金曜日、仕事帰りに書店で見つけた本。元国立歴史民俗博物館館長の宮地正人氏の新刊書ですが、帯の宣伝文句がすごい!
激動の歴史過程を一貫した視点から描く、幕末維新通史の決定版
「決定版」と自ら銘打つなんて、こんな大胆なことは宮地先生でなきゃできませんね。^^;
ということで、早速読んでおります。
金曜日、仕事帰りに書店で見つけた本。元国立歴史民俗博物館館長の宮地正人氏の新刊書ですが、帯の宣伝文句がすごい!
激動の歴史過程を一貫した視点から描く、幕末維新通史の決定版
「決定版」と自ら銘打つなんて、こんな大胆なことは宮地先生でなきゃできませんね。^^;
ということで、早速読んでおります。
明治維新、日本近代史研究の泰斗である遠山茂樹氏が亡くなられました。
私が初めて遠山氏の本を読んだのは、大学1年のとき歴史学研究会で勉強した岩波新書の『明治維新と現代』(1969年)でした。しかし、日本史が好きだったとはいえ大学1年生にはむずかしすぎました。(^_^;) そのあと『戦後の歴史学と歴史意識』(岩波書店、日本史叢書)と『<新版>昭和史』(岩波新書)あたりを読んだように覚えています。
もういまではすっかり忘れられていますが、幕末・明治維新の12年間(1863〜75年)にわたって、イギリス軍、フランス軍が駐屯していました。本書は、その英仏駐留軍を中心にして、欧米列強による幕末日本の「植民地化の危機」や、当時の日本をめぐる英仏独露などの国際関係をヨーロッパの国際関係(クリミア戦争、普仏戦争、等々)とのかかわりを考察しています。
といっても、難しい理論問題としてではなく、当時の資料に即して具体的に検討されているので、へえ、ほ〜と思いながら読み進むと、日本の幕末・維新変革が、欧米列強の駆け引きやら緊迫した国際情勢のなかで展開していたことがよく分かります。
アジア・ユース・オーケストラ2010。8月はせっかくの夏休みなのに、オケはオフシーズン。ということで、生オケが無性に聴きたくなって、本日はぷらりとかようなコンサートへ行ってきました(オペラシティ)。
中国、台湾、香港、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの、17歳から27歳の若者2万人のなかから選抜された108人のオーケストラ。3週間のリハーサルキャンプのあと、3週間でアジア各国16カ所で公演をして回るそうだ。
本日のプログラムは、
指揮はジェームズ・ジャッド、チェロ独奏は王健(ジャン・ワン)。
『歴史評論』の9月号と『歴史学研究』の9月号。日本史研究者なら、これは読まなくてはいられません。
まず『歴史評論』の9月号。なんと、芝原拓自氏 ((芝原拓自氏は明治維新史研究者。代表的著作は、『明治維新の権力基盤』(御茶の水書房、1965年)、『所有と生産様式の歴史理論』(青木書店、1972年)、『日本近代化の世界史的位置』(岩波書店、1981年)など。1冊目は明治維新研究の必読文献の1つ。2冊目の『所有と生産様式の歴史理論』は、学生時代に読んで、図式的ではない史的唯物論の理論に初めて深く目を見開かせられました。同書では、『資本論』が長谷部訳で引用されていて、当時長谷部訳など持っていなかった僕は、図書館で長谷部訳の目次をコピーして、一生懸命、大月書店版『資本論』のページと照らし合わせたことがあります。3冊目は、学部生の時、佐々木ゼミでを読んだのですが、実はさっぱりわかりませんでした…。))が、「最近考えたこと」という短いエッセーを書かれています。論文でお名前を拝見するのは20年以上ぶりです。そこらあたりの事情については、ご本人が「ここ20年あまり、抑うつ性神経症という名の精神病をわずらい」と書かれているとおりですが、少しずつでも健康を回復されることを願ってやみません。
日本史研究者であれば、なにはともあれご一読を。
それから、『歴史学研究』9月号。1つは、三鬼清一郎氏の「批判と反省・山本博文著『天下人の一級資料』に接して」。
先日、某古本バザーで、明治維新の研究家だった石井孝氏の『維新の内乱』(至誠堂新書、1974年)を手に入れました。
明治維新・戊辰戦争を、第1部「天皇政府と徳川政府との戦争」、第2部「東北の戦争」、第3部「蝦夷動乱」の3段階でとらえたもの。とくに第1部では、大政奉還から上野・彰義隊討伐までを、(1)大政奉還か挙兵倒幕か、(2)天皇政府と徳川政府の決戦(鳥羽・伏見の戦い)、(3)徳川政権の消滅(江戸城明け渡し)、(4)徳川氏処分の完遂の4つに区分して、時期的には非常に短い戊辰戦争第1段階での明治政府対徳川政府の対立・対抗が鋭く論じられています。
