「幕末明治期にこうしたことを考えて書いていたことに驚いた」

今朝の「産経新聞」に『超訳「資本論」』の紹介がでていました。面白いと思ったのは、その中で紹介されていた、担当編集者の言葉です。

「まず自分で読みたかった」。実際に読んでみたら「幕末から明治期に、こうしたことを考えて、書かれていたことに驚いた」。そして、「イデオロギーの本ではなく、社会学の本だと分かった」

そうなのです。『資本論』というのは、実際に読んでみると、けっしてイデオロギッシュな本ではなく、資本主義の仕組みを解き明かした本だということが分かります。(^_^)v

【話題の本】「超訳『資本論』全3巻」的場昭弘著(MSN産経ニュース)

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マルクス『1857-58年草稿』を読む(10)

『資本論草稿集』第1分冊、438ページ。「絶対的剰余価値と相対的剰余価値」の第8段落から。

【第8段落(438ページ?443ページ)】

富そのものの発生は、その富が地代から生じるのではなく、すなわち彼〔リカードウ〕によれば生産力の増大から生じるのではなく、逆に生産力の減退から生じるものであるかぎり、彼にとってまったく理解を絶するもの…。(438ページ下段14行目?)

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マルクス『1857-58年草稿』を読む(9)

大月書店『資本論草稿集』第1分冊の続き。425ページ「絶対的剰余価値と相対的剰余価値」から。この見出しは新MEGA編集部によるもの。マルクス自身の論の流れとは合っていない。

マルクスは、「私自身のノートにかんする摘録」(『草稿集』第3分冊)で、「57-58年草稿」のノート第3冊の26ページ(『草稿集』第1分冊、408ページ)からを「剰余価値と生産力」とくくり、ノート32?38ページ(『草稿集』第1分冊、425?446ページ)を、そのなかの「資本の価値の増大について」としている。 ((『資本論草稿集』第3分冊、509ページ上段。ちなみに高木幸二郎監訳『経済学批判要綱』では、「摘録」に従って見出しが立てられていた。))

だから、425?446ページの部分は、前の部分からのつながりで読んでゆく必要がある。

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重要なのは変革することである

R25 2009年3月20-26日号

リクルート社の無料情報誌R25の今週号(2009年3月19日号)で、コラムニストの石原壮一郎さんが「こんな世の中で希望を持つには?」という難しいテーマに、マルクスの「重要なのは変革することである」という言葉を紹介しています。(^^;)

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金融と投機はどこで区別するか? (3)

井村喜代子氏は、投機について「投機は価格変動それ自体から価格差益(投機利益)を獲得しようとする取引である」(『日本経済――混沌のただ中で』勁草書房、2005年、24ページ)と指摘されている。

だから、社会のさまざまなところから余剰資金を社会的に集めて、資本を必要とするところにそれを貸し付けるという本来の金融と、投機とのこの区別が重要。

マルクスは、第25章「信用と架空資本」に続けて、第27章で次のように書いている。(ちなみに、第26章はマルクスが『資本論』とは別のことのために書き抜きをしていたものをエンゲルスが組み込んでしまったもの ((不破哲三『「資本論」全三部を読む』新日本出版社、6分冊、213-214ページ参照。))なので、マルクスのつもりとしては、本文は第27章に続いている)。

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金融と投機はどこで区別するか? (2)

こんどは利子生み資本。(第3部 第5篇)

貨幣を利子生み資本にするのは、「貸し付け」という行為。(第21章)

利子率の「自然」率というものは存在しない。利子と本来の利潤への分割を決めるものは「競争」である。(同前、新日本新書、第10分冊、602-603ページ。MEW, S.368,369)

第25章「信用と架空資本」。この章の読み方については、不破さんが『「資本論」全三部を読む』(新日本出版社)で、マルクスの草稿と、それをエンゲルスがどう編集したかという問題に遡って明らかにしている ((不破哲三『「資本論」全三部を読む』第6冊、198?205ページ、新日本出版社、2004年))。

まず、問題の限定。マルクスは、信用制度の「分析」は「われわれの計画の範囲外にある」と指摘。ここでとりあげるのは、あくまで「資本主義的生産様式一般の特徴づけに必要な2、3のわずかな点だけ」。そのとき、とりあげるのは「商業信用」だけに限られ、「公信用の発展」はとりあげない。

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金融と投機はどこで区別するか?

