『季刊 経済理論』第42巻第4号

『季刊 経済理論』第42巻第4号表紙

久しぶりに『季刊 経済理論』(経済理論学会編、桜井書店)を購入。

特集の「『資本論』草稿研究の現在――新MEGA編集・刊行とその成果」にも興味があったのですが、もう1つ読んでみたかったのは、中谷武・大野隆「労働時間と雇用の決定について」という論文。雇用水準と労働時間との関係を、それぞれを独立因数として数量的モデルを考え、それを1960年代以降の日本の雇用量・労働時間の実際の動きと照らし合わせて検討してみようというものです。

相変わらず数式的な議論はよく分からないのですが、

  1. 基準労働時間がある水準を下回っていれば超過労働が発生し、ある水準を上回っていれば超過労働は発生せず、実際の労働時間が基準労働時間に等しくなるような、基準労働時間のある水準(「限界基準労働時間」)というものが存在する。
  2. 「限界基準労働時間」は、基準実質賃金率が高く、超過労働に対する賃金の割増率が高い場合は低くなり、超過労働は発生しにくくなる。それに対し、離職率や割引率が上昇すると、「限界基準労働時間」も上昇し、超過労働が発生しやすくなる。

というもの。要するに、実質賃金率が高く、割増賃金率が高いときは、超過労働の限界コストが高くなるので、企業は労働時間の延長ではなく、雇用拡大によって必要な労働投入をまかなうのに対し、離職率が高く、したがって雇用調整費用やリクルート費用、ジョブトレーニングの費用がより多くかかる場合は、雇用拡大よりも労働時間を延長する方が企業に有利だということです。

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菊池英博『増税が日本を破壊する』

菊池英博『増税が日本を破壊する』

 書店でたまたま見かけたので買ってみたのですが、これがなかなか面白い。ぜひとも財政学の専門家の意見を聞いてみたいと思いました。

 著者の主張は、第1に、「日本は財政危機ではない」ということ。つまり、日本の政府の長期債務は国・地方あわせて795兆円あると言われるが、実はこれは「粗債務」。ところが、政府は480兆円の金融資産を持っているから、純債務は315兆円で、対GDP比(債務の国民負担率)は実質60%程度。この水準はユーロやドイツ並みで、日本だけがとびきり財政赤字が大きいわけではない。
 第2に、毎年財政赤字を続けるアメリカでも、政府の純債務は増加している。しかし、名目GDPが増えているから、債務の国民負担率は低下している。ところが、日本は、デフレで名目GDPがマイナスになっている。そのために、債務の国民負担率が大幅に増えたのである。
 第3に、したがって、債務の国民負担率を減らすためには、積極財政をとってデフレからの脱却をはかるべきである。それにもかかわらず、小泉首相は「構造改革」と称して、緊縮財政・増税路線をすすめている。その結果、デフレが深刻化し、国民経済は縮小、税収は落ち込み、結局、財政赤字はさらに拡大。名目GDPの減少と相まって、債務の国民負担率を大きくしている。

 小泉首相の「構造改革」路線が国民経済を冷え込ませ、デフレを深刻化しているという指摘は、その通りだと思います。それに、巨額の外為資金がアメリカの国債購入にあてられていることや、これだけ財政赤字がありながら、貿易収支では日本は巨大な黒字となっていることなど、いったいどう考えたらいいんだろうと思っていたので、政府の債務は「粗債務」ではなく「純債務」で考えるべきだという指摘は、なかなか興味深いものがあります。

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イギリスの童話「一寸法師」って?

『資本論』を読んでいたら、「7マイル長靴」というのに、訳注がついていて、「イギリスの童話『一寸法師』にでてくる人食い鬼が履く、一またぎで7リーグ(約21マイル)進める長靴にちなむ」と書いてありました。(新日本出版社版『新訳 資本論』新書版第2分冊523ページ)

イギリスの童話「一寸法師」? 「一寸法師」はもともと日本のお話。イギリス版の「一寸法師」って、どんなお話なんでしょう?
ご存じの方、ぜひお教えください。m(_’_)m

マスコミ論調 総選挙の結果をどう見るか(12)

