左から、ジョアン・シェフ・バーンスタイン『芸術の売り方』(英治出版)、木畑洋一『イギリス帝国と帝国主義』(有志舎)、平体由美『連邦制と社会改革―20世紀初頭アメリカ合衆国の児童労働規制』(世界思想社)
で、東フィルのコンサートの開始時刻を間違えて、1時間早く渋谷に着いてしまったので、駅前に引っ越したBook1st.渋谷文化村通り店 ((東急文化村近くにあったBook1st.渋谷店の入っていたビルは現在解体工事中。))に立ち寄って、買ってきたのがこの3冊。
左から、ジョアン・シェフ・バーンスタイン『芸術の売り方』(英治出版)、木畑洋一『イギリス帝国と帝国主義』(有志舎)、平体由美『連邦制と社会改革―20世紀初頭アメリカ合衆国の児童労働規制』(世界思想社)
で、東フィルのコンサートの開始時刻を間違えて、1時間早く渋谷に着いてしまったので、駅前に引っ越したBook1st.渋谷文化村通り店 ((東急文化村近くにあったBook1st.渋谷店の入っていたビルは現在解体工事中。))に立ち寄って、買ってきたのがこの3冊。
ヒトラー・ドイツでナチスによっておこなわれたユダヤ人の大量殺戮。映画「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」で、大きく、重いテーマとなった問題ですが、600万人にものぼるユダヤ人の殺害は、なぜ、どのようにしておこなわれることになったのか。著者は、ナチスのユダヤ人政策が、どのように変遷していったかを丹念にあとづながら、戦争の進展のなかで「追放」政策が行き詰まり、「絶滅収容所」による計画的な大量殺戮にいたったとしています。
しかし、「最終解決」が始まる以前の、ユダヤ人を「劣等民族」として社会から締め出し、権利と財産を剥奪し、ゲットーに押し込めていく過程だけでも、読んでいて、うんざりしてきます。
ちょっと気分転換にと軽い気持ちで読み始めたのですが、意外に面白かったです。鎌倉時代に京から鎌倉に下った貴族の日記から、当時の東海道がどこを通っていたか、どんな道だったのかなど、徹底的に日記の記述などにこだわって調べています。
大阪センチュリー交響楽団と同じように、橋下府知事のPTによって、大阪の池上・曽根遺跡にある「大阪府立弥生文化博物館」も、廃止・統合(同じく大阪府立の「近つ飛鳥博物館」との統合)が計画されています。
しかし、「弥生文化博物館」の最大の魅力は、弥生時代の大規模な環濠遺跡である池上・曽根遺跡のすぐ近くにあること。また、「近つ飛鳥博物館」は古墳時代を対象とした博物館で、時代の違うものをごたまぜにすることは、かえって博物館の魅力を失わせるものです。
弥生文化博物館 存続求め集会(読売新聞)
文化切り捨て許せない 大阪・弥生文化博物館 存続求め市民集会(しんぶん赤旗)
弥生文化博物館:存続求め、和泉で市民の会結成――11日集会/大阪(毎日新聞)
弥生文化博物館:大阪府PT案で廃止 金銭で考えるのか――金関恕館長に聞く(毎日新聞)
橋下PTと府教委、公開討論で激突(朝日新聞)
橋下知事が売却方針の博物館敷地から大型首長墓 売却は不可能?(MSN産経ニュース)
改革直撃 博物館、ゼロ予算と格闘(読売新聞)
89歳老学者、38歳大阪府の橋下知事を叱る(MSN産経ニュース)
田中良之『骨が語る古代の家族』(吉川弘文館)
人の「歯」を使って、縄文時代、弥生時代、古墳時代の墓に埋葬された人骨の血縁関係を調べた本。
歯冠の形には高い遺伝性があるそうで、それを使って、1つの墓、墳墓、あるいは集団墓に埋葬されている人たちの血縁関係を調べるというものです。その結果、明らかになった結論は、
1月刊の中公新書、脇田修・脇田晴子ご夫婦による『物語 京都の歴史』。戦国時代までを奥様の脇田晴子氏が、近世以降を修先生が書かれています。
