読み終わりました 石塚裕道『明治維新と横浜居留地』

石塚裕道『明治維新と横浜居留地』(吉川弘文館)

石塚裕道『明治維新と横浜居留地』

もういまではすっかり忘れられていますが、幕末・明治維新の12年間(1863〜75年)にわたって、イギリス軍、フランス軍が駐屯していました。本書は、その英仏駐留軍を中心にして、欧米列強による幕末日本の「植民地化の危機」や、当時の日本をめぐる英仏独露などの国際関係をヨーロッパの国際関係(クリミア戦争、普仏戦争、等々)とのかかわりを考察しています。

といっても、難しい理論問題としてではなく、当時の資料に即して具体的に検討されているので、へえ、ほ〜と思いながら読み進むと、日本の幕末・維新変革が、欧米列強の駆け引きやら緊迫した国際情勢のなかで展開していたことがよく分かります。

続きを読む

『1861-63年草稿』第3分冊後半をさらにざっくり読む

591ページ「四 相対的剰余価値」

591ページ下段。賃金と剰余価値。「先行するもの、規定するものは、賃金の運動である。その騰落が利潤(剰余価値)の側に反対の運動を引き起こす」

592ページ上段。「賃金の騰落は、剰余価値(利潤)率を規定しはするが、しかし商品の価値または価格(商品の価値の貨幣表現としての)には影響を及ぼさない」。「賃金の上昇が商品価格を高くするというのは、間違った先入観である」。

592ページ下段。剰余価値率は賃金の相対的な高さによって決まる。賃金の相対的な高さは、必要生活手段の価格によって決まる。必要生活手段の価格は労働の生産性によって決まる(これはリカードウの説? マルクスの説?)。生産性は土地の豊度が高いほど大きい。「改良」はすべて、生活手段の価格を引き下げる(ここらあたりはリカードウ)。労賃=労働の価値は、労働が労働者階級の平均的消費に入る必需品を生産する限りで、労働の生産力の発展に反比例して騰落する。
 利潤は、労賃が上がらなければ下がりえないし、労賃が下がらなければ上がりえない。
 労賃の価値は、労働者が受け取る生活手段の量によって計るべきではなく、この生活手段に費やされる労働量によって計るべきである。実際には、労働日のうち労働者自身が自分の者として取得する割合で。

続きを読む

『1861-63年草稿』第3分冊後半を引き続きざっくり読む

続きです。

こういう学説史の部分を読んでいると、ついついマルクスが引用しているリカードウの部分を、リカードウの著作にもどって読み直して、リカードウの論理をどういうふうにマルクスが批判したのかを追体験? し直そうとしてしまいますが、そうやってリカードウにさかのぼってみても、結局、マルクスがリカードウの学説を検討することを通じて、みずからの経済学の認識をどう発展させたのか、という肝心の問題はちっとも深まらない。

だから、そういう「さかのぼり」はこの際きっぱり諦めて、関心を、もっぱら、マルクスがリカードウ学説との格闘を通じて、自分の経済理論をどう発展させたのか、自分の理論としてどんな新境地を切り開いていったのか、というところに向けて、読んでいった方がいいと思う。ほんま。(^_^;)

ということで、大月書店『資本論草稿集』6、561ページ「一 労働量と労働の価値」から。

続きを読む

『1861-63年草稿』第3分冊後半をざっくり読む

『資本論草稿集』1861-63年草稿の第3分冊(「剰余価値にかんする諸学説」)の後半部分(大月書店『資本論草稿集』6、530ページ以下)をざっくりと読んでみます。

530ページに「剰余価値にかんするリカードウの理論」の見出し。これはマルクスのもの。とはいえ、ここで取り上げられているのは『経済学と課税の諸原理』の後半部分。

章の書かれていない530ページの冒頭部分の引用は、第25章「植民地貿易について」から。

そのあとは、

第26章「総収入と純収入について」(531ページ)
第12章「地租」(535ページ)
第13章「金にたいする課税」(536ページ)
第15章「利潤にたいする課税」(543ページ下段)
第17章「原生産物以外の諸商品にたいする課税」(549ページ上段)