保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機』(吉川弘文館)
幕末の日本には、西洋列強による植民地化の危険があったのかなかったのか? という論争がかつてありました(遠山 ((ウィキペディアの「遠山茂樹」の項をみても、「昭和史論争」は書かれているものの、井上清との論争のことはまったく登場しません(2010年1月27日現在)。))・井上 ((同じくウィキペディアの「井上清」の項には「晩年はしんぶん赤旗に掲載される共産党支持者リストに名を連ねていた」とまことしやかに書かれていますが、これは記事を書いた人の勘違い。同姓同名の別人です。))論争)。最近ではすっかり流行らなくなっていましたが、その論争を受け継いだ骨太の議論を久しぶりに読みました。
毛利敏彦氏の『幕末維新と佐賀藩』(中公新書)を読み終わりました。
帯にもあるとおり、明治維新をもたらした「薩長土肥」の雄藩のなかで、一番マイナーな佐賀藩。しかし、実は幕末・維新期には、佐賀藩が一番の先進藩だったという、ちょっと意外な話です。
宮地正人氏の『幕末維新期の社会的政治史研究』から、とりあえず主だった論文を読み終えました。
宮地氏の明治維新史研究は、あとがきで「それまでの明治維新史研究では、私としては理解困難だった諸点の解明を通じての、自分なりの政治過程の論理的把握」と書かれているように、いわゆるオーソドックスな明治維新史からみると、かなりユニークです。しかも、過激なほどに「社会的政治史」に絞り込んで、明治維新の政治過程を描かれています。
本書に収められている論文でも、そうした圧縮された宮地流明治維新論が展開されています。
第1章 幕末維新期の政治過程(初出「幕末維新期の国家と外交」、『講座日本歴史 近代1』東大出版会、1985年)
第2章 幕末維新期の若干の理論的諸問題(「維新変革と近代日本」、『シリーズ日本近現代史1』岩波書店、1993年)
第7章 維新政権論(『岩波講座 日本通史』)
第8章 廃藩置県の政治過程――維新政府の崩壊と藩閥権力の成立(『日本近代史における転換期の研究』山和香出版社、1985年)
で、これらに書かれた宮地流明治維新論をまとめたいのですが、まともに近代史を勉強したことのない僕には、かなり荷が重い作業です。
「維新史を書き直す意欲作」という宣伝文句。もちろん、この間の資料発掘や研究によって明らかになった新事実をもりこんだ最新の通史という意味で、僕自身、いろいろ勉強にもなったし、なるほど考えなおさないといけないなと思ったところもたくさんあります。
『日本通史<III> 国際政治家の近代日本』の宮地正人氏が解題を書いているということで、2001年に再刊された井上清『日本現代史<I> 明治維新』(東大出版会、親本は1951年刊)を手に入れて読みました。大学に入ったばかりのころに読んだ記憶はあるのですが、内容はまったく忘れてしまっていました。(^^;)
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先日の歴史教科書シンポジウムの討論のときに、琉球大学教授の高嶋伸欣さんが、日本の対アジア観という大事な問題に関連して、小西四郎著『開国と攘夷』(中央公論社版日本の歴史<19>、親本は1966年刊)を紹介されていました。ちょうど中公文庫で改版新刊が出たとろだったので、早速読み始めました。
高嶋氏が紹介していたのは、幕末に、日本がアメリカやイギリス、フランスなどに開国をせまられたとき、列強の植民地にならずにすんだのはなぜかという問題。この問題は、しばしばインドや中国が「遅れていた」のにたいし、日本は「進んでいた」から植民地化の危機を乗り越え、アジアで唯一独立をたもち、「近代化」にも成功した、というふうに論じられるのですが、高嶋氏は、そういう独りよがりな見方でよいのか、そういうところこそ、アジアが日本の歴史認識の問題としていちばん注目するところだというのです。
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