本書の特徴の1つは、平安遷都からではなく、原始・古代の京都から始まっているところ。そして、最後は駆け足になっていますが、明治維新から戦前・戦後の京都まで、エピソード満載。文字通り京都の歴史が一望できる、という仕組みになっています。
第2期の日韓歴史共同研究が始まりました。といっても、全部のテーマでの合意にはいたらず。
しかし、第1回のときのように、韓国側が日韓の歴史認識を問う大きなテーマをとりあげたのに対して、日本側は、学会の個別報告みたいな小さなテーマばかり取り上げていたのでは、「共同研究」にならない。韓国側の問題提起を受け止めて、日本側として日韓の歴史をどう考えるのか、真正面からの議論を望みたい。
以前紹介した大杉一雄氏の『日中十五年戦争史』(中公新書、1996年刊)が、『日中戦争への道――満蒙華北問題と衝突への分岐点』と改題して、講談社学術文庫から新刊されました。
一昨日から、遠山茂樹先生の『福澤諭吉』(東大出版会)を読み始めています。初版1970年で、「近代日本の思想家」シリーズの1巻として出版されたものです。シリーズで最後まで未刊となっていた『吉野作造』(松本三之介著)が、来春いよいよ刊行されるということで、既刊分も一括復刊されました。
仕事との関係で、いろいろと日本近現代史の本を勉強しています。福澤諭吉については、これまでまともに勉強したことがありません。しかし、彼をどう評価するかは日本の近代化をどう考えるかという点にもかかわる大事な論点なので、少し勉強してみたいと思います。
先日、まろさんからご紹介をいただいた大杉一雄著『日中十五年戦争史』(中公新書)。版元品切れ・重版未定ということで、古本屋で手に入れて、読み終えました。
一言でいって、これはなかなかの力作。一読の価値ありの本です。
著者、大杉一雄氏は、1925年生まれ、東大経済学部卒業後、日本開発銀行に勤務し、その間、アジア経済研究所に出向、という経歴の持ち主。いわゆる専門の歴史研究者ではありません。しかし、なぜ日中は戦わざるを得なかったのか、戦争を回避する可能性はなかったのか、可能性があったとしたら、それを可能性のまま終わらせてしまったものは何か、それを追求した著作です。よく知られた各種資料はもちろんですが、それだけでなく、当時の雑誌などに掲載された政治家や知識人の論文や座談会での発言などを丹念に調べ上げて、いわば当時どんなふうに議論がなされていたかをふくめ再現されているのが特徴。とても勉強になりました。
吉田裕氏の『アジア・太平洋戦争』を先に読み終えて順序が逆になりましたが、岩波新書の「シリーズ日本近現代史<5>」の加藤陽子さんの『満州事変から日中戦争へ』を読み終えました。加藤さんは1960年生まれ、ということで僕より年下ですが、最近活躍の研究者です。
加藤さんが本書で追究したテーマの1つは、戦前の日本では中国が不法行為を働くから報償・復仇として武力を行使したのだと考えられていたとして、なぜ日本はそんなふうに考えるようになったのか、という問題。その中心は、いわゆる「満蒙の権益」なるもので、これが「国際的に認められたもの」であったにもかかわらず、中国がボイコットなど「不当に」侵害した、日本はそれを守るために仕方なく武力に及んだのだ、という議論です。
しかし、加藤さんは、日本の「満蒙特殊権益」がイギリスやアメリカから認められたことはなく、そのことは当時の日本の外交担当者、支配勢力も自覚していたことを明らかにされています。つまり、「満蒙特殊権益は国際法上認められていた」という主張は、実は、日本が戦争に向かうなかで「改変」された「記憶」だったということです。
吉田裕さんの岩波新書『アジア・太平洋戦争』を読み終えました。8月21日に発売されたばかりですが、一気に読んでしまいました。
