読売新聞が「戦争責任」で世論調査

読売新聞社が「検証・戦争責任」で世論調査を実施。

まず気がつくのは、質問事項が非常に意図的なこと。

たとえば、戦争責任についての質問では、「先の大戦に踏み切ったり、敗北に追い込まれたりした責任など、いわゆる『戦争責任』」という書き方をして、明らかに、戦争責任を開戦責任あるいは敗戦責任に限定する意図を色濃くにおわせています。アジア諸国を侵略した「責任」は、まるで視野にないかのようです。で、このように「戦争責任」を限定しておいた上で、「戦後、十分に議論されてきたと思いますか」などと質問したのでは、肝心の侵略戦争の責任についての議論は雲散霧消していきます。

また、先の戦争について、「中国との戦争、アメリカとの戦争(イギリス、オランダ等連合国との戦争も含む)は、ともに侵略戦争だった」とか「中国との戦争は侵略戦争だったが、アメリカとの戦争は侵略戦争ではなかった」と質問していますが、仮にアメリカやイギリス、オランダとの戦争が侵略戦争でなかったと考えたとしても、フィリピンやマレーシア(英領マライ)、インドネシア(蘭領インドシナ)の国民からすれば、日本の戦争は侵略そのものだったという考えは、当てはまる選択肢がありません。ベトナムへの侵略は、例示項目からもまったく抜け落ちています。

アジア諸国民への加害についての質問にいたっては、「日本人はいつまで責任を感じ続けなければならないと思いますか」と、頭っから「責任を感じる必要はないのに…」という意図が見え透いています。

こういう意図的な世論調査であるにもかかわらず、興味深い結論もいくつか見ることができます。

  1. 中国については、侵略戦争であったと認める人が68.1%と3分の2を超えること。それにたいして、対中戦争についても対米英戦争についても「侵略戦争だとは思わない」という回答は10.1%しかない。ある意味、侵略戦争かどうかという議論については、“大勢は決した”ということです。
  2. アジア諸国民への加害については、意図的な質問にもかかわらず、ともかく「責任を感じる」という人が47.0%を占め、「もう感じなくてよい」44.8%を上回っていること。
  3. 靖国問題についても、「国が戦没者を慰霊、追悼する場所」として、いまのままの靖国神社でよいとする回答が41.5%を占め、一見すると一番多いように見えますが、「A級戦犯を分祀した靖国神社」「靖国以外の新しい追悼施設」など、ともかく現在の靖国神社は不適切だとする回答が合わせて50.6%を占め、多数となっています。ちなみに、靖国神社は「英霊」の「顕彰」をおこなっているのであって、戦没者の追悼・慰霊をしているわけではないので、第1の選択肢は根本的に間違ってるのですが。

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横浜事件、再審始まる

横浜事件の再審が始まりました。

横浜事件というのは、戦時下の弾圧事件です。永原慶二監修『岩波 日本史辞典』では、次のように説明されています。

 横浜事件 戦時下の言論思想弾圧事件。総合雑誌「改造」1942年8・9月号に掲載された「世界史の動向と日本」が共産主義に基づく敗北主義であるとして、執筆者の細川嘉六が検挙され、また、世界経済調査会の川田寿はアメリカ共産党と関係があるとして検挙された。これらに端を発し、神奈川県特高警察は、富山県泊町での細川の出版記念会を、日本共産党再建のための懐疑とでっち上げ、編集者・文化人ら総勢60数名を検挙し拷問を加え、4名が獄中で死亡。また、中央公論社と改造社には、情報局から解散命令が出され、言論が強圧的に封殺された。(『岩波 日本史辞典』1999年から)

しかも驚くべきことに、横浜事件で、治安維持法違反で有罪の判決は、敗戦直後の1945年8月から9月にかけて下されたのです。

「横浜事件」再審始まる 弁護側は無罪主張(東京新聞)
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森本忠夫『マクロ経営学から見た太平洋戦争』

森本忠夫『マクョ??営妣??ら見た太平洋戦争』

著者の森本忠夫氏は、1926年生まれ。戦時中は海軍航空隊員として太平洋戦争に従軍。戦後は東レ取締役、東レ経営研究所所長などを務められた方。本書は、1985年に文藝春秋社から『魔性の歴史』というタイトル(これは、荒木二郎宛の手紙で米内光政が使った言葉なのだそうです)で出版され、これまでにも文春文庫、光人社文庫などから再刊されてきたものです。