経済学者の松原隆一郎氏(東大教授)が、今日の「毎日」で、こんなことを書いています。

 もともと国民は郵政民営化の中身に関心がない。……この関心のない層が小泉支持に回った。投票率の高さがこのことを示している。
 国民にとって今回の選挙が魅力的に映ったのは、郵政民営化の中身というよりも、有権者自らが意志決定に参加できる参加型だったからだ。小泉さんは「郵政改革イエスかノーか」と単純化し、有権者は分かったような気持ちになって、自分たちが決める雰囲気になっていった。

さらに、小泉首相の「小さな政府」論について、松原氏は、こう指摘されています。

 小泉さんの政治は市場化を進める方向にある。郵政民営化は誰のために行うのか。小泉さんの市場化は大銀行、大企業、外資のための独占市場主義だ。そうじゃなくて公共財で最低の生活保障をする、より公正な資本主義が必要だ。

小泉「市場化」は大銀行、大企業、外資のため。なるほど、その通りです。

党首討論会にたいする識者のコメント

東大の松原隆一郎氏は、「朝日新聞」で、「野党は対立軸鮮明に」と題して、次のようにコメントしています。

 新自由主義こそ小泉首相の掲げる理念。それがはっきりした。市場化を進め、大企業や大銀行中心の世界を目指している。郵政事業は道路公団と異なり、国民の間に「公共財」という意識があると思う。……
 一方の野党だが、首相が唱えた「市場化万能論」は米国にも、経済学者にも支持者が多く、強い対立軸をうちださないと対抗できない。……この点、岡田代表の描く理念はよくわからない。大企業をある程度規制した市場競争主義を目指しているようだが、福祉も強調した。「市場を生かすための最低限の公共財」という位置づけならばわかりやすいが、政策ごとの理念がばらばらだ。強い「自由党」になった小泉自民党に対抗できなかった。
 むしろ、郵政民営化反対論は「大銀行のためだけにやっている」と単純化した志位委員長の主張に説得力があった。共産党の主張は昔と変わっていないが、かつて中間層にも配慮した自民党の政策が、大資本に傾き始めたからだ。ただ、安全保障に関する議論が弱いため、全体的に説得力が落ちてしまった。(「朝日新聞」8月30日付4面)

安全保障問題はさておき、小泉政治が大企業・大銀行中心の政治であると、ずばり指摘されたことは大賛成。

この点では、同じ「朝日新聞」の「9・11総選挙なにが論点」で、阪大の堤修三氏が、「給付の削減は社会基盤崩す」として次のように指摘されているのが、松原氏の指摘と噛み合って興味深い。

 実は、国民負担率が上がると経済成長に悪影響をおよぼすという学問的な証拠はない。徹底的に無駄を省いたとしても、少子高齢化で給付の増大は避けられない。無理やり経済成長の範囲内に抑えれば、社会保障の機能は限度を超えて損なわれ、社会の安定と統合が危うくなる。
 ……払った分に応じて給付の見返りがある保険料は、税とは違って、本来国民負担として単純に合計できないはず。

もう1つ、松原氏のコメントで注目したのは、小泉首相の政治手法を批判したこのくだり。
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郵政民営化への批判

今日の「毎日新聞」の論点「『小泉政治』どう評価」で、京都大学の佐伯啓思教授が、郵政民営化について次のように書かれています。

 たとえば、350兆円にのぼる郵貯の資金を「民」に流し、市場競争にさらせばどうなるか。政府は、これを市場に供給することでいっそう効率的な運営が可能になる、という。しかし、現状で、市場が望ましい結果をもたらすという理由はどこにもない。特に、今日のグローバル化した金融経済においては、これらの資金は海外に流出する可能性は高く、また国内においては資金の過剰供給によって金融市場の混乱は避けがたい。(「毎日新聞」2005年8月27日朝刊6面)

 小泉改革の経済的な意味は、一言でいえば、日本経済をグローバルな競争市場へと結びつけ、アメリカ型の競争市場へと変質させようというものであった。90年代の「構造改革」は、それがアメリカからの要請として始められたように、日本経済を、展望のないままに、アメリカ主導のグローバル経済へと投げこむものであった。そして、このことは、アメリカの経済的覇権主義と中国経済の台頭という現実のなかで、この両者にはさまれた日本経済を大きな混乱に陥れている。人口減少のもとで低成長経済へ移行せざるを得ない日本にとっては、アメリカとも中国とも異なった将来の社会像を描き出すことこそが緊急の課題なのであり、その意味では、小泉改革は、本来の仕事を放棄しているというほかなかろう。(同前)

