旧日本軍将校の遺族が、「百人斬り」報道によって「遺族の気持ちが傷つけられた」として、朝日新聞、毎日新聞などを訴えた訴訟で、最高裁が遺族側の上告を棄却。「百人斬り」報道について、「全くの虚偽であると認めることはできない」とした一審判決が支持されたことになる。
「歴史」カテゴリーアーカイブ
中国残留孤児で国の責任を問い、賠償命令の判決
中国残留孤児の方々の帰国が遅れたのは国の責任だとし、帰国後の支援も不十分だとする画期的判決。
そもそも、1972年まで国交正常化が遅れたことも、残留孤児の帰国を遅らせた原因の1つ。引き揚げのなかで、さまざまな理由で帰国できなくなった人たちがいることは、敗戦直後から分かっていたこと。ただちに、そうした人たちを探し、帰国できるようにするのは、国の第一義的な義務だったはずです。にもかかわらず、アメリカの政策に追随して、戦後30年近くも国交不正常な状態を放置し、さらに、その後も帰国に取り組もうとしなかった責任は重大です。「国策による棄民」と批判されても仕方ありません。
日本の侵略を中国の側から見る
いま、『蒋介石秘録』(サンケイ新聞社編、初版1975年刊、改訂特装版1985年刊)を読んでいます。別に、産経新聞や蒋介石の肩を持つつもりなどありません。また本書は、蒋介石の日記や回想、台湾政府の公文書や国民党の公式記録に「準拠」しつつも、あくまで書いたのはサンケイ新聞です。だから、全体の基調になっているのは反共史観だし、そこここに、侵略正当化につながる日本側の注がつけられています。
しかしそれでも、たとえば日本が中国に突きつけた「21カ条要求」について、蒋介石の日記や中国政府の公式資料が引用されているので、当時、中国側がこれをどう受け止めたか、ある意味で生々しく伝わってきます。歴史を具体的に理解するためには、そういう“実感”がけっこう大切なのです。そういう目で読んでみると、全体を貫く反共史観の中に、いろいろ面白いところが登場します。
参考までに、そのくだりを紹介しておきます。これは、蒋介石が当時書いた文章です(同書、上、294?296ページ)。
かねがね、私(蒋介石)がいうように日寇(日本という侵略者)が示した21カ条の精神は、各種の不平等条約を集大成したものであった。……およそ中国の政治、法律、軍事、警察、賦税、交通、鉱産、塩業、宗教、教育など、立国のために必要とするところの文化、国防、経済の要素は、精神面においても、事実面においても、すでに列強との間に結ばれた不平等条約で、失われ、分割されつくしてきた。21カ条は、これら列強が共有している特権を、日本帝国主義者の手に集中させ、それを独占し、壟断しようとするものである。……21カ条は、悪辣、苛酷の最たるものである。それは日本の帝国主義者の中国に対する侵略政策をさらに一歩進めた。日本は中国の分割政策から独占政策に変えたのである。
……
すべてこれは日寇が中国全土を占領し、属国化し、奴隷化しようとしたものであった。
今日の紙面から
事件のニュースではありませんが、今日の新聞でいいなと思った記事をピックアップ。
笑える話
文春新書『歴史の嘘を見破る』(中嶋嶺雄編)のなかで、「中国に『対支21カ条要求は屈辱だ』と言われたら」という設問に、岡崎久彦氏が反論を書かれています。しかし、まったく反論になっておらず、いささか気の毒になってしまうほどです。(^_^;)
張作霖爆殺事件について
8月11日に放映されたNHKスペシャル「満蒙開拓団はこうして送られた」を見ていたら、関東軍の東宮鉄男大尉の日記が紹介されていました。番組の中心は、満蒙開拓団を送り出す国策がどのように決定されていったかを追ったもので、番組の本筋とは関係ないのですが、張作霖爆殺事件後、東宮自身が、張作霖爆殺計画の実行犯であることを認める記述をしていたことが明らかにされていました。
続きを読む
従軍慰安婦訴訟、事実関係については認定