本書で森本氏は、日本が、いかに無計画、場当たり的で、現代的な総力戦をたたかう体制もなければ計画もないまま、対米戦争につっこんいったかということを詳しく明らかにされています。たとえば、日本はアメリカに資源を禁輸されたので、やむをえず東南アジアの資源を確保するために戦争にすすんだといわれることがありますが、戦争によって東南アジアを獲得し、そこから資源を日本に輸送しようと思ったら、輸送用船舶も必要だし、それを護衛する海上護衛艦も必要になるのに、そうした計画がまったく検討されていなかったうえに、戦況が悪化すると、民間の船舶建造を中止して軍艦などの建造にむりむけざるをえなくなったし、護衛艦船を戦闘に動員し、結局、航路帯を放棄せざるをえなくなったこと、その結果、結局、南方の資源を確保したものの、あまり日本に輸送できなかったことを明らかにしています。つまり、「資源確保のため」といいながら、資源活用に必要な準備はなかった、ということです。
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韓国で8000年前の丸木舟が出土

韓国南東部の慶尚南道昌寧郡にある飛鳳里(ピボンリ)遺跡から、約8000年前の丸木舟の一部が出土したそうです。

出土したのは、長さ約3メートル、最大幅約60センチの舟底部分。舟の全長は4メートル以上だったとみられています。松の木で作られ、船体を石器で加工した跡や焼いて強度を高めた跡もあったとのこと。こんごの調査が楽しみです。

国内最古推定「新石器時代の丸木舟」が出土(中央日報)
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4世紀の古墳が見つかる

大阪府羽曳野市で、新しく古墳が見つかったそうです。

それにしても、まだまだ埋まってるもんなんですねぇ…。しかも未盗掘で、三角縁神獣鏡1面を含む副葬品が出土したというのですから。びっくり。

古墳時代前期の前方後方墳見つかる…大阪・羽曳野(読売新聞)

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「百人斬り」訴訟、元将校遺族の訴え棄却

「百人斬り」報道によって人格権を傷つけられたとする元将校遺族の訴えについて、東京地裁が棄却の判決。

当時の東京日日新聞の「百人斬り」報道について、判決は、「記事は二将校が東京日日の記者に百人斬り競争の話をしたことをきっかけに連載され、報道後に将校が百人斬りを認める発言を行っていたこともうかがわれる」と指摘。

将校遺族の請求棄却 「百人斬り」報道訴訟(産経新聞)
元将校遺族の請求を棄却 「百人斬り」訴訟で東京地裁(朝日新聞)

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間違った戦争だった43%

毎日新聞の世論調査で、日本のさきの戦争について「間違った戦争だった」と答えた割合は43%。「やむを得なかった戦争だった」29%を大きく上回った。

戦争調査:「間違った戦争だった」43% 毎日新聞実施(毎日新聞)
戦争調査:世代間の差、浮き彫りに 戦争の風化が進む(毎日新聞)

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731部隊の生体実験の証拠文書を公開

中国で、日本の731部隊がおこなった生体実験にかんする証拠が発見され、公開されたそうです。どんな資料なのか知りたいものです。中国には、まだほかにもいろいろと旧日本軍関係の資料が残っていると思われます。調査と研究の進展を期待します。

日本軍731部隊の生体実験の証拠確保(朝鮮日報)
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中国広州、旧日本軍毒ガス弾で住民被害

中国南部の広東省広州市で、3人が、旧日本軍の遺棄した毒ガス兵器による被害。

すでに日中政府間で、旧日本軍の遺棄毒ガス兵器の処理については合意していますが、しかし、まだ処理施設も建設されていないし、中国全体でどれだけの遺棄毒ガス兵器があるかも分かっていません。

旧日本軍毒ガスで3人被害、外務省陳謝 中国・広州(読売新聞)
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好太王碑の新たな墨本発見

「朝日新聞」6月23日付夕刊によると、好太王碑の新たな墨本が中国で発見されたそうです。

好太王碑の碑文については、「倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」の解釈を巡って論争があります。旧来は、391年(辛卯年)に倭が海を渡ってきて、百済、新羅などを「臣民」としたと解釈し、いわゆる「三韓征伐」伝説と結びつけて、日本の韓国・朝鮮支配を正当化したというのです。さらには、参謀本部の酒匂某がつくった拓本(「酒匂本」)は、そう読ませるために都合良く改竄されたという意見も出されました。また、碑文の主語は一貫して高句麗(好太王)と読むべきであり、したがって該当部分は、倭が海を渡って攻めてきたが、好太王がこれを破って、百済、新羅を臣民にしたと読むべきだとする説が提起されています。

こんどの墨本は酒匂本より前に作られたものであり、その碑文が酒匂本とほぼ一致するところから、酒匂本の改竄の可能性は否定されたというのが記事の趣旨です。ただ、こんど発見されたのは拓本ではなく、筆で文字を縁取りして回りを塗りつぶしたものだし、伝来についても不詳だとのことで、これで100%決着がついた、とはいかないようです。なお、改竄説については、1980年代の現地調査からも改竄の可能性は低いことが指摘されており、従来からあまり支持されていませんでした。

