最近買った本

また備忘録的メモです。

  • 角田修一『「資本」の方法とヘーゲル論理学』(大月書店、8月刊、本体3500円)
  • デヴィッド・ハーヴェイ『ニュー・インペリアリズム』(青木書店、6月刊、本体2800円)
  • 河地和子『自信力が学生を変える 大学生意識調査からの提言』(平凡社新書、6月刊、本体760円)
  • 保坂修司『サウジアラビア 変わりゆく石油王国』(岩波新書、8月刊、本体780円)
  • 上村忠男『グラムシ 獄舎の思想』(青土社、8月刊、本体2600円)
  • 森岡孝二『働き過ぎの時代』(岩波新書、8月刊、本体780円)
  • 金関恕・森岡秀人・森下章司・山尾幸久・吉井秀夫『古墳のはじまりを考える』(学生社、6月刊、本体1980円)
  • ベンジャミン・リベット『マインド・タイム 脳と意識の時間』(岩波書店、7月刊、本体2700円)

ということで、まったく何の系統性もまとまりもなし。しかし、これがさし当たり僕が関心を持っているジャンルとテーマ。なんだろうねぇ…。(^^;)

今村仁司『マルクス入門』

筑摩書房のマルクス・コレクションを読んでいる手前、仕方なく購読。

結論からいうと、あれこれ今村流マルクスを描いていますが、マルクスの全体像が見えてこないだけでなく、今村氏がいまマルクスを通して何を主張したいのかさえよく分かりませんでした。

全体として、『資本論』の話は、一部を除いて、主には価値形態論までで終わっており、たとえば未来社会における個人所有の復活という問題でも、「いったんは私的所有へと変質し頽落した個人所有を、もう一度共同所有と結合する」「個人所有と自由な個人を優位におき……共同所有を劣位におく仕方で、個人と共同体を結合する」など述べるだけで、意味不明というか、個人所有と共同所有の関係が問われている時に、その関係を明らかにしないままに、その周辺をあれこれさまよっているだけです。

とくに最後の2章は、「第4章と第5章は、いささか自説を押し出す試みをしてみた」(あとがき)だけあって、出来が悪いですね。

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『現代思想』マルクス特集号

いまさらとは思うが、『現代思想』2004年4月臨時増刊「総特集 マルクス」を読み始めました。筑摩の「マルクス・コレクション」といい、マルクスが出版ジャーナリズムでいろいろ取沙汰されるのはよいのですが、問題はその中身です。

全部は読み終わっていませんが、これまで読んだところで、いろいろ感想を。
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ジョン・ベラミー・フォスター『マルクスのエコロジー』

マルクスのエコャ??ー表紙

ジョン・ベラミー・フォスター氏は、『独占資本主義の理論』(鶴田満彦監訳、広樹社、1988年)などの著書で知られるアメリカの経済学者。現在はオレゴン大学教授(社会学)。

で、この本は、最初は「マルクスとエコロジー」という題名で書かれる予定だったが、執筆の過程で「マルクスのエコロジー」に変わったという。著者によれば、マルクスに対するエコロジーの側からの批判は、次のような6点にかかわっている。

  1. マルクスのエコロジーにかんする記述は「啓発的な余談」であって、マルクスの著作本体とは体系的に関連づけられていない。
  2. マルクスのエコロジーにかんする洞察は、もっぱら初期の「疎外」論から生まれたもので、後期の著作にはエコロジーにかんする洞察は見られない。
  3. マルクスは、結局、自然の搾取という問題へのとりくみに失敗し、それを価値論に取り込むことを怠った。
  4. マルクスは、科学の発展と社会変革がエコロジー的限界の問題を解決し、未来社会ではエコロジー的問題は考える必要がないと考えた。
  5. マルクスは、科学の問題やテクノロジーの環境への影響に関心を持たなかった。
  6. マルクスは、人間中心主義である。

著者は、こうした見方が、マルクスが批判した相手の議論であって、マルクスのものではないことを明らかにしていくのだが、その詳細は省略せざるを得ない。

面白いのは、こうした問題とかかわって、著者が、自分のマルクス主義理解を問題にしていること。「私のエコロジー的唯物論への道は、長年学んできたマルクス主義によって遮られていた」(まえがき)と書いて、次のように指摘している。

私の哲学的基礎はヘーゲルと、ポジティヴィズム〔実証主義〕的マルクス主義に対するヘーゲル主義的マルクス主義者の反乱に置かれていた。それは1920年代にルカーチ、コルシュ、グラムシによって始められ、フランクフルト学派、ニュー・レフトへとひきつがれたものであった。……そこで強調されたのは、マルクスの実践概念に根ざした実践的唯物論であり、……このような理論の中には、自然や、自然・物質科学の問題へのマルクス主義的アプローチが入り込む余地はないように思われたのである。……私が自分の一部としたルカーチやグラムシの理論的遺産は、弁証法的方法を自然界に適用することの可能性を否定した。それは基本的に領域全体をポジティヴィズムの手に譲り渡すことになると考えたのである。……私の唯物論は、完全に実践的な、政治経済学的なものであり、哲学的にはヘーゲルの観念論とフォイエルバッハによるその唯物論的転倒から知識を得たものだったが、哲学と科学内部における唯物論のより長い歴史については無知だった。(本書、9?10ページ)

