井村喜代子氏の『「資本論」の理論的展開』の続きです。
まず、第8章「『商品過剰論』と『資本過剰論』との区分の誤りについて」から。これは、論争史的には面白いところですが、こんにちではすでに過去の問題になってしまっているので、井村さんがいくつか指摘している面白いところだけを抜き出しておきます。
井村喜代子氏の『「資本論」の理論的展開』の続きです。
まず、第8章「『商品過剰論』と『資本過剰論』との区分の誤りについて」から。これは、論争史的には面白いところですが、こんにちではすでに過去の問題になってしまっているので、井村さんがいくつか指摘している面白いところだけを抜き出しておきます。
不破さんの『マルクスは生きている』が、東販総合週間ベストセラー(5月26日調べ)で第11位に!!
どこかの本屋さんでとか、新書、哲学・思想のジャンルで、といった限定なし。あらゆる本屋さんに書籍を卸している東販の、すべての書籍の売り上げで第11位です。すごいですねぇ? (^_^)v
不破さんが新著『マルクスは生きている』(平凡社新書)の中で、イギリスの10時間労働法に関連して、『資本論』の一節を「社会的バリケードを奪取する」と大胆に――しかし、マルクスの本意にぴったりくる――意訳されていることは、前回紹介したところですが、あらためて考えてみると、この不破さんの「意訳」は、なかなか重要な問題を提起していると思いました。
問題は、『資本論』第1部第3篇第8章「労働日」の一番最後の、「わが労働者は生産過程に入ったときとは違うものとなって、そこから出てくる」(新日本新書版、第2分冊、524ページ)で始まる段落です。
以下、繰り返しになりますが、まず、この部分が従来どう訳されてきたか、ドイツ語原文がどうなっているか、不破さんはそれをどう「意訳」しかた、をまずふり返っておきたいと思います。
たとえば新日本訳では、この部分は次のように訳されています。
Amazonランキングで、不破さんの『マルクスは生きている』(平凡社新書)が 哲学・思想分野の第8位、政治分野では第9位になっています。(^_^)v
残念なことに、Amazon.co.jpでは、現在、『マルクスは生きている』は「一時的に在庫切れ」になっています。予想以上の売れ行きで、いきなり売り切れてしまったんでしょうか。平凡社さん、早く増刷してくださいねぇ? (^^;)
不破さんの『マルクスは生きている』(平凡社新書)が売れています!!
まず、紀伊國屋書店で新書分野で第4位。これは紀伊國屋書店全店舗での先週1週間(5月18日?24日)の売り上げです。
そして、ジュンク堂では、新書・文庫分野で第6位になっています。といっても、第1位?第4位は文庫(小説)なので、新書分野では第2位ということです。
リンクでは時間がたつと順位が変わってしまうので、今回は画像で貼り付けておきます。
井村喜代子さんの『「資本論」の理論的展開』の続き。いよいよ「生産と消費の矛盾」の話です。井村さんは、「生産と消費の矛盾」がいかに恐慌となって爆発するか、その展開を考えなければいけないと言われています。
これは、恐慌の「運動論」として提起されている問題と共通する指摘です。
はじめに
井村喜代子さんの『「資本論」の理論的展開』のノート。まだまだ続きます。今回は第6章。『資本論』第3部第3篇「利潤率の傾向的低下の法則」のなかの、とくに第15章「この法則の内的な諸矛盾の展開」についてです。
はじめに
まず、井村さんの問題意識。
しかしながら、第3部第3篇についてみると、各章の主題も、資本蓄積論・恐慌論におけるそれらの位置づけも、いまなおけっして明らかになってはいないと思われる。とくに、第3篇第15章「この法則の内的な諸矛盾の展開」は、生産の諸条件と「実現」の諸条件とのあいだの矛盾、「既存資本の減価」(K.III, S.258)、資本の過剰と人口過剰との併存など、きわめて重要な諸問題を取り上げているところであるにもかかわらず、この第15章を貫いている主題はなにか、またそれは第13、14章で説明された「利潤率の傾向的低下の法則」といかなる関連で把えるべきか、第15章を「この法則の内的な諸矛盾の展開」と題するのは正しいかどうかなどについて、なお多くの問題が残されている。(同書、169ページ)
