吉川敏子『氏と家の古代史』

吉川敏子『氏と家の古代史』(塙書房)

吉川敏子『氏と家の古代史』(塙書房)

日本古代の「氏(うじ)」と家(「戸」)を論じた本。著者は奈良大学教授。

「氏」が「始祖を共有する父系系譜で結ばれた集団」(8ページ)であることをわかりやすく解き明かしている。氏姓は制度のもとで、中央の豪族(「氏」)は「連」や「造」などの「姓」を天皇から与えられる。そして、たとえば大伴連に従属する地方の豪族は「大伴直」という氏姓が与えられる。もちろん、大伴連と大伴直は血縁関係はないし、各地の大伴直同士にも血縁関係はない。

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読み終わりました。古瀬奈津子『摂関政治』

古瀬奈津子『摂関政治 シリーズ日本古代史6』(岩波新書)

古瀬奈津子『摂関政治』(岩波新書)

岩波新書の日本古代史シリーズ最終巻の古瀬奈津子『摂関政治』。オビにあるとおり、藤原道長を中心に、9世紀から11世紀ぐらいまでを対象にしています。

以前に、講談社の『天皇の歴史』シリーズでも書いたことですが、摂関期ぐらいになってくると、描かれている時代のスケールがうんと小さくなってしまいます。古代律令国家で権力の頂点にあった天皇が、この時代になると、ほとんど内裏から外へはでなくなり、政治もほんの近親の公卿たちによって担われてゆきます。

そのことを、本書でも著者は、天皇との私的関係によって政治がおこなわれるようになると表現するのですが、国のまつりごとが私的な関係によって処理されてゆくというのは、いったいどういうことなのでしょうか?

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森浩一先生、83歳でもまだまだお元気

森浩一『天皇陵古墳への招待』(筑摩書房)

森浩一『天皇陵古墳への招待』

考古学の森浩一氏の新著『天皇陵古墳への招待』(筑摩選書)。

天皇陵古墳というのは、宮内庁が天皇陵(あるいは陵墓参考地)だとしている古墳のことです。僕が小学生のころ、初めて古墳のことを習ったころは「仁徳天皇陵」「応神天皇陵」だったけれども、大学で日本史を勉強し始めたころには「大山古墳」「誉田山古墳」になっていました。この名前の変更を提唱したのが森浩一氏だったのです。

なぜ、「仁徳陵」ではなくて「大山古墳」なのか? そこに「天皇陵古墳」にたいする考古学者としての森氏の学問的こだわりがあるのです。

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東北から見ると、律令国家の正体がよく分かる

鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館)

鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館)

先日読んだ坂上康俊『平城京の時代』でしばしば言及されていたので、続けて鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館、2008年)を読んでみました。

坂上田村麻呂の名前ぐらいは日本史の授業で習いましたが、それ以上はよくわかないという人は多いでしょう。古代蝦夷というと、むしろ高橋克彦氏の『火怨』のような小説の題材というイメージが強いかも知れません。本書は、和銅2年(709年)から弘仁2年(811年)までの「征夷」(律令国家のおこなった「東北戦争」)を取り上げ、限られた史料から「征夷」戦争の具体的なプロセスや、蝦夷(えみし)の実態、そしてそもそも律令国家はなぜ征夷をおこなったか(おこなうことを必要としたか)という問題を丁寧に明らかにしています。

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読み終わりました 『平城京の時代』

坂上康俊『平城京の時代』(岩波新書)

坂上康俊『平城京の時代』

岩波新書「シリーズ日本古代史」の4冊目。坂上康俊氏(九州大学教授)の『平城京の時代』です。

対象は、697年の文武天皇の即位からほぼ8世紀いっぱいぐらいまで。ということで、以前に紹介した講談社『天皇の歴史』第2巻『聖武天皇と仏都平城京』とほぼ同じ時期が対象になっています。

それでも、天皇中心の前書にくらべ、本書では、第2章「国家と社会の仕組み」や、第4章第3節「荘園と『富豪の輩』」などで、この時代の国家と社会を支えた庶民の姿が取り上げられていて、おもしろい。

