昨晩、帰りの電車の中で『資本論』第8分冊を読了。
ということで、今日から第9分冊にとりかかります。(^-^)v
昨晩、帰りの電車の中で『資本論』第8分冊を読了。
ということで、今日から第9分冊にとりかかります。(^-^)v
『資本論』第3部の再読・精読ですが、目下、第5章「不変資本の使用における節約」に突入。
しかし、その途端、疑問な箇所にぶつかってしまいました。第5章の冒頭に、こんなふうに書かれています。文脈をはっきりさせるために、あれこれの保留条件などの追加的記述部分は省略。
絶対的剰余価値の増加、または剰余労働の延長、それゆえ労働日の延長は、可変資本が等しいままである場合には、すなわち同数の労働者が名目的には同じ賃金で使用される……場合には、不変資本の価値を、総資本および可変資本にたいして相対的に減少させ、そのことによって利潤率を高める……。(新日本新書版『資本論』第8分冊、132ページ)
何が疑問かというと、労働日が延長される場合、当然、消費される原料が増えるのだから、不変資本の価値は増大するはず。したがって、可変資本が同じままである場合には、総資本および可変資本にたいする不変資本の割合は増大するのではないか、ということ。
第2部に続いて、『資本論』第3部にとりかかりました。
とりあえず第1章を読了。第1章は、費用価格とは何か、利潤とは何かという最初の定義を明らかにしています(新日本新書版第8分冊、45ページ?63ページ4行目まで)。
そのあと、費用価格の概念から、利潤が流通過程から生まれるという幻想がどのようにして生じるかを論じています(63ページ5行目?68ページまで)。そのなかで、63ページ5行目から66ページまでは、トランズおよびトランズに依拠したマルサスの批判です。
そして、67ページ以降はプルードン批判。ただし、プルードン批判の方は、平均利潤率と生産価格の問題をプルードンは分かっていないというところで終わっているので、完結はしていません。
ということで、第2章に突入します。
本日は、千葉方面の取材で、またまた南関東を大移動。
ともかく移動に時間がかかるのが一番大変です。自宅から横浜まで1時間半近くかかるし、横浜→千葉も片道約1時間20分。結局、行ったり来りだけで半日つぶしている計算になります。
しかし、そのおかげで、『資本論』第2部の精読を完了!! ていねいに読んでみると、I(v+m)だのIIcだの、IImの部分1だの、目がチカチカしてくるややこしい文章も、書かれている中味はいたって当たり前のことだ、ということを再確認。第21章「拡大再生産」のところも、ていねいに読んでみると、マルクスがあれこれ苦労して原稿を書きすすめている様子が分かってきます。そして、ときにはトンチンカンなところへ踏み込んで、自分で「こんなやり方では解決しない」なんて書いているのを見ると、こっちが楽しくなってしまいます。
さて、明日からは何を読もうかなぁ…
本日の移動距離262.4km。お疲れ様でした。m(_’_)m
『資本論』第2部の精読は、ようやく第6分冊を読了。
『資本論』を読むときに、ぶつかるのは訳語の問題です。もちろん、ドイツ語と日本語とはまったく別の言語なんだから、ドイツ語の単語と翻訳の日本語を1対1対応させることは不可能なのだから、その場その場に応じて訳せばいい、という考え方もありますが、完璧な1対1対応は無理だが、マルクスが書き分けていることが分かるように、原語にあわせて別々の訳語を当てるべきだという考え方もあります。
そこで、タイトルにつけた「定在」「実存」「現存」、それにたんなる「ある」を含め、存在、あり方を表わす表現の訳し方です。
1つ1つの文や言葉、言い回しに拘って、マルクスはここで何を言いたいのかを考えながらを考えながら、『資本論』第2部を頭から読み直すことを始め、とりあえず第1篇を読み終わりました。(読んでいるのは、新日本出版社の新書版『資本論』第5分冊)
このまえの「余分な剰余労働」と「労働力の価格の再生産」という、ちょっと疑問な表現にぶつかったのも、この作業の中でです。
でもそうやって、一文、一語に拘って読んでみると、いままで気がつかなかったマルクスの“論の運び”が見えてきたりして、なかなか面白いのです。引き続き、第6分冊を精読することにします。(^_^;)
些細なことですが、新MEGAの第2部第12巻(『資本論』第2部エンゲルス編集用原稿)を見ていて、エンゲルスが草稿を編集するさい書き写し間違えたと思われる箇所を2つ見つけました。
1つめは、新日本訳・新書版第5分冊、48ページ、8行目(上製版、49ページ、後ろから6行目。MEW S.33)に、「余分な剰余労働」という表現が出てきます。しかし、「余分な剰余労働」というのはおかしな表現です(マルクスの「剰余労働」の定義からいって、「余分な剰余労働」というようなものはありえない)。