これについて、不破哲三氏は、「恐慌論は恐慌論として読む」 ((不破哲三『「資本論」全三部を読む』第六冊(新日本出版社、2004年)、85ページ以下、参照。))ということを提起されていて、相通ずるものがあると思う。
不破さんは最新著『マルクスは生きている』の中で、イギリスの10時間労働法に関連して、『資本論』から次のようなマルクスの言葉を紹介しています。
責め苦の蛇(ドイツの革命詩人ハイネの詩からとった言葉――不破)から自分たちの「身を守る」ために、労働者たちは結集し、階級として、1つの国法、1つの強力な社会的バリケードを奪取しなければならない。(第1部第3篇第8章)
これは、新日本新書版『資本論』でいえば第2分冊、525ページ(ヴェルケ版320ページ)にでてくる部分ですが、訳文は、だいぶ分かりやすく改められています。新日本新書版では、この部分の訳文は次のようになっています。
井村喜代子さんの『恐慌・産業循環の理論』(有斐閣、1973年)を読んでいますが、序説「分析の基本視角と本書の構成」で、井村さんは、恐慌論の「基軸」について、次のように書かれています。
資本制生産が、生産諸力を「無制限的」に発展させる傾向をもつと同時に、労働者の消費を狭隘な枠内に制限する傾向をもつこと、――この<生産諸力の無制限的発展傾向と労働者の制限された消費とのあいだの矛盾>(本書では<生産と消費との矛盾>と略す)こそは周期的過剰生産恐慌の生じる基礎・「窮極の原因 der letzte Grund 」をなすものである。(同書、4ページ)
初出:『三田学会雑誌』73-6、1980年
はじめに
・表式分析にもとづいて拡大再生産過程、拡大再生産経路を考察しようという試みの共通した問題点。マルクスの表式例の前提――貨幣の価値どおりの環流、固定資本の捨象――のもつ意味を看過したまま、その前提のもとでの表式例、数式の時系列的展開を試みていること。したがって、I(v+mv+mk)=II(c+mc)を満たす範囲であればI、II部門の拡大率をまったく自由に想定できるように考えて、展開を試みている。(137ページ)
ノートはまだまだ続きますが、本のほうはそろそろ読み終わりつつあります。引き続き、井村さんの『恐慌・産業循環の理論』(有斐閣、1973年)にとりかかりたいと思います。
初出:『三田学会雑誌』第53巻第4号、1960年。論争史的なところは1960年に書かれたものだということをふまえて読むこと。
はじめに
・『資本論』における相対的過剰人口の分析は、「資本一般」体系たる『資本論』の論理次元によって限定をうけている。(84ページ)
・すなわち、『資本論』第1部第7篇「資本の蓄積過程」では、「資本はその流通過程を正常な仕方で通過することが前提」されている(K,I,589)ほか、大小の資本の対立・競争もそれ自体としては分析されていないし、産業循環の変動・恐慌も分析対象となっていない。
・したがって、商品市場の資本制的制限と変動のもとで、そこにおける諸資本間の対立・競争のもとで、資本蓄積と生産力発展・資本の有機的構成高度化の「現実的」運動がいかにすすみ、相対的過剰人口の「不断の形成、その大なり小なりの吸収、さらにその再形成」(K.I,661)がいかに展開するかは、部分的には言及されていても、分析課題にはなっていない。(85ページ)
・第3部第3篇第15章でも、「資本主義的生産の総過程」において資本過剰と人口過剰の併存する事態がとりあげられているが、そこでも分析は、基本的に「資本一般」の枠内にとどまっており、資本過剰と人口過剰の併存する事態がなぜ、いかにして生じるのかは解明されていない。
初出:藤林敬三博士還暦記念『労働問題研究の現代的課題』ダイヤモンド社、1960年
マルクスの「賃金論」をめぐって、第2章に続いて書かれた論文。
第1節「賃金の本質論」
ここで「賃金の本質論」と言っているのは、『資本論』第1部第2篇?第6篇で展開されているもの(51ページ)。