佐伯啓思氏というと、どちらかというと保守的で、改革賛成のイメージだったのですが、この指摘は、さすが経済学研究者という見識あるもの。郵政民営化で350兆円のお金が湧いてでて、景気が良くなるかのような自民党政権公約のノーテンキぶりを真正面から批判しています。

小泉改革の展望のなさ、日本にいま求められている将来の社会像は何か、総選挙でぜひともじっくり考えたい論点です。

経済セミナー8月号

経済セミナー8月号が「日本は『格差社会』か」という特集を組んでいたので、ひさびさに買ってみました。

  • 太田清「日本の経済格差は広がっているか」
  • 大竹文雄「日本の所得格差のパズルを解く」
  • 高林喜久生「『格差』とは何か」
  • 佐藤俊樹「若年層と『目に見える』格差」
  • 白波瀬佐和子「『みえる格差』と『みえない格差』」

結論から言ってしまえば、「特集」と銘打った割にはちょっと寂しい。佐藤俊樹氏などは、相当やけっぱちになって書いている感じがします。(^_^;) しかし、それでも日本が格差拡大社会になっていっていることは明らかです。

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小野善康『景気と経済政策』

小野善康『景気と経済政?』

伊東出張のときに読んだ『貨幣経済の動学理論』がおもしろくて、同じ著者の岩波新書『景気と経済政策』(1998年)を読み始めました。

こっちは、景気と経済政策の関係をどう考えるかというもっと具体的な話なので、経済理論そのものについての展開は少ないが、その分、難しい理屈よりも、基本になる考え方みたいなものが分かりやすく展開されている。

著者の強調することは、突き詰めていえば、たった1つ。同じ経済政策でも、景気の局面との関係で、政策の影響、効果は違ってくる、ということ。著者は、「供給側の経済学」と「需要側の経済学」という2つの角度から、その問題に迫っていくのだが、注意が必要なのは、著者がこの本でいうところの「供給側の経済学」「需要側の経済学」というのは、いわゆるサプライサイド・エコノミクスとかケインズ経済学とかをさすものではないということ。もっと広い意味で、1つの経済現象を2つの視点から取り上げている。

たとえば競争と企業淘汰の問題について。著者は、こう述べている。
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伊東出張のあいまに読んだ本

伊東出張のあいまに

  • 玉野井芳郎・柏崎利之輔編『近代経済学の系譜 その史的再検討』(日本経済新聞社、1976年)
  • 小野善康著『貨幣経済の動学理論 ケインズの復権』(東大出版会、1992年)

『近代経済学の系譜』の方は、論文集。杉原四郎氏の「J・S・ミルの利潤率低下論」がおもしろかった。岡田純一「スミス経済学の包括的把握」は、S・ホランダー『アダム・スミスの経済学』の紹介がおもな内容だったけれど、これも興味深い。

『貨幣経済の…』の方は、不況時などに「貨幣愛」とでもいうべき、流動性選好などとは別に、貨幣保有それ自体を自己目的化したような事態が出現し、それによって、不況均衡が起きてしまうということを明らかにしたもの。消費税導入がどんな意味を持つかなど、なかなかリアリティある議論で、いま半分くらいまで読んだところ。しかし、数式はさっぱりわからん…。(^_^;)

その他、インターネットで「置塩の定理」にかんする論文を2本ほど手に入れる。議論が精緻化されるにつれて、素人では理解できんことが増える…。

Windowsが起動しなくなった…

日曜日の出来事。

Windows2000ではハードディスク137G以上の領域を認識しない問題で、レジストリを書き換えて認識させる作業はうまくいったのですが、そのあと、それ以前、認識していなかった領域をあわせてパーティション切り直しの作業をしていて、どこかでミスったのか、NTLDRが見つからない!とのエラーが発生…。
コンソール画面からNTLDRをコピーしてみたがダメ。いろいろ試しているうちに、事態はますます泥沼化してしまった…。
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今村仁司『マルクス入門』

筑摩書房のマルクス・コレクションを読んでいる手前、仕方なく購読。

結論からいうと、あれこれ今村流マルクスを描いていますが、マルクスの全体像が見えてこないだけでなく、今村氏がいまマルクスを通して何を主張したいのかさえよく分かりませんでした。