など。

で、561ページ下段(草稿650ページ)で、「われわれは、こんどはリカードウの剰余価値論の説明に移ろう」と書かれている。このあとは、第1章「価値について」からの引用がおこなわれているし、「一 労働量と労働の価値」(561ページ)から「五 利潤論」(604ページ)まで見出しを立てて書いている。あらためてリカードウの価値論・剰余価値論の批判を始めたということだろう。

続きを読む

東北から見ると、律令国家の正体がよく分かる

鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館)

鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館)

先日読んだ坂上康俊『平城京の時代』でしばしば言及されていたので、続けて鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館、2008年)を読んでみました。

坂上田村麻呂の名前ぐらいは日本史の授業で習いましたが、それ以上はよくわかないという人は多いでしょう。古代蝦夷というと、むしろ高橋克彦氏の『火怨』のような小説の題材というイメージが強いかも知れません。本書は、和銅2年(709年)から弘仁2年(811年)までの「征夷」(律令国家のおこなった「東北戦争」)を取り上げ、限られた史料から「征夷」戦争の具体的なプロセスや、蝦夷(えみし)の実態、そしてそもそも律令国家はなぜ征夷をおこなったか(おこなうことを必要としたか)という問題を丁寧に明らかにしています。

続きを読む

読み終わりました 『平城京の時代』

坂上康俊『平城京の時代』(岩波新書)

坂上康俊『平城京の時代』

岩波新書「シリーズ日本古代史」の4冊目。坂上康俊氏(九州大学教授)の『平城京の時代』です。

対象は、697年の文武天皇の即位からほぼ8世紀いっぱいぐらいまで。ということで、以前に紹介した講談社『天皇の歴史』第2巻『聖武天皇と仏都平城京』とほぼ同じ時期が対象になっています。

それでも、天皇中心の前書にくらべ、本書では、第2章「国家と社会の仕組み」や、第4章第3節「荘園と『富豪の輩』」などで、この時代の国家と社会を支えた庶民の姿が取り上げられていて、おもしろい。

続きを読む

痛快 旧石器研究!

竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史』(講談社選書メチエ)

竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史』

おもしろいです。とくに第2章は、日本の旧石器時代研究の中心である東北大学の芹沢長介グループも明治大学の杉原祥介グループも、「科学でなかった」とばっさり。ありゃ〜〜 (^_^;)

第1章では、石器の形状の発展が、ヒトの生物学的進化と重ねて解き明かされていますが、これを読んで初めてヒトの進化の意味が初めてよく分かりました。チョー納得!

続きを読む

日本古代史の文献をあれこれ読みました

吉川真司『<シリーズ日本古代史3>飛鳥の都』(岩波新書)吉川真司『<天皇の歴史2>聖武天皇と仏都平城京』(講談社)
左=吉川真司『飛鳥の都』(岩波新書)、右=同『聖武天皇と仏都平城京』(講談社)

日本古代史のシリーズを読んでいます。1つは、岩波新書ではじまった「シリーズ日本古代史」。「農耕社会の成立」から「摂関政治」までを対象とした全6冊のシリーズで、先月、3冊目の『飛鳥の都』がでました。著者は京都大学の吉川真司氏。「七世紀史」というくくりで、推古朝の成立から遣唐使の派遣、「大化改新」、白村江の戦い、近江大津宮への遷都、壬申の乱、飛鳥浄御原令の制定・施行、藤原宮遷都あたりまでを取り上げています。こうやって概略を書き並べただけでも、激動の時代だったことが分かります。

もう1冊は、講談社が刊行中の『天皇の歴史』第2巻、『聖武天皇と仏都平城京』です。著者は同じ吉川氏で、こちらは天智朝、壬申の乱(672年)あたりから書き起こして、承和の変(842年)あたりまで。こちらは「天皇の歴史」ということなので、天智系と天武系の系譜問題や、近江令、飛鳥浄御原令から律令制の成立、さらに天皇と仏教の関係などが取り上げられています。

続きを読む

これまた日本史研究者には必読論文が

またもや、日本史研究者には必読の論文が、『歴史学研究』2011年3月号(第877号)に載っている。安田浩氏の論文「法治主義への無関心と似非実証的論法――伊藤之雄「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」(本誌831号)に寄せて――」だ。