東京地裁で、従軍慰安婦・海南島訴訟の一審判決。請求権消滅などを理由に訴えは退けましたが、事実関係については、「旧日本軍の兵士によって継続的に暴行を受けたとする原告の主張は大筋で認められる」と認定。
50年代に旧陸軍将官クラスで独自の軍設立計画
史料の返還
日本の植民地支配の時代に入手された「朝鮮王朝実録」が、東大からソウル大学に寄贈されることになりました。韓国国内では「寄贈」か「返還」かで論議があるようですが、何にせよ、戦時や植民地支配下で手に入れた資料をもとの国に返還しようというのは、世界的な流れです。日露戦争時に持ち帰った渤海国の石碑「鴻臚井碑(こうろせいひ)」の返還も、ぜひ実現してほしいと思います。
東大所蔵の朝鮮王朝実録、ソウル大に寄贈へ(朝日新聞)
皇居に1世紀眠る「渤海国の石碑」、中国で返還求める声(朝日新聞)
続きを読む
キッシンジャー氏、田中元首相を「最悪の裏切り」と非難
前後の文脈がよく分かりませんが、1972年夏に、日中国交正常化のために田中角栄元首相が訪中を決めたことを知ったとき、キッシンジャー大統領補佐官(当時)が「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言していたことが、米公開文書で明らかになったというニュース。
田中角栄氏にしてみれば、米国が日本の頭越しに中国との国交回復をしたから、それに従ったまでのことだったんでしょうが…。
旧日本軍の毒ガス演習計画書見つかる
旧日本陸軍の毒ガス戦にかんする資料が見つかる。資料は、関東軍化学部(満州第516部隊)などのもの。毒ガス散布地域での演習計画書や対人毒ガス効果のデータ表などが含まれる。
古書店から入手したとのこと。まだまだこういう資料が埋もれているんですねぇ?。
上海の海軍指定慰安所の前身が明らかに
米政府、極秘で核実験の日本への影響を調査
今日の読売新聞(夕刊)が1面左肩で報じていますが、これは、なかなかな記事ですよ。
要するに、50年代にビキニ環礁などでおこなわれていた水爆実験で人体にどのような影響が出るか、米政府はこっそり調査していたということ。別に日本人のことを心配して調査した訳ではありません。いってみれば日本人は、知らないうちにモルモット代わりか標本にされていたということです。
日中与党交流協議会で、日中戦争史「多国間で検証作業」を表明
多国間で検証したからと言って、侵略が解放になる訳でないのですが…
金大中事件、幕引き図った田中首相
韓国で、1973年の金大中拉致事件にかんする外交文書が公開されました。
金大中事件というのは、1973年8月8日に、韓国の中央情報部(KCIA)によって都内のホテルから金大中氏が白昼連れ去られた事件。金大中氏は、1971年の大統領選挙で、当時の朴正熙大統領に97万票差に迫り、民主化運動のリーダー的存在でした。その金大中氏を暗殺しようと拉致したが、米政府の介入などで、金大中氏は暗殺を免れ、ソウルの自宅に軟禁されることになりました。
このとき、都内ホテルでは、金東雲1等書記官の指紋が発見され、韓国政府による日本の国家主権侵害であることが明らかであったにもかかわらず、結局、うやむやのままに政治的決着が図られました。
今回発表された資料では、当時の田中角栄首相が、そもそも金大中氏には政治的センスがないとか、「これで終わりにしよう」などと発言し、すすんで政治的に蓋をしたことを明らかにしています。
ナチ絶滅収容所長との対話
ギッタ・セレニー『人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話』(小俣和一郎訳、岩波書店)。まだ100ページほど読んだだけですが、ナチス・ドイツがポーランドに設けた絶滅収容所長にたいするインタビュー。原書は、1974年にまず英語で出版されたそうです(邦訳は、1997年のドイツ語版から)。著者は、イギリス在住のジャーナリスト、歴史研究者(女性)で、1967年から1970年にかけて、西ドイツでおこなわれたナチ裁判を傍聴し、1970年に終身刑の判決を受けた元レブリンカ収容所長フランツ・シュタングルにたいする70時間にわたってインタビューしたもの。