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日本古代史の文献をあれこれ読みました

吉川真司『<シリーズ日本古代史3>飛鳥の都』(岩波新書)吉川真司『<天皇の歴史2>聖武天皇と仏都平城京』(講談社)
左=吉川真司『飛鳥の都』(岩波新書)、右=同『聖武天皇と仏都平城京』(講談社)

日本古代史のシリーズを読んでいます。1つは、岩波新書ではじまった「シリーズ日本古代史」。「農耕社会の成立」から「摂関政治」までを対象とした全6冊のシリーズで、先月、3冊目の『飛鳥の都』がでました。著者は京都大学の吉川真司氏。「七世紀史」というくくりで、推古朝の成立から遣唐使の派遣、「大化改新」、白村江の戦い、近江大津宮への遷都、壬申の乱、飛鳥浄御原令の制定・施行、藤原宮遷都あたりまでを取り上げています。こうやって概略を書き並べただけでも、激動の時代だったことが分かります。

もう1冊は、講談社が刊行中の『天皇の歴史』第2巻、『聖武天皇と仏都平城京』です。著者は同じ吉川氏で、こちらは天智朝、壬申の乱(672年)あたりから書き起こして、承和の変(842年)あたりまで。こちらは「天皇の歴史」ということなので、天智系と天武系の系譜問題や、近江令、飛鳥浄御原令から律令制の成立、さらに天皇と仏教の関係などが取り上げられています。

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いちおう勉強もしてます… (^^;)

大津透『神話から歴史へ』天皇の歴史1(講談社)

大津透『神話から歴史へ』(講談社)

年末からコンサートと映画の記事ばかりで、遊んでばかりいると思われると困るので、まだ3分の2程度しか読んでいませんが、いま読んでいる本を紹介しておきます。

講談社の「天皇の歴史」(全10巻)の第1巻、大津透『神話から歴史へ』です。

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奈良・牽牛子塚古墳から8角形の石敷き、斉明天皇陵と確認

牽牛子塚古墳=8月25日、奈良県明日香村で(中日新聞)

奈良県の牽牛子塚古墳の発掘調査で、8角形に石が敷かれていたことが確認されたというニュース。これで、同古墳が斉明天皇陵であることがほぼ確定しました。

宮内庁が天皇・皇族の陵墓に指定した古墳は、研究者による発掘調査も不可能。しかし、牽牛子塚古墳は、別の古墳が斉明天皇陵に指定されているため、このように発掘調査ができて、今回のような貴重な発見につながった訳です。この際だから、他の陵墓についても、ぜひ科学的な調査・発掘ができるようにしてもらいたいものです。

八角形墳、斉明天皇陵か 明日香・牽牛子塚古墳:朝日新聞

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仏教にとって戒律とは? 東野治之『鑑真』

東野治之『鑑真』(岩波新書)

日本古代史の東野治之・奈良大教授の新刊。11月発売の岩波新書の1冊。

5度の失敗や失明にも負けず、日本への渡来を果たした鑑真和上は有名ですが、本書で東野氏は、その鑑真がそこまでして日本へ伝えたかったものは何だったのか? という問題にせまっています。

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最古の万葉歌木簡見つかる


万葉歌が刻まれていた石神遺跡出土の木簡(奈良文化財研究所提供、読売新聞)

「万葉集」というのはすでに存在していた歌を集めたものだから、歌集成立前に、万葉集に収められた歌が見つかってもおかしくはないけれども、それでも、和歌が広く親しまれていた可能性を示す証拠が見つかると、ちょっと感動しますね。

最古の万葉歌木簡、明日香村・石神遺跡から(読売新聞)

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出た?!! 万葉集の歌を書いた木簡

甲賀市・史跡紫香楽宮跡出土木簡 あさかやま面(左) なにはつ面(右) 〔産経新聞〕
甲賀市・史跡紫香楽宮跡出土木簡 あさかやま面(左) なにはつ面(右) 〔産経新聞〕

滋賀県の紫香楽宮跡から出土した木簡に、万葉集の歌が書かれたことが判明。しかも、その木簡の年代は、どうやら万葉集が編纂されたとされる年よりも前だというのです。万葉集の編纂作業あるいは成立プロセスを示す現物資料になるんでしょうか? すごい、すごすぎる…。

万葉集成立前?に万葉集収録の歌を書いた木簡が出土(朝日新聞)
万葉集の木簡が初出土 紫香楽宮、難波津の歌も(MSN産経ニュース)
優雅な歌会「文化首都」示す 紫香楽宮・木簡和歌確認(京都新聞)

