連本部で国際会議がおこなわれます。
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自民党新憲法起草委員会の「前文に関する小委員会」(委員長・中曽根康弘元首相)が28日までにとりまとめた中間集約では、「現行憲法は米国からの押し付け」という立場を前文に盛り込もうという話らしい。
しかし、「押しつけ」というなら、9条改憲こそ、1947年いらい一貫してアメリカが日本に押しつけようとしてきたもの。アメリカとの世界的な軍事共同作戦を展開するために、「アメリカの押しつけ憲法だ」といって憲法9条を改悪しようというこの不条理。
船曳建夫・東大教授の談話は、このねじれを的確に指摘しています。
自民党の新憲法起草委員会が4月下旬に公表する改憲試案の骨格が明らかになりました。
憲法9条は第2項の「戦力不保持」を改廃し、自衛隊の存在を明記するというもの。
また、憲法前文も全面的に書き改めるとしている。「東京新聞」は、憲法前文は「憲法の憲法」であり、「自民党が『日本らしさ』をキーワードに前文の全面書き換えに本格始動したことは、改憲論議のなかで大きな転換点と言える」と指摘。「中曽根試案」の時代錯誤な前文案を紹介しています。
改憲・護憲の両論併記と言いつつ、どっちの意見が多かったかを明らかにしつつ論点整理をするということは、結局、「こういうふうに変えようと言う意見が多かった」として改憲の方向付けをするもの。憲法調査会設置時に、そういうことはしないとして、調査終了時の報告書は「調査の経過及び結果を記載」するとされたことに違反しています。
自民党新憲法起草委員会・小委員会の動きについて。改憲手続きの「緩和」で一致。憲法裁判所設置については異論あり、と。
自民党の新憲法起草委員会の改憲試案の骨格が固まった、と共同通信が報じています。
憲法9条の第2項「戦力不保持」を改正して自衛力の保持を明記する、としています。
自民党新憲法起草委員会の「国民の権利・義務」小委員会(船田元委員長)が、「国防の責務」を盛り込んだ船田試案を公表。
責務は義務ではないと言ってるみたいですが、「国防の責務」や「社会的費用を負担する責務」などなど、盛り込みたい放題です。
自民、民主、公明3党が、衆院憲法調査会の「最終報告」に、多数意見として「憲法9条改正すべき」と明記することで合意したそうです。
憲法調査会は、憲法について「広範かつ総合的に調査を行う機関」です。論点整理を越えて改憲の方向付けをしようというのは許されません。
各地で「九条の会」がつくられ、活動を始めていますが、29日、宮崎で「みやざき9条の会」の発足会で、映画「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」の黒木和雄監督が、中学時代の戦争体験をまじえて、「9条を変えたら憲法は死滅する」と訴えかけました。
憲法:「9条変えたら死滅する」黒木和雄監督が講演??「九条の会」発足記念/宮崎(毎日新聞)
※たぶん地方版だけの記事なので、貼り付けておきます。
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日本経団連が、憲法第9条を改正し、自衛権確保のための自衛隊の保持、集団的自衛権の明確化を求める「国の基本問題検討委員会」」(委員長=三木繁光・東京三菱銀行会長)の提言を正副会長会議で了承。近く理事会で正式承認します。
「集団的自衛権」明確化提言へ 経団連の憲法改正概要(朝日新聞)
NHKが、1月23日放送予定のNHKスペシャル「21世紀日本の課題 シリーズ憲法」第2回「徹底討論 どうする憲法 国民に問う」に向けて、ホームページで、憲法9条について意見を募集しています。
「皆さんの声」を大募集<メール>のところをクリックして、7つのテーマについて意見を書き込めるようになっています。
憲法改悪の先触れとして、憲法改正「国民投票法案」の成立がたくらまれています。
“憲法に改正条項があるのに、そのための法律がないのはおかしい”というと、なんだか真っ当な議論のようですが、本当の狙いが憲法、とくに9条の改悪にあることは明らか。9条は、変えるどころか、現実の政治に生かすべき。だから、憲法改正手続法など不要です。
自民党憲法調査会の憲法改正草案大綱(素案)の「第三章 基本的な権利・自由及び責務」の「第一節 総論的事項」で、「公共の価値」による人権の制約を主張しています。曰く
この憲法〔というのは当然、自民党の考える憲法のこと。間違えないように――引用者〕が保障する基本的な権利・自由は、すべての公権力を拘束すること、これらの基本的な権利・自由の行使は、他人の基本的な権利・自由との調整を図る必要がある場合又は国家の安全と社会の健全な発展を図る「公共の価値」がある場合に限って、かつ、法律の定めるところに従ってのみ、制限されること……
そして、それへの注釈として次のように述べている。すなわち、
特に、この「公共の価値」による人権制約は、学界における通説的な理解である「人権調整の場面」だけではなくて、「国家・社会の安全・健全な発展」のためにも許容されることを明確にしている。……
現行憲法の「公共の福祉」に代えて、「公共の価値」という用語を用いたのは、「公共の福祉」の概念はやや手垢が付いたものとなっているので、敢えてそれを避けた次第である。ただし、この用語が適切かどうか(より適切な用語がないか)については、さらに検討が必要と思われる。例えば、「公共の価値」のほか、「公共の利益」(読売試案で用いられている用語)、「公共の本質」「公共の意義」「公共の福利」「公共の幸福〔幸せ〕」など」〔ママ〕である。
「公共の福祉」をどう理解するかは、憲法学界でも、さまざまな議論があります。しかし、日本国憲法が、第11条で、憲法の保障する基本的人権の不可侵性を明らかにし、その上で、第12条では「公共の福祉」のために利用する責任を、第13条では「公共の福祉」に反しない限りでの「立法その他国政」上での「最大の尊重」を定めていることを見逃してはならないと思います。つまり、基本に置かれているのは、個人に保障された基本的人権であり、「公共の福祉」さえ持ち出せば何でも制限できる、というような考え方は憲法とはまったく相容れないということは明らかだということです。
ところが、自民党の憲法改正草案の「公共の価値」規定は、基本的人権の制限は原理的に可能であるというもので、憲法原理をまったく変えてしまうものです。そうなれば、政府に反対する活動を「国の安全」を理由に自由に規制することもできるし、「社会の健全な発展」に必要だといって、たとえば公共事業予定地の民有地の強制収用も簡単にできるようになる、ということです。現状でも、そうした傾向が強いなかで、憲法が“歯止め”“最後のよりどころ”になっているのを、根本から破壊してしまうものと言わなければなりません。
彼らが「社会の健全な発展」を本気で守るつもりがあるなら、なぜ、いまのような都市部の乱開発・再開発を許しているのでしょうか。個人の権利が保障されすぎているから、こうした乱開発を規制できないのではありません。そうした規制の枠組みがつくられてきたにもかかわらず、自民党などが、そうした規制を次々と「緩和」して、野放しにしてしまったのが原因です。こうした問題こそ、彼らの持ち出す「国の安全」や「社会の健全な発展」の恣意性を示していると思います。
フジだというのが気になりますが、期待したいですね。