マルクスは「貨幣取扱資本」について、次のように書いている。(第3部 第19章「貨幣取扱資本」の冒頭部分)。

 産業資本……の流通過程において貨幣が遂行する純粋に技術的な諸運動――それが自立して、この諸運動を、そしてこの諸運動だけを自分に特有な諸操作として営む1つの特殊な資本の機能となれば、この諸運動はこの資本を貨幣取引資に転化する。(新日本新書、第9分冊、532ページ、MEW, S.327)

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実体経済から独立した投機的金融活動

『日本の科学者』2009年4月号
『日本の科学者』2009年4月号

慶応大学名誉教授の井村喜代子氏『日本の科学者』4月号「世界的金融危機と現代資本主義」という論文を書かれている。その中で、井村氏は、新しい投機的金融活動の内実を、理論的に「実体経済から独立した、金融・金融収益のための金融活動」「金融操作から生み出された、実態的な富の裏づけのない『虚』の金融取引の膨張」としてとらえる立場を強調しておられる。

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地名症?! これが調べてみると面白い(^_^;)

『資本論』第1部の、第8章「労働日」や第13章「機械と大工業」、第24章「いわゆる本源的蓄積」など、いわゆる歴史的な叙述の部分は、いろんな地名が登場します。

マンチェスターとかリバプールぐらいなら、高校の世界地図にも出てきますが、もっと細かい地名になると、どこがどこだかさっぱり分かりません。(^_^;)

しかし、地名の原綴りをWikipedia英語版で調べてみると、ほとんど全部ヒットします。

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ケルンの古文書館が突然倒壊

独ケルン市史料館が崩壊(AFPBB News)

ドイツ・ケルン市の古文書館が突然倒壊したそうです。直前に、ミシミシと音がしたので、館内の職員や利用者は避難して無事だったそうですが、隣の建物が倒壊に巻き込まれ、行方不明者がいるそうです。

ところで、中日新聞によれば、この古文書館には、マルクス、エンゲルスの遺稿も保管されていたとか。ケルンと言えば、青年マルクスが『ライン新聞』の主筆として活動をスタートし、1848年革命では、『新ライン新聞』を発行したところ。

はたしてどんな資料が残っていたのでしょうか? その他の資料も含めて、無事ならいいのですが。

古文書館が突然倒壊 ドイツ、3人が生き埋めの恐れ(中日新聞)
独ケルン市史料館が崩壊、行方不明9人 古文書などに被害か : AFPBB News

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『資本論』第1巻を読む?!

リミニ・プロトコル「カール・マルクス:資本論、第1巻」

マルクス『資本論』を読む劇が上演されるというので、見に行ってきました。

登場人物は、ドイツ+日本の12人。みなさん、演劇のプロではなく、言ってみれば素人さん。その人たちが、自分と『資本論』の係わり合いについて、舞台に登場して「語る」という、実験的というか現代的というか…、そもそも演劇ともいえないような「劇」です。そして、お客さん全員にも『資本論』が配られ、「語り」の合間、合間に、ページを指定して、そこを開いて『資本論』が読み上げられます。

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マルクスは彼が予言しなかったことを予言した?!

ロサンゼルス・タイムズ紙のインターネット版に、こんな記事が載っていました。

Karl Marx may have been prescient, but not that prescient | Los Angeles Times

見出しだけだと分かりにくいですが、世界的な経済危機が広がるなかで、マルクスの『資本論』から引用と称して、ある文章が、1カ月ほど前からインターネットを流れているのだそうです。

そのマルクスの文章なるものを、記事から翻訳すると、こんなふうになります。

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マルクス『1857-58年草稿』を読む(8)

さらに『1857-58年草稿』の続きです。「資本と労働のあいだの交換」第16段落から(第15段落は断片なので、よく分かりません)。

●第16段落(350ページ上段)?

まずマルクスは、「労働力能は労働者の資本だ」という言い方、見方を批判する。

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マルクス『1857-58年草稿』を読む(7)

「資本と労働のあいだの交換」の続きです。(ページ数は、大月書店『資本論草稿集』第1分冊)

●第11段落(335ページ下段)?第12段落(338ページ)
 「市場」と書かれて始まっていて、{}で囲まれた部分。これも、プランの続き?
 310?311ページのプランでは、「資本の後には、土地所有」「土地所有の後には賃労働」と書かれた後で、「こんどはその内的総体性において規定された流通として、諸価格の運動」と書かれている。この「諸価格の運動」が、この「市場」か?
 おもしろいのは、「市場」と言いながら、「まず金融市場」から始まっていること。その意味では、この「市場」は、310?311ページのプランの「V.金融市場としての資本」の話か?
 いずれにしても、最後にマルクスは「市場の抽象的範疇をどの箇所に入れなければならないかは、いずれわかるであろう」(338ページ上段)と書いている。