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古墳時代の前までは日本の親族は双系だった

田中良之『骨が語る古代の家族』(吉川弘文館)
田中良之『骨が語る古代の家族』(吉川弘文館)

人の「歯」を使って、縄文時代、弥生時代、古墳時代の墓に埋葬された人骨の血縁関係を調べた本。

歯冠の形には高い遺伝性があるそうで、それを使って、1つの墓、墳墓、あるいは集団墓に埋葬されている人たちの血縁関係を調べるというものです。その結果、明らかになった結論は、

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千葉・稲荷山遺跡から「七星剣」

今日の「毎日新聞」夕刊の「遺跡の現在形」で紹介されていたのですが、千葉県成田市の稲荷山(とうかやま)遺跡で、1983年に出土していた鉄製の剣を調査したところ、刀身に北斗七星を刻んだ「七星剣」であったことが判明したそうです。

遺跡の現在形:稲荷山遺跡(千葉県) 想像力刺激する謎の七星剣(毎日新聞)

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今城塚古墳で横穴式石室の基礎の石組み遺構見つかる

今城塚古墳で発掘された横穴式石室を支える石組み跡=大阪府高槻市(撮影・恵守乾:産経新聞)

大阪・高槻の今城塚(いましろづか)古墳で、横穴式石室を支えたであろう基礎にあたる石組み遺構が見つかりました。

宮内庁によって陵墓に指定された古墳は発掘調査ができないため、これまで大王クラスの墳墓がどうなっているのかあまりよく分かっていませんでした。そのことを考えると、今回の発掘調査は大事。

天皇陵級に横穴式石室、高槻・今城塚古墳で基礎確認(読売新聞)
大阪・今城塚古墳/石室 なぞの消失(読売新聞)
大王の石室支えた基盤発見 大阪・高槻の今城塚古墳(朝日新聞)

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腰痛4日目…吉田孝『歴史のなかの天皇』

今日は、職場の机の並び替え作業をおこないました。といっても、僕は腰痛なので、机を運んだり動かしたりするのは他の人に任せ、パソコンとLANの配線を担当。机を動かすために、いったん外したパソコンのケーブルやらLANやらをつなぎ直して回るだけなのですが、各種ケーブルが束になってごちゃごちゃからまってしまっていて、結構手間がかかってしまいました。

そのせいか、午後になって再び腰が痛み始めてしまいました。う〜む、これは困った…。

吉田孝著『歴史のなかの天皇』(岩波新書)

ところで、出勤途中の電車の中で、1月の岩波新書、吉田孝著『歴史のなかの天皇』を読み終えました。古代史が専門の吉田先生ですが、中世、近世から近代、現代の天皇制まで話が及んでいます。古代については、いろいろ勉強になることがいっぱいありました。

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勅使河原彰『歴史教科書は古代をどう描いてきたか』

勅使河原彰『?史教科書は古代をどう描いてきたか』

帯に「『つくる会』教科書、徹底批判!」とあるので、最初は、「つくる会」の歴史教科書の古代史部分をとりあげて批判した本かと思って読み始めましたが、実際には、それにとどまらず、明治以来の歴史教科書と歴史教育の移り変わりを丹念にあとづけて、そのなかから「つくる会」歴史教科書の問題点を明瞭に浮かび上がらせています。

明治維新で誕生した新国家は、最初から教育にたいする統制の意図は持っていましたが、それでも、最初から国定教科書でもなかったし、南北朝についても両統併記だったのが、自由民権運動と対抗し、大日本帝国憲法を定めて国会開設にいたる時期に、国定教科書となり、南北朝正閏論でも南朝正統説になる、など統制が強まったことが分かります。そのとき同時に、内容への統制が強められたのが、日本の歴史の「始まり」の部分で、天照大神から始まるのが日本の「正史」とされるとともに、考古学的な知見が排除されるようになります。

さらに勅使河原氏が力を注いで明らかにしているのは、その戦前の国定教科書で日本の歴史の始まりとされた「天照大神」以下の「神話」が、けっして、古事記・日本書紀に記された「神話」そのままではなく、それを巧妙に改作してあることです。
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