今日、職場で教育基本法の学習会を開きました。1時間という非常に短い時間でしたが、政府与党の「改正」案が教育基本法の精神や内実を180度逆転させてしまうものであることが非常によく分かりました。
現在の教育基本法は、第1条で教育の目的を次のように定めています。
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
ここでは、教育の目的は「人格の完成」であることが明らかにされています。そして、「人格の完成」をめざして教育がおこなわれれば、当然、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民」が育成されるはずだ、というのです。「期して」というのは、そういう意味であって、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民」を育成することが教育の目的ではないのです。
なぜ、こんな迂遠な表現をしたのかといえば、教育される子どもたちは、将来の主権者です。主権者は、国家の上に立つ、日本の将来の進路、運命を決定する権利を持つ最高の存在です。だから、主権者の「信託」(日本国憲法前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し…」)にもとづいて政治を行うはずの国家が、将来の主権者を特定の型にはめようとしたら、国家の方が主権者の上に立つという、逆立ちしたおかしなことになってしまいます。だから、教育の目的はあくまで「人格の完成」に限られているのです。
ところが、政府与党の「改正案」は、第1条(教育の目的)に続けて、第2条として「教育の目標」という条項を設け、次のように定めています。
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