「賃金の本質論」は、(1)資本と賃労働とのあいだに行なわれる労働力商品の売買の本質を明らかにする。それと同時に、(2)この売買の本質が、労働の価格=賃金という現象形態によって隠蔽されることを暴露する。
初出:『経済評論』1957年2月号
第1節 『資本論』における賃労働の分析
(1)“プラン”構想当初の「資本」「土地所有」「賃労働」では、「資本一般」では、「土地所有はゼロ」、賃労働の分析範囲も非常に限られていた。
少し前から、井村喜代子さんの『「資本論」の理論的展開』(有斐閣、1987年)を読んでいます。
井村氏は一つ一つ厳密に考察をすすめているので、とても勉強になります。『資本論』でマルクスが問題をどう解明、展開しているか、ということと、マルクスが解明・展開しなかった問題をどう考えたらよいかということとを厳密に区別し、本書ではマルクスが『資本論』で分析・解明の対象とした問題はなになのかを明確にするとともに、それをふまえて後者の問題にも取り組んでいます。
井村氏は、『資本論』は、いろいろありつつも、基本的には「資本一般」という分析の枠組みに規定されているとしているところがポイント。
『資本論』第3部でも、「競争の現実の運動」はそれ自体としては分析対象とはならない。(6ページ)
米外交専門誌『フォーン・ポリシー』誌2009年5-6月号に、「まったく現代的なマルクス」と題する論文が掲載されています。ちなみに、同号は表紙もマルクスです↑。
Foreign Policy: Thoroughly Modern Marx
著者Leo Panich氏は、Socialist Register の編集者なので、彼がマルクスについて書くのは不思議ではありませんが、それが『フォーリン・ポリシー』誌に掲載されたというところが面白いですね。
日本共産党の都議候補・阿部まことさんが、ブログに、「『朝日新聞』のコラムニスト早野透さんが、『日刊スポーツ』に『解決策はマルクスにあり』と書いている」と対話がはずんだ、と書かれていました。
なぬ? と、「日刊スポーツ」のサイトを見ましたが、見つかりません。でも、4月5日付に載っているよ、と教えていただきました。
早野氏は、年間自殺者が3万人を超えるのは異常だと述べて、「自殺、不況、派遣切り、規制緩和政策は、同一線上に並んだ問題である」と指摘。そして、「この豊かな社会で、なぜ自殺が増え、派遣の若者が野宿し、年度末の3月も各地で派遣村ができるようなことになるのか」と問いかけています。
そして、『理論劇画 マルクス資本論』の出版に触れつつ、「現代の貧困も差別も派遣切りも、解決策はここにある」「もう一度マルクスに立ち返るべき時代なのかも知れない」と結んでいます。
昨年9?10月に、「民青新聞」に連載した「社会変革をめざした先輩 マルクス、エンゲルス」(全3回)をアップしました。
「民青新聞」編集部から、『蟹工船』ブームや「派遣切り」などで「この世の中、ちょっとおかしいぞ」と声を上げ始めた若い世代の人たちに、「マルクスってどんな人?」というのを紹介してください、ということで依頼されて、締め切りに追われつつ書いたものです。
すでにあちこちで話題になっている『理論劇画 マルクス資本論』(かもがわ出版)。私もようやく手に入れました。(^_^)v
このマンガは、もともと門井文雄さんという方が1982年に描かれたもの(大陸書房刊)ですが、それを今回は、マンガ評論家の紙屋高雪氏が一部再構成して再刊(新刊?)されたものです。また、新しく10項目の「解説」がつけ加わり、いまの金融危機や派遣労働の問題をとりあげ、より現代的に仕上げられています。
この『理論劇画 マルクス資本論』の最大の魅力は、紙屋氏も解説で指摘されていますが、ドレス工場での女性労働者の「たんなる過労死」やシーニアの「1時間」など、マルクスが当時の労働者がどんな状況に置かれていたかを告発した部分を、ページを割いて、しっかり描き込んであることでしょう。「ここがロドス島だ、ここで跳べ」のところも、わざわざイソップ童話の話までマンガに描かれています。マルクスが『資本論』で何を明らかにしようとしたか、たんに理論にとどまらない迫力、面白さが伝わってきます。