日韓歴史共同研究

日韓歴史共同研究の報告書を読み始めましたが、古代だけで400ページ近く、近現代は400ページ以上という膨大なもので、印刷するだけで大変…。

しかし、パラパラ近現代史の部分から読み始めたのですが、韓国側が、日本の植民地支配の問題を正面から問うているのにたいし、日本側の立論は細部、末節の問題へと逃げているように読めて仕方ありません。

→日韓歴史共同研究報告書は、日韓歴史共同研究委員会 から、日本側・韓国側両報告の全文がダウンロードできます。

日韓歴史共同研究:報告書を公表 歴史認識の違い浮き彫り(毎日新聞)

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戦後も統治者のつもりだった人…

朝日新聞が、一面トップで、米公文書の公開で、1953?72年の昭和天皇の発言が確認されたと報道しています。

たとえば、1953年4月20日には、離日するロバート・マーフィー大使に、昼食会の席で次のように発言したそうです。

 朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本の世論に与える影響を懸念している。米軍撤退を求める日本国内の圧力が高まるだろうが、私は米軍の駐留が引き続き必要だと確信しているので、それを遺憾に思う。

天皇の政治的発言というと、進藤栄一氏が発掘した1947年9月の発言が有名です。すなわち、宮内庁御用係の寺崎英成氏を通じてアメリ側に、「天皇は、アメリカが沖縄を初め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」「天皇が更に思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の――25年から50年ないしそれ以上の――貸与をするという擬制の上になされるべきである」と伝達させました(進藤栄一「分割された領土」、岩波書店『世界』1979年4月号、岩波現代文庫『分割された領土』2002年、所収)。

これらを読むと、戦後、新しい憲法によって、たんなる「象徴」となって、「国政に関する権能を有しない」とされたにもかかわらず、このおじさん、戦前と何も変わらず、相変わらず自分が日本の統治者であるようなつもりだったことがよく分かります。
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西都原古墳群で最古級の前方後円墳

宮崎県の西都原古墳群の調査で、纒向型前方後円墳から、3世紀中頃と見られる土器が出土。

3世紀中頃というと、畿内で前方後円墳が造られ始めた時期。同じ時期に南九州でも前方後円墳が造られたとしたら、古代史の枠組みを揺るがせる大発見かも…。ただし、畿内での前方後円墳の出現時期についても、現在、いろいろ論争があるし、土器の型式による編年そのものを見直さないといけないのかも知れないし。難しい…。

南九州に国内最古級の前方後円墳 宮崎大など発掘調査(朝日新聞)

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元軍属、中国での化学兵器遺棄の証言へ

旧日本軍の遺棄毒ガス兵器損害賠償訴訟で、旧軍属の男性が、終戦間際に実際に化学兵器遺棄に携わった体験を証言することに。

旧日本軍遺棄化学兵器の除去については、すでに日中政府間での合意にもとづき、自衛隊が作業にあたっていますが、裁判の争点は、組織的遺棄の有無。実際に遺棄作業に携わった人の証言は初めてだそうです。

中国毒ガス訴訟:元日本軍属の男性が法廷での証言決意(毎日新聞)
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平頂山事件、二審も虐殺の事実を認定

平頂山事件というのは、1932年9月16日未明に起きた日本軍による虐殺事件。住民が中国側の抗日軍に協力していたとして、村民を集め機関銃による銃撃を浴びせて虐殺、翌日、遺体を焼き、崖を崩して虐殺の事実を隠したもの。

訴訟では、国側は、原告が主張するような事件があったか否かを含め一切争わなかったため、一審判決は原告の主張に沿って事実を認定。二審も、この一審判決を踏襲しました。

平頂山事件、生存中国人の控訴棄却 東京高裁(読売新聞)
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遺跡出土の「米粒状土製品」、実はコガネムシの糞

古墳の石室などから出土していた土の粒。五穀豊穣を願う儀式で米の粒の代わりに撒いたものではないか?などと議論されてきましたが、実はコガネムシ科の幼虫の糞だったことが明らかに。

大きさ3〜8ミリという小さな土の粒を、1カ月がかりで数えたら1949粒! それは、大中小3つに分類できる、などなど、一生懸命研究されたんでしょうね。何事も、広い見地で見直すことが大事だということです。お疲れ様でした。(^^;)

虫のフンだった!…古墳石室の土粒、学者ら「まさか」(読売新聞)

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歴史共同研究委員会が意見調整できず活動終了へ

歴史共同研究委員会は、もともと歴史分野で相互理解と共通認識を深めることを目的に、2002年3月、日韓両政府の合意にもとづいて設置されたもの。政府レベルでの合意なんですから、韓国側は当然ながら教科書検定などへの反映を求めたのにたいし、日本側は「学問的に事実関係を探求できるが、一致は難しい」という姿勢で、結局、かえって傷を残す結果となってしまったようです。残念です。

日韓歴史問題、双方の主張併記へ・共同研究委報告書(日経新聞)

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