金子雅臣『壊れる男たち――セクハラはなぜ繰り返されるのか』(岩波新書)を読んでみました。
三四郎日記のyojiro5さんが、筆坂本は「この本をあわせて読むと分かりやすいかも知れません」、と薦めておられますが、なるほどこの本を読んでみると、筆坂氏がただただセクハラについて開き直っているだけだということがよく分かります。
「仕事の話がある」と呼び出しておきながら、「俺のことが嫌いなのか」「もう、子どもじゃないんだから」と車の中でキスを迫る。「大人の付き合いも給料のうち」と言って、社長室に呼び出してスカートの中に手を入れる。派遣社員に「ミニスカートをはいてこい」と言い、セクハラで訴えられると、「相手は、派遣の人たちですよ」「正社員にしてやるといえばしっぽを振ってやってくるような連中」と平然と言ってのける。採用面接のときから目をつけ、食事に誘って、酒を飲ませ、酔わせたところで強引にホテルに連れ込む、等々…。
本書で取り上げられているのは、セクハラといっても、刑事事件にもなりかねないような深刻な事例ばかり。にもかかわらず、くだんの男性諸氏は、訴えられると、「誘ってきた」「合意の上」「相手も分かっていたはず」などと、勝手な(というか、まったく自分に都合のいい)申し立てをして、少しも悪びれない。「カラオケで、ちょっと腰に手をやったくらいで、なんで国会議員を辞めさせられなきゃいけなかったのか…」と開き直るのも、まったく同じことだというのがよく分かります。
なんで、こいつらは、こんなに分かってないんだ?! と、同性ながら呆れてしまう話ばかりです。
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