サブタイトルにあるとおり、これは、同じく『歴史学研究』2007年9月号に載った伊藤之雄氏の論文「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」にたいする反論。伊藤氏の同論文は、同氏の『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』(名古屋大学出版会、2005年)の書評(瀬畑源氏執筆、『歴史学研究』2006年10月号掲載)にたいするリプライなのだが、そのなかで、伊藤氏が、安田氏の名前をあげて、「近代天皇は『魔力』的な権力がある」とする見解を主張しているとして批判したことから、安田氏が伊藤氏への反論を書いたというわけだ。

「魔力」というのは、もちろん「」付きで使われているもので、伊藤氏は「天皇の特殊な権力を、ここで便宜的に『魔力』と表す」(17ページ)と断っている。しかし、そもそも正体不明の力のことを魔力というのだから、いくら「便宜的」といってみても、戦前の天皇が実際にもち、行使した権力を「魔力」とくくってしまったのでは、およそ学問研究にはならないだろう。

しかし、安田氏の批判は、そうした言葉上の問題にとどまらない。

続きを読む

マルクス年譜

アドラツキー監修『カール・マルクス年譜』(広島定吉訳、改造社、1936年刊)

マルクスの年譜というと、大月書店から出版された『マルクス=エンゲルス略年譜』 ((1975年刊。1976年に、同書店「国民文庫」の1冊としても刊行された。))がよく知られているが、こちらは、戦前、改造社から発行された『カール・マルクス年譜』(広島定吉訳、1936年刊)。ソ連のマルクス・エンゲルス・レーニン研究所からアドラツキーの監修で出されたロシア語版(1935年)の翻訳。

続きを読む

日本史研究者には、またまた必読論文

『歴史評論』2011年3月号

『歴史評論』3月号

歴史科学協議会の発行する『歴史評論』3月号に、近藤成一氏の「中世天皇制論の位相」という論文が載っています。河内祥輔氏の『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年)を批判的に取り上げた論文です。

河内祥輔氏といえば、講談社から現在刊行中の『天皇の歴史』(全10巻)の編集委員の一人。ということで、さっそく読んでみました。

続きを読む

マルクスは世界の「片隅」で愛をさけぶ…?!

不破哲三『「科学の目」で見る日本と世界』(新日本出版社、2011年)

不破哲三『「科学の目」で見る日本と世界』

不破さんが新刊『「科学の目」で見る日本と世界』(新日本出版社)のなかで、マルクスがヨーロッパ資本主義を、それが大きな発展を遂げたあとでも、世界全体から見れば「小さな隅」にすぎないと指摘していたことを紹介されています ((不破哲三『「科学の目」で見る日本と世界』新日本出版社、2011年、98ページ。もとは2010年10月に日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の記念集会でおこなった講演。))。

この出所は、マルクスの1858年10月8日付のエンゲルス宛の手紙です。ところが、『全集』(第29巻)の翻訳と、『資本論書簡』(岡崎次郎訳、大月書店)の翻訳とでは、かなり文章が違っています。

続きを読む

マルクスの時代の税金って?

前回の古典教室で、『賃金、価格および利潤』の第11章「剰余価値が分解する種々の部分」に出てくる「税金徴収者」のことが話題になりました。剰余価値の受け取り手のなかに、資本家、地主、貨幣資本家だけでなく、「諸君が望むなら税金徴収者をこれにくわえてもよい」と、マルクスは書いています ((服部文男訳『賃労働と資本/賃金、価格および利潤』新日本出版社、古典選書シリーズ、156ページ。))。

もちろん、ここでマルクスが言っているのは、税務署の職員のことではなくて、徴税主体である国家のことです。そして、社会全体の労働を、労働者の必要労働部分とそれ以外の剰余労働部分とに大別すれば、税金が剰余労働に含まれることは明らかです。

しかし、そもそもこの時代の税金って、どうなっていたんでしょうか? そもそも、労働者が納めるような税があったのでしょうか? そこで、またもやあれこれと調べてみました。