全体として、『資本論』の話は、一部を除いて、主には価値形態論までで終わっており、たとえば未来社会における個人所有の復活という問題でも、「いったんは私的所有へと変質し頽落した個人所有を、もう一度共同所有と結合する」「個人所有と自由な個人を優位におき……共同所有を劣位におく仕方で、個人と共同体を結合する」など述べるだけで、意味不明というか、個人所有と共同所有の関係が問われている時に、その関係を明らかにしないままに、その周辺をあれこれさまよっているだけです。

とくに最後の2章は、「第4章と第5章は、いささか自説を押し出す試みをしてみた」(あとがき)だけあって、出来が悪いですね。

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山家悠紀夫『景気とは何だろうか』

山家悠紀夫『景気とは何だろうか』

ここ最近の日本経済の動きを知りたいと思って、山家悠紀夫さんの新著『景気とは何だろうか』(岩波新書、2月刊)を読んでみました。序章+第1章?第6章+終章の8章立て。前半の第1章?第3章は、「景気とは何か」「景気循環とは何か」「景気はなぜ循環するのか」という、どちらかといえば一般論的な内容。それにたいし、第4章以降の後半は、1997年以降の日本の景気の動き方が、実は少し変わってきたのではないか、というお話になっています。

後半では、1997年はほんとは景気上昇期だったのに、いわゆる橋本内閣の9兆円国民負担増(消費税の3%→5%への引き上げ、医療費の本人負担1割→2割など)という政策によって意図せざる景気後退が引き起こされた、と指摘。そのため、次の小渕内閣では、財政再建が棚上げされ、公共事業拡大、政策減税(こんど打ち切られた定率減税もこのときのもの)などがおこなわれ、1999年、2000年と短い景気拡張を迎えたが、2002年にアメリカの景気後退と小泉内閣の「構造改革」政策によって激しく落ち込んだこと。その後、輸出に導かれてゆっくりと回復に向かったこと(というより、日本の景気が輸出の伸びに左右されるようになったこと)などが明らかにされています。
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筑摩版『資本論』続き

その後も、筑摩版『資本論』をたらたらと読んでいます。また、いろいろ疑問な箇所を見つけました。

上246ページ終わりから2行目「資本家のサナギ」
原語はKapitalistenraupe。Raupeは辞書をひく限り、「幼虫、いも虫、毛虫」でサナギの意味はありません。サナギはPuppe。
上251ページ終わりから5行目「社会的生産の古い諸形態」
これはFormationenだから「諸構成体」の間違い。Formと勘違いしたんでしょうか?
俗流経済学と通俗経済学
鈴木直氏の担当部分は、すべて「俗流経済学」になっていますが、今村仁司氏・三島憲一氏が翻訳を担当した部分は、なぜか「通俗経済学」と訳されています。どっちでもいいんですが、訳の統一ができてません。(^^;)
Stoffwechsel
「物質代謝」というような意味の単語ですが、これも訳の不統一です。鈴木氏担当部分は全部「新陳代謝」という訳になっているのですが、今村氏の担当部分では「素材のやりとり」(上67ページ3行目)、「物質変換」(上130ページ注38の4行目、6行目)となっています。なお、三島氏担当部分には、この言葉は出てこないみたいです。

それから、前に書き込んだときに指摘した強調(ゴチック)がいっぱい出てくる件ですが…
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筑摩版『資本論』

筑摩書房から新しく出た『資本論 第1巻』を読み始めました。

とりあえずぱらぱら読み始めた印象では、細かい訳注などがいっさいない(簡単なものは割り注で入っているが)ので、意外と読みやすいというのが一番。あと、強調(ゴチック)がたくさんあるのも特徴です。後者は、邦訳「マルクス・エンゲルス全集」などの底本となっているDietz社のWerke版ではいっさい省略されているものを、同じDietz社の普及版(1953年)を参考に復活させたとのこと。従来の邦訳資本論にはなかったもので、結構たくさん出てきます。

ところで、これまで読んだところで、誤訳(もしくは誤植)と思われるのは――

(1)上巻68ページ13行目、および、同72ページ8行目の「人間労働の支出」のところは、独文はArbeitskraftなので、「人間労働力の支出」と訳されるべき部分です。同じ68ページの15?16行目では、「人間の労働」と「人間の労働力」がきちんと訳し分けられているので、たんなるミスか、それとも誤植なんでしょうか。しかし、2カ所もというのはちょっと解せません。