もう1つは、やはり新日本訳・新書版第5分冊、55ページ、後ろから5行目(上製版、56ページ最終行。MEW S.37)から次行にかけて、「労働力それ自身の価格の再生産」という表現が出てきます。しかし「労働力の再生産」といえば、やっぱり価値でしょ。「労働力の価格を再生産する」という表現は、ほかに見たことがありません。
そこで、これら2カ所について、新MEGA II/12の「乖離一覧」を確かめてみました。
リカードウといえば、アダム・スミスに続いて、いろいろ混乱はあっても、労働価値学説の立場にたった経済学者だと思っていたのですが、どうも最近の経済学史研究では、そうはなっていないようです。
福田進治『リカードの経済理論』(日本経済評論社、2006年12月)を読んでいたら、こんな記述に出くわしました。
日本会議の別働隊の1つとして、「美しい日本をつくる会」というのが今年2月に発足している。
この会の特徴は、これが、いわゆる「ジェンダー・フリー」攻撃にとどまらず、自民党なども賛成して成立したはずの男女共同参画社会基本法を攻撃の的にしていること。
設立趣意書(昨年10月)では、「社会や学校の乱れの原因は、共産主義的フェミニズムに根ざした男女共同参画社会基本法」「個人の人格を破綻させ家庭を壊す男女共同参画社会基本法を廃棄しなければ、遠からずわが国は亡国の危機に直面する」などとしている。
都知事選が終わって10日あまり。それなのに、なぜか紙面にでかでかと吉田万三さんが…。都知事選では敗れたが、歯医者の万三さんがハイシャの弁とは、おつなタイトルですなぁ。(^_^;)
記事の中身もそうですが、面白いのは、都知事選が終わって、石原知事に届かなかったのはもちろん、浅野候補にだって追いつかなかった吉田万三さんを、新聞記者が取材してみようと思ったという事実。
実際、知事選の争点を決めたのは万三さんだったし、街頭で演説すれば、通りかかった人が足を止める。こんな論戦の上手い候補者は珍しいと、僕も思っていたのですが、どうも「毎日」の鈴木記者も、そんな万三さんの弁に興味を持たれたようです。
久留間鮫造氏との論争をまとめた第1部「恐慌・産業循環論の体系構成」をぱらぱらと眺めたあと、『資本論』第2部草稿をふくむ新しい論争をとりあつかった第2部「再生産論の課題」から読み始めました。
最初は、『資本論』第2部第2編注32の「次のAbschnitt」問題と、『資本論』第2部第1草稿の第9節「再生産過程の撹乱」にマルクスが記した指示書きの解釈という、2つの問題だけをとりあつかったピンポイントの論争書かと思ったのですが、読んでみると、なかなか奥が深いというか、論争のベースとなっている冨塚氏の『資本論』理解がよく分かって、非常に勉強になりました。
ぶらりと本屋に立ち寄ったら、『新訳・新解説 マルクスとエンゲルスの労働組合論』という本が出ていました。
著者の宮前忠夫氏は、新聞記者としてドイツ、イタリアに在住したこともある国際労働問題研究者。勉強会で僕も教えてもらったことのあるドイツ語のお師匠様で、よく存じ上げております。
で、ぱらぱら見てみると、たんにマルクス、エンゲルスの労働組合関係の論文を新しく翻訳・編集したというだけではなく、なかなか面白そうな論点を含んでいます。
1月いらい最近買った本の整理をしてませんでした。ということで、ちょっと整理のために。
まだまだ続く…
発売になったばかりの大谷禎之介編著『21世紀とマルクス―資本システム批判の方法と理論』(桜井書店)を、読み始めています。
本書は、大谷禎之介氏の法政大学退職(2005年3月)記念の論文集ですが、『資本論』の理解にもかかわるいくつかの論文もあって、なかなか面白く読み始めています。
岩波書店の発行するPR誌『図書』の臨時号で、「岩波文庫 私の三冊」という特集を組んでいます。岩波文庫の中で、これはという3冊を紹介してほしいというアンケートに232人の方が回答を寄せています。
いろいろな人がマルクス、エンゲルスの本を上げていますが、そんななかでちょっと異色だったのは、ソフトイーサ株式会社社長の原哲哉氏。「私の三冊」の1つに、『資本論』をあげて、こんなふうに書かれています。
南北戦争について知っていることというと、映画「風と共に去りぬ」と、リンカーンの演説(いわゆる「ゲティスバーグ演説」)、それに、マルクスたちの国際労働者協会(第一インタナショナル)がリンカーンの再選に祝辞を送ったことぐらい。あと、奴隷制を擁護したのが民主党で、リンカーンは共和党だったことも知っていましたが、南北戦争の経過そのものはよく分かりませんでした。
戦争の具体的な経過を知りたいと思っても、いわゆる歴史書は、南北戦争の歴史的な意味について論じるばかりで、肝心の経過はごく概略だけ。そんなとき、たまたま店頭でこの本を見つけました。
少し前のことですが、友人から著書を贈っていただきました。ありがとうございます。
1848?49年のドイツ革命について、通史的に読める本というのを探してみたのですが、これが意外にありません。良知先生の本もあるけれど、革命の経過についてとりあえずつかむ、というには不向き。
ということで、林健太郎『ドイツ革命 1948・49年』を読んでみました。