対象としているのは1941年12月8日の開戦から1945年8月15日までですが、叙述はその前の日独伊三国軍事同盟の締結(1940年7月)から始まり、次の5章立て。
第1章 開戦への道
第2章 初期作戦の成功と東条内閣
第3章 戦局の転換
第4章 総力戦の遂行と日本社会
第5章 敗戦
この時期を、出来事を追いかけつつ、要所要所で、戦争をめぐる「論」が整理されています。そのため、歴史的な事実関係と、それがどんな意味を持っていたかという「論」とが分かりやすくなっていると思います。
昨日、今日と、歴史学研究会の大会に行ってきました。
今日は現代史部会に出席。むかし大学院にいたときの専攻は日本近世史ですが、近世史じゃああまりにいまの仕事と関係がないので、頑張って勉強のつもりで現代史部会に参加してきました。部会テーマと報告は以下のとおり。
テーマ:「戦後」形成期における社会的結合――1950年代社会論の再開――
三輪泰史「紡績労働者の人間関係と社会意識――1950年代日本の職場サークルの歴史的位置――」
石井 聡「東ドイツにおける工業労働者の社会的結合」
金野 純「動員と社会――建国後中国都市社会の変動と民衆」
宮地正人氏の『幕末維新期の社会的政治史研究』から、とりあえず主だった論文を読み終えました。
宮地氏の明治維新史研究は、あとがきで「それまでの明治維新史研究では、私としては理解困難だった諸点の解明を通じての、自分なりの政治過程の論理的把握」と書かれているように、いわゆるオーソドックスな明治維新史からみると、かなりユニークです。しかも、過激なほどに「社会的政治史」に絞り込んで、明治維新の政治過程を描かれています。
本書に収められている論文でも、そうした圧縮された宮地流明治維新論が展開されています。
第1章 幕末維新期の政治過程(初出「幕末維新期の国家と外交」、『講座日本歴史 近代1』東大出版会、1985年)
第2章 幕末維新期の若干の理論的諸問題(「維新変革と近代日本」、『シリーズ日本近現代史1』岩波書店、1993年)
第7章 維新政権論(『岩波講座 日本通史』)
第8章 廃藩置県の政治過程――維新政府の崩壊と藩閥権力の成立(『日本近代史における転換期の研究』山和香出版社、1985年)
で、これらに書かれた宮地流明治維新論をまとめたいのですが、まともに近代史を勉強したことのない僕には、かなり荷が重い作業です。
大石嘉一郎氏の『近代日本地方自治の歩み』 (大月書店、2007年)に続いて、買ったままになっていた『日本資本主義百年の歩み』(東京大学出版会、2005年)を読み終えました。
いわゆる正統派の立場から、通史的に書かれているので、特別“これが目新しい”というところがある訳ではありません。それでも各章の末尾に、長めの注がつけられていて、明治維新の性格をどうみるか、日本の産業革命をどうとらえるか、大正デモクラシー(「護憲三派内閣」)の評価などなど、研究史上も論争的な問題についての大石氏の考え方が端的に書かれていて、非常に勉強になりました。
今日の「毎日新聞」夕刊の「遺跡の現在形」で紹介されていたのですが、千葉県成田市の稲荷山(とうかやま)遺跡で、1983年に出土していた鉄製の剣を調査したところ、刀身に北斗七星を刻んだ「七星剣」であったことが判明したそうです。
渋谷に来ています。ユーロスペースで「フランドル」を見終わりました。このあとはル・シネマで「輝ける女たち」を見ます。
東京歴史科学研究会というところが出している『人民の歴史学』第171号(2007年3月刊)に、日本中世史の木村茂光さんの「いま、歴史学に問われていること」と題した論文が載っています。もともとは、昨年6月に開かれた東京歴史科学研究会6月講座での講演ですが、なかなか意欲的というか、木村さんの問題意識がよくわかるおもしろい論文でした。