1対1のインタビュー記録ではなく、他の関係者へのインタビューや記録とつきあわせて、シュタングル(あるいはその他の収容所関係者)の言い分が事実に合致しているのかどうか、確かめながら、なぜ普通の人間が、ヒトラーによる「ユダヤ人最終解決」を担うことになったのか。その心理に迫っています。
続きを読む
人民革命党、民青学連事件は「でっち上げ」
韓国の過去史真実究明発展委員会が、朴正熙政権時代の「人民革命党事件」(1964年)ならびに「民青学連事件」(1974年)は、KCIA(韓国・中央情報部)によるでっち上げであったと発表。
なお、韓国・東亜日報によれば、さらに1973年の金大中氏拉致事件についても調査をおこなう、とのこと。金大中氏拉致事件とは、1972年の大統領選挙で朴正熙大統領にあとわずかというところまで迫った金大中氏を殺害しようとして、KCIAが日本滞在中にホテルから拉致した事件。米日の関与により、金大中氏は殺害だけは免れ、韓国の自宅に軟禁されることになった。
真珠湾攻撃
今日は真珠湾攻撃の日。作家の半藤一利氏が、東京新聞の「本音のコラム」で、こんなことを書いておられます。
すなわち、十年以上前にある女子大で教壇に立ち、「昭和時代に日本と戦争をしなかった国はどれか?」というアンケートをとったところ、10人以上が「アメリカ」と答えた。これぐらい、歴史が知られなくなっている、というのです。それにたいして、氏は、歴史を知ることの意味をこう書かれています。
歴史を知って何の利益があるか。一円のトクもない。が、歴史を知らないと虚実を見破る眼力が失われてしまう。
自分勝手な解釈で織田信長に擬する政治家がいる、都合のいい部分を歴史から切りとったりして、正当性の主張とする学者がいる。だまされないためにも、歴史にたいする活眼を身につけておかねばならない。さもないとまたこの国があらぬ方向へすっ飛んでいってしまう恐れがある。
至極もっともな意見ですが、それが非常に新鮮に聞こえてしまうところに、「歴史」をごまかす政治家や学者の跳梁跋扈する時代の恐ろしさを感じてしまうのは僕だけでしょうか?
ちなみに…
12月8日(日本時間、アメリカ時間では12月7日)に真珠湾を攻撃する約1時間前に、日本軍は、英領マレー(現在のマレーシア)のコタバルに敵前上陸をおこない、戦闘に突入。さらに、中国派遣軍の一部が香港に向けて進撃。台湾(当時は日本の植民地)からフィリピンのルソン島にある米軍基地攻撃のために航空部隊が発進しています。12月8日は、けっして、真珠湾攻撃だけがおこなわれた訳ではありません。そのことも記憶しておきたいものです。
甘樫丘で7世紀の建物跡見つかる
蘇我入鹿の邸宅跡ではないかと大きく報道されていますが、よく読むと、今回発見された建物跡はいずれも小さいもの。まだ入鹿邸宅跡と断定することはできないようです。
第2次日韓協約 日本側の軍事的圧力を示す史料が見つかる
1905年に結ばれた第2次日韓協約(韓国側では乙巳条約)。日本が韓国の外交権を取り上げ、ソウルに統監府を設置、10年後の韓国併合につながった条約ですが、その締結の際に、日本側が韓国駐留軍の軍事力にものをいわせて圧力をかけていたことを示す史料が、荒井信一氏によって明らかにされました。
1つは、当時の駐韓アメリカ公使の国務長官宛報告書。報告書は、韓国駐留日本軍が交渉会場を固めていたことを指摘し、「韓国皇帝に日本の要求を拒むことは不適当だと思わせるためにも使われた」と報告。
もう1つは、陸軍省の「明治三十七八年戦役陸軍政史」で、長谷川司令官が条約に反対する韓国の閣僚らの動きを封じるため、憲兵に動静を厳しく監視させ、韓国の軍部大臣を呼び、「最後の手段が何か、あえて詳しく言わないが」と告げたとのこと。
日韓協約交渉、日本軍が韓国側の行動制約か 米公使指摘(朝日新聞)
日韓協約交渉、日本側が武力で圧力 シンポで発表(朝日新聞)
続きを読む