阪神大震災から10年

阪神大震災から10年ということで、テレビでも新聞でもさまざまに取り上げられています。私は、あの日、朝7時のニュースで目を覚ましてから昼過ぎに実家と電話が通じるまでの、胸のつぶれるような感覚をいまでも忘れることができません。

目覚まし代わりのラジオのニュースの、神戸で大きな地震があったというニュースで目を覚まし、すぐにテレビをつけました。そのときは、大阪からの情報がようやく入り始めたばかりといった頃で、神戸の実情は分かりませんでした。そのうち、「阪神高速道路が倒れている」というニュースが入ってきて、アナウンサーが「これは、高速道路からすべりおちたタクシーの運転手さんが電話してきたということです」と言いながら、“そんなことがあるんだろうか”という顔つきでニュースを読み上げていたのをいまでも覚えています。

実家に何度も電話をかけましたが、まったく繋がりませんでした。テレビでは、「輻輳しますから、電話はひかえてください」と言っていましたが、そのときは“親が無事かどうかも分からないのに、そんなことは知るもんか”というのが正直な気持ちでした。
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中越地震のこと

日記を書こうと思っても、やっぱりどうしても中越地震のことが気になってしまいます。
今日午前中には、東京でも感じる大きな余震がありました(震度6弱)。テレビでは、山古志村のリポートの最中に地震が起こった様子をくり返し流していましたが、地面に生えた草が、本当にビリビリと揺れていて、なるほど“地”震だと感心もしました。

とくに、信濃川沿いの土砂崩れに埋まった乗用車からの救出の様子は、時間をたつのも忘れて見入ってしまいました。3歳の男の子が助かったのは本当にうれしいかぎりですが、お母さんが亡くなられたことは、途中で3人とも生存かというニュースが流れていただけに、本当に残念でなりません。
それにしても、崩落現場で救助活動しているレスキュー隊の様子は、さすが“プロ集団”と思いました。人の背丈よりも大きい岩が不安定なかっこうで積み重なっているようなところでの作業は、まちがえば自分たちの命にもかかわる危険な作業です。実際、この作業の最中に震度4程度の地震も起きています。とても素人では手出しできるところではありません。

日本の地震対策は、「予知」に傾きすぎだということがよく言われます。東海沖地震をはじめとするプレート地震の「予知」が仮にできるようになったとしても、阪神大震災や今回のような直下で起こる断層型地震は予測不可能です。それだけに、最悪の地震が起きてしまったとして、どれだけ被害を小さくすることができるか、救出・救援あるいは消防、救急の体制にこそ力を注ぐべきではないでしょうか。高度な技術と資材を持ったレスキュー部隊は、もっと整備してほしいと思いました。

それにしても、今回の事故についていっても、もしもっと早く乗用車が埋まっているのが分かったら、どうしてもう一日早く分からなかったか、と思ってしまうのはやっぱり人情でしょう。被災地には、他にも崩落現場がたくさんあります。そこには、本当にクルマは埋まっていないのか、孤立した地域についても早く連絡を回復して、取り残された人が残っていないか、最後まで救出・救援に努めていただきたいと思ってしまいます。