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マルクス『1857-58年草稿』を読む(6)

えーっと、マルクス『資本論1857-58年草稿』の続きです。(^_^;)

今回は、327ページ「資本と労働のあいだの交換」から。ただし、この見出しは新MEGA編集部がつけたもの。しかし、ここでマルクスは、単なる商品交換と、「資本と労働のあいだの交換」とはどこが違うかということを言いたいのだ。

●第2段落(327ページ上段)?第7段落(328ページ下段)
 資本と労働との交換は、たんなる商品と商品との交換と違って、「2つの過程」に分かれる。
 第1の過程=労働者が労働力を一定額の貨幣と交換する過程。
 第2の過程=資本家が価値を生み出す活動としての労働を交換で手に入れる過程。」
 商品と商品との単純な交換の場合には、こうした二重化は起こらない。

 ここでは〔資本と労働とのあいだの交換では〕、貨幣と交換して手に入れたものの使用価値が特殊的な経済的関係として現われ、貨幣と交換に手に入れたものの特定の仕方で使用することが、この2つの過程の究極の目的をなしている。したがって、このことが、資本と労働のあいだの交換を単純な交換とすでに形式的に区別している――2つの相異なる過程。(328ページ上段)

 第2の過程は、第7段落では「資本の側からする労働の領有」(328ページ下段)と言われている。

 資本と労働のあいだの交換では、第1の行為は1つの交換であり、まったく普通の流通に属している。第2の行為は、質的に交換とは異なる過程であって、言葉の濫用をしないかぎり、それを一般にある種の交換だなどと呼ぶわけにはいかない。それは、直接に交換に対立しており、本質的に別の範疇である。(328ページ下段?329ページ上段)

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Time誌 マルクスについて再考す?!

TIME Cover Europe ed. 2009.02.02

Time誌がマルクス特集をしているというので、さっそくゲットしてきました。2009年2月2日号で、すでに今週号(2月9日号)が出てしまっているので、何軒か書店をハシゴしました。(^_^;)

アメリカ版やアジア版は表紙がオバマ米新大統領の写真ですが、ヨーロッパ版の表紙はマルクスです。

Rethinking Marx, Time 09.02.02

で、特集のタイトルは、Rethinking Marx。「マルクス再考」というとよりも、「マルクスについてもう一度考える」という感じでしょうか。インターネット版ではサブタイトルは省略されていますが、As we work out how to save capitalism, it's worth studying the system's greatest critc ――「資本主義をどうやって救うかを解決しようとするとき、それは、研究する価値のある体制最大の批判である」といった意味だと思います。

Rethinking Marx – World Economic Forum – TIME

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1月のコンサートまとめ

1月のコンサート。日フィルのラザレフ就任披露演奏会のことは書きましたが、他にもこんなコンサートに行きました。

1月20日 東京フロイデ合唱団「第9」演奏会
1月21日 藤川真弓ヴァイオリン・リサイタル
1月25日 東京フィルハーモニー交響楽団第763回オーチャード定期演奏会
1月27日 東京都交響楽団 第675回定期演奏会Bシリーズ

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リカードウをちゃんと理解したい!!

ふたたびリカードウの『経済学および課税の原理』を読んでいます。しかし、リカードウがどういうことを想定して、彼の理論を展開しているのか、よ?分かりまへん。(^_^;)

第1章「価値について」の第3節で、リカードウは、こんな議論を展開しています。

 諸商品の相対価値の変動は、それらの物の生産に要する労働の増減によってひき起こされるばかりではない。その相対価値は、使用される固定資本の価値が不等であるか、あるいは、その耐久力が不等である場合には、賃金の騰貴およびその結果である利潤の下落によって変動することを免れない。(岩波文庫、上、45ページ)

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田原総一郎氏が考える、いま「資本論」が読まれる理由

もはや旧聞に属するが、田原総一郎氏が日経BPネットの連載コラムで「今、『資本論』が読まれる理由」という記事を書いておられる(2008年12月18日付)。

田原氏は、共産党の志位委員長が社会民主主義をめざすと明言したかのように書かれているが、もちろん、そのようなことはない。他にもいろいろツッコミどころはあるのだが、それはともかく、「ルールなき資本主義」に代わって「ルールある資本主義」が必要だと述べられている点、また、いまあらためて「労働とは何か」「企業とは何か」を考えるときであり、だからこそ『資本論』が読まれているのだ、という指摘はまったくそのとおりだ。

暴走した自由主義の反動? 今、「資本論」が読まれる理由 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

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