もうすでに1週間以上たってしまいましたが、2月26日に、杉並公会堂で開かれた小林多喜二没後75年の多喜二祭に行ってきました。
第1部は、俳優の鈴木瑞穂さんが「蟹工船」の最後のところを朗読し、ピアニスト村上弦一郎氏がショパンの「革命」「英雄」などを演奏しました。多喜二没後75年の記念の集いで、マルクスらと同じ時代に生きたショパンの「革命」を聞くというのは、なかなか趣のあるものでした。
もうすでに1週間以上たってしまいましたが、2月26日に、杉並公会堂で開かれた小林多喜二没後75年の多喜二祭に行ってきました。
第1部は、俳優の鈴木瑞穂さんが「蟹工船」の最後のところを朗読し、ピアニスト村上弦一郎氏がショパンの「革命」「英雄」などを演奏しました。多喜二没後75年の記念の集いで、マルクスらと同じ時代に生きたショパンの「革命」を聞くというのは、なかなか趣のあるものでした。
宇野派第2世代の代表的人物の1人伊藤誠氏(東大名誉教授)の『「資本論」を読む』(講談社学術文庫)が、昨年12月刊に刊行されました。文庫本ですが、書き下ろしの新著です。
で、ぱらぱらとめくっていてビックリしたのは、巻末の参考文献の中に、共産党の不破哲三氏の『「資本論」全三部を読む』(全7冊、新日本出版社、2003?2004年刊)が上がっていたことです。
あの新潮社から、日本共産党の不破哲三議長の政治回想録『私の戦後60年 日本共産党議長の証言』が出版されました。ということで、さっそく手に入れてぱらぱらと読み始めたのですが、おもしろくて一気に最後まで読んでしまいました。
この本は、政治ジャーナリストの角谷浩一氏が聞き手となってインタビューをおこない、それをもとに不破さんがまとめたもの。巻末に、インタビュアーの角谷氏のコメントが載っていますが、それが、この本のおもしろみをそれなりに伝えているので、紹介しておきたいと思います。
不破氏の話は隙がなく緻密であった。傍らに和文、英文の歴史資料や各種データ資料をおいて、時には横に控える秘書に追加資料を用意させ、歴史的な事柄について、裏付けを示しながら、よどみなく、その本質、背景をえぐった。
物腰は静かで、考えをまとめるために滞ったり記憶を頭の中で探すようなことは一度もなく、政治家特有の、ひとつのキイワードを繰り返すとか、気に入ったフレーズを強調するようなこともなかった。政治家というより、学究肌の人という印象を持ったが、穏やかに話す口調の中に、政治家として歴史の検証に関わっているという重みもしばしば感じた。(本書、350ページ)
不破氏が本書で語る内容は、決して情緒的ではなく、データと資料によって織り成され、積み上げられたものである。専門家の中には、不破氏が提示したデータや意見に対して、さまざまな感慨や反論を抱く人も多いだろうが、少なくとも私には新鮮に感じられた。同時に、本来立ち止まって検証すべき事象に対して、政府や政治、政党や、政治家、ジャーナリズムが、見抜けなかったり、頬かむりしたり、追及しそびれていた事柄があまりにも多いことを痛感した。
政治は歴史に対して、あるいは過ぎたことや終わったことに対して「しょうがない」を言ってはいけないのではないか。何度でも検証し、振り返り、間違いを正し続けるべきものではないのかだろうかと、不破氏の話を聞きながら、何度となく考えた。
政治家にはリーダーシップが必要だが、加えて過去、現在、未来に対しての複眼的視点も必要である。日本の進路に対して、政権や権力に対して、そして国民に対して、情緒的にならずに、謙虚に冷静に対応する多角的視点と行動が、ますます必要な時代はこれからだとも感じた。本書は、その視点を持つための一助になると信じている。(同、354ページ)
角谷氏は、政治家というものはよっぽど、お気に入りのワンフレーズを繰り返して、情緒的に喋るものだと思っていたようですが、何にせよ、これが、これまで不破氏に直接取材することがなかったという若手政治ジャーナリストの感想。僕は、率直なものだと思いました。出発点は、「一度たりとも政権に関わったことのない」、自民党などとは対極にある政治家の政治哲学や政治観、歴史観を聞きたいということだったのでしょうが、それ以上に、日本のこれまでの政治やこれからの進路を考える1つの枠組みを示すものとして受け止められたように思えます。