続きを読む

工芸ガラスの製造工程

岩田糸子『ガラス工芸』保育社カラーブックス

ガラス瓶の製造工程についてあれこれ調べていますが、ご紹介もいただいた岩田糸子『ガラス工芸』(保育社カラーブックス、1975年、絶版)を手に入れて、読んでみました。

本書は工芸ガラス作品の紹介が中心ですが、後ろに工芸ガラスの製造工程について、少しまとまった解説がついています。その中に、吹き竿をつかった手作業について、次のように記述されていました。

続きを読む

Glass Blowingの作業工程

先日、「ガラスビン製造マニュファクチュアがわからん…」という記事を書いたら、先輩から“The Encyclopedia Americana, International Ed. の Glass Blowing に詳しく載ってるよ”と教えていただきました。

読んでみると、たとえばガラス吹きのチームについて、次のように書かれています。

続きを読む

ガラス瓶の作り方

Youtubeで、ガラス瓶の製造工程の動画を見つけました。他にもいろいろあるようです。

http://www.youtube.com/watch?v=NVKcISj2LfA

残念ながら、マルクスが書いているようなマニュファクチュア的なガラス瓶製造ではなくて、機械によるものです。それでも、なるほどと思うことがいろいろありました。

続きを読む

ガラスビン製造マニュファクチュアがわからん…

『資本論』第12章「分業とマニュファクチュア」第3節の終わり近くに、イギリスのガラスビン・マニュファクチュアのことが出てきて、1つのガラス窯に5人の労働者が組みになって仕事をしていると書かれています(ヴェルケ版367ページ、原注(40)の出てくる少しあとの部分)。そのこと自体は分かりやすいことなのですが、問題は、その労働者の「○○工」という名称の翻訳です。

たとえば、新日本出版社の上製版『資本論』では、次のような翻訳になっています。

一つのガラス窯の同じ口のところで一つの群が労働しているが、この群はイギリスでは「穴」と呼ばれていて、(1)壜製造工すなわち(2)壜仕上工一人、(3)吹き細工工一人、(4)集め工一人、(5)積み上げ工すなわち(6)磨き工一人、および(7)搬入工一人から構成されている。(新日本出版社、上製版『資本論』Ib、601ページ)

「壜製造工」、「壜仕上工」や「吹き細工工」は、ほんとうにガラスビン製造工房でそんなふうに呼ばれていたかどうかは別にして、だいたいなんとなく何をする労働者か分かります。しかし、それ以外の「集め工」「積み上げ工」「磨き工」「搬入工」になると、なにをする労働者なのかよく分かりません。たとえば「集め工」「積み上げ工」は、なにを集め、なにを積み上げるのでしょうか。それに、「積み上げ工」と「磨き工」がなぜ「すなわち」でつながれているのかも分かりません。「搬入工」もなにを搬入するのか不明です。

この部分、原文では、こうなっています。ご覧になって分かるように、これらの職種名はすべて英語で表記されています。

続きを読む

いちおう勉強もしてます… (^^;)

大津透『神話から歴史へ』天皇の歴史1(講談社)

大津透『神話から歴史へ』(講談社)

年末からコンサートと映画の記事ばかりで、遊んでばかりいると思われると困るので、まだ3分の2程度しか読んでいませんが、いま読んでいる本を紹介しておきます。

講談社の「天皇の歴史」(全10巻)の第1巻、大津透『神話から歴史へ』です。

続きを読む

マルクスの時代、1ドルはいくらぐらいの値打ちがあったのか?

「マルクスの時代の1シリングは、いまの円に直すといくらぐらいだったのだろうか?」という記事を書いたところ、「じゃあ、マルクスの時代、1ドルはどれぐらいの値打ちがあったのか?」という質問をいただきました。

そこで、また調べてみました。

平凡社『世界大百科事典』によると、ドルの金平価は、1837年に1ドル=金23.22グレーン(1グレーンは0.064g)とされたあと、1861年に南北戦争のために正貨との交換が停止され、1879年に兌換を再開。このドルの金平価は、世界大恐慌後の1934年に40.94%切り下げられ,1ドル=金13.71グレーン(金1トロイオンス=35ドル)となるまで続いたようです。

ということで、あとは計算。

続きを読む