(2)上巻171ページ、注73の3行目と4行目の「資本制生産様式」。原文はProduktionsprozesses(「生産過程」)なので、ここも訳が違っています。そのあとに出てくる「生産様式」はProduktionsweiseなので、正しい翻訳になっています。

こなれた日本語にするために、いろいろ努力されていますが、上記2点は誤訳もしくは誤植と言わざるをえません。

谷口誠『東アジア共同体』読み終えました

谷口誠『東アジア共同体』(岩波新書)を、今朝の通勤電車のなかで読み終えました。読み始めたときの第一印象は前に書きましたが、読み終えた感想は「予想に違わず」で、中国、アジアとの関係重視、共同に21世紀の日本の発展の方向を展望するという点で、意外に共通点が多いのに驚くとともに、外交活動、それもOECDなど経済活動などに携わってきた人なりの視野の広さと深さがあって、学ぶべきところも多かったと思います。
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谷口誠『東アジア共同体』

本カバー

岩波新書の新刊、『東アジア共同体』(新赤版919)を読み始めました。

著者の谷口誠氏は、外務省入省、国連大使、OECD事務次長を経て、早稲田大学アジア太平洋研究センター教授などを務められた方です。だから、日米安保条約や日米関係については、「日米間には日米同盟が存在し、日米安全保障条約があり、日本の生存にとって、米国と健全な友好関係を維持していくことが重要なことは言うまでもない」という立場ですが、日本の対アジア外交において、日本が東アジア諸国に評価されてこなかった原因として、「過去の侵略戦争と、それに纏わる歴史認識の相違」とともに「戦後の日本外交」が対米重視政策であるためにに、「いっかんしたアジア重視政策がなかったこと」をあげられるとか、東アジア通貨危機の原因として「東アジアNIEsに、マクロ経済政策の一環として資本市場の自由化の促進を強く要求し、指導してきたIMF(国際通貨基金)、OECDの責任は大きい」と指摘されるなど、なるほどと思う指摘があちこちに登場します。
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風呂の中でスティグリッツを読む

スティグリッツ早稲田大学講義録カバー

いつも風呂に入りながらのんびり本を読むのですが、今日は、友人から薦められた『スティグリッツ早稲田大学講義録』(光文社新書)を読みました。

この講演は、今年(2004年)4月に行なわれたもので、タイトルこそ「国際金融機関の役割――成功と失敗、および改革への提言」という難しいものになっていますが、中身は、国際金融機関とりわけIMF(国際通貨基金)がどれだけ間違ってきたか、なぜ間違ったのか、これからどう改革したらよいのかを、分かりやすく話しています。
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ぼやいていても仕方がないので…

『経済学および課税の原理』

分からん、分からんとぼやいていても仕方がないので、一昨日から、リカードウ『経済学および課税の原理』(羽島卓也・吉澤芳樹訳、岩波文庫)を読み始める。

読んでみて初めて、この本が、「経済学の原理」と「課税の原理」を別次元のものと区別して論じていることを知る。で、第1章から第7章までが「経済学の原理」、第8章から第18章までが「課税の原理」、そして第19章以下が、それらについての応用編というか学説批評という形をとった補足、という構成になっている(羽島氏の解題による)。そう思って読むと、章ごとの組み立てには、それなりの筋が通っている。なるほどこういうことも、やっぱり現物を読んでみないことには分からないのだなあと、あらためて文献そのものに当たってみることの重要性を痛感。
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リカード研究の必要性

最近、菱山泉氏(京都大学名誉教授)の入門書的な本を2冊ばかり読みました。

  • 『近代経済学の歴史――マーシャルからケインズまで』(講談社学術文庫、1997年。親本は有信堂、1965年)
  • 経済学者と現代2『リカード』(日本経済新聞社、1979年)

なんで、こんなものを読んだのかというと、リカードやスラッファの経済理論を勉強してみたいのです。そもそもは、置塩氏の研究から触発されて、リカードを現代に再生したというスラッファの『商品による商品の生産』をずいぶんと前に飼ったのですが、そもそもリカードは『経済学と課税の原理』も読んだことがないので、全然歯が立ちません。そこで、ともかく周辺から探っていこうと、スラッファの代表作『商品による商品の生産』の翻訳者である菱山氏の本を読むところから始めた訳です。

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