著者はまた、「唯物論を実践的なものにする際に、マルクスは自然の唯物論的把握への、つまり存在論的および認識論的カテゴリーとしての唯物論への一般的な関わりをけっして放棄しなかったということである」とも指摘している(同、23ページ)。
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ストレス発散?ご乱行…

ストレスが溜まっているという自覚はないのですが、ふらふらと紀伊國屋書店に立ち寄り、目に付く本をあれこれと買い漁ってしまいました。(^^;)

佐佐木隆著『万葉歌を解読する』(NHKブックス、新刊)
日経12付書評で面白いと思ったのと、「万葉集の正しい読み方、教えます!」というオビに惹かれてしまいました。
林光著『私の戦後音楽史』(平凡社ライブラリー)
日本を代表する作曲家である林光氏の1945年8月を起点とした半自伝(?)となれば、読むしかない。俳優座の「フィガロの結婚」に徳球が来た話とか、中央合唱団の話なども登場します。
計見一雄著『統合失調症あるいは精神分裂病 精神医学の虚実』(講談社選書メチエ、新刊)
とりあえず計見氏の本は読んでみる。
竹田青嗣『人間的自由の条件 ヘーゲルとポストモダン思想』(講談社、新刊)
前に『群像』で読んだ論文などが収録されているので、つい仕方なく…。
丁玲著『丁玲自伝 中国革命を生きた女性作家の回想』(東方書店、10月刊)
丁玲は、丸山昇氏の『上海物語』にも出てきますが、戦前からの中国共産党員でありながら、反右派闘争、「文革」で「裏切り者」とされ、1984年になってようやく名誉回復された人です。
小林英夫・福井紳一著『満鉄調査部事件の真相』(小学館、新刊)
満鉄調査部事件というのは、1942年9月に満鉄調査部の堀江邑一、具島兼三郎、石田精一、深谷進氏らが治安維持法違反として関東軍憲兵隊に逮捕された事件。

仕事の締め切りがようやく終わり、日曜日は一日寝倒して、昨日、一昨日と連続して映画を見て、いささか疲れ気味で、今日はまた腰が痛くなってしまいました。ということで、映画を諦めて真っ直ぐ家へ帰るつもりだったんですけどねえ。(^^;)

このほかに、さらにインターネットで買ったものも…。

  • ヴィヴィアン・バー著『社会的構築主義への招待――言語分析とはなにか』(川島書店、1997年)←これはAmazonで買った。
  • 赤羽隆夫著『日本経済探偵術』(東洋経済新報社、1997年)←古本です

ということで、いったい読み切れるのかどうか…。困った、困った。

【本日のBGM】Ludwig Beethoven:Symphonie No.9 op.125/dir. Philippe Herreweghe/La Chapelle Rpyale, Collegium Vocale Orchestre des Champs Elysees/harmonia mundi HMX 2981687

溪内謙『上からの革命』

昨日、コンサートの帰りに、新宿に新しくオープンしたジュンク堂書店に行ってみました。

三越の7階と8階の2フロアーぶちぬきで90万冊の書籍を並べたと言うだけあって、実際、ヘーゲル、マルクス、現代思想、経済学などのコーナーを見て回ると、「こんな本まで…」と思うようなものまで並んでいました。それに、店員教育も行き届いていて、「○○の本は?」と聞くと即座に「あちらの棚です」と答えが返ってきます。

で、あれこれ見ていたら、今年2月になくなったソ連史研究の泰斗・溪内謙氏の新著『上からの革命』(岩波書店、11月9日発売)を発見。1万1550円という定価に、一瞬ギョッとしましたが、氏の大著『スターリン政治体制の成立』(全4冊)を「簡潔な一冊」にまとめたもの、となれば買わざるを得ません。「簡潔な一冊」と言いながら、500ページを超える著作。がんばって勉強したいと思います。

ところで、『スターリン政治体制の成立』ですが、あっちこっちの古本屋を探して、ようやく第3部まで3冊揃ったものの、第4部(1986年刊)はどうしても見つかりません。古本屋でも、第4部は4冊セットでしか売られていません。どこかに第4部だけ転がってないでしょうかねえ…。

アルチュセール『国家とイデオロギー』再読

今日は、神奈川県立近代美術館・葉山館の「ヴィルヘルム・レームブルック展」を見てきましたが、その行き帰りで、アルチュセール ((フランスの「構造主義」マルクス主義の哲学者。1918年生まれ、1980年に妻を殺害。1990年没))の『国家とイデオロギー』を再読。かつて読んだときには気づかなかったことにいろいろ気がつきました(だから、読書は面白いのですが)。

以前は、アルチュセールのいう「国家イデオロギー装置」というのを、機能というより、実体として捉えていて、国家機構を「国家抑圧装置」と「国家イデオロギー装置」とに二分して捉えたものというふうに理解していましたが、あらためて読んでみると、確かにそういうふうに実体的に二分する議論がなされていることは事実ですが、むしろアルチュセールの議論として注目されるのは、そもそもイデオロギーとは何か、イデオロギーというのはどうやって機能するのか、こういうことについての彼の分析です。

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アルチュセールのイデオロギー論

アルチュセール『不確定な唯物論のために』(イタリアの哲学者フェルナンダ・ナバロ女史によるインタビュー、原著1988年刊、邦訳=大村書店、1993年刊)を初めて読みましたが、彼のイデオロギー論についての非常に分かりやすい解説になっていると思いました。

1つは、彼の議論が、実はスターリン主義流の哲学――いわゆるヘーゲル主義にたいする批判をねらったものだということが非常によく分かったこと。

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