櫻井良樹氏の新著『華北駐屯軍 義和団から盧溝橋への道』(岩波現代全書、2015年9月刊)を読了。盧溝橋事件(1937年)の発端となった華北駐屯軍の歴史を、義和団事件での北京議定書による創設から盧溝橋事件発生までを丹念に追いかけた本で、日本側の資料だけでなく、アメリカやイギリスの関連資料や中国側の資料なども掘り起こして、華北駐屯軍の当初の位置づけ、とくに「列強の行動を規制する側面」を明らかにした点や、その後の第2次山東出兵やとくに「満州事変」後の変質を丁寧にあとづけ、豊台に日本軍が駐屯していたことが決して北京議定書に照らして当然の事態でなかったことを明確にしたことは本書の貴重な成果といえる。
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これまた日本史研究者には必読論文が
またもや、日本史研究者には必読の論文が、『歴史学研究』2011年3月号(第877号)に載っている。安田浩氏の論文「法治主義への無関心と似非実証的論法――伊藤之雄「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」(本誌831号)に寄せて――」だ。
サブタイトルにあるとおり、これは、同じく『歴史学研究』2007年9月号に載った伊藤之雄氏の論文「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」にたいする反論。伊藤氏の同論文は、同氏の『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』(名古屋大学出版会、2005年)の書評(瀬畑源氏執筆、『歴史学研究』2006年10月号掲載)にたいするリプライなのだが、そのなかで、伊藤氏が、安田氏の名前をあげて、「近代天皇は『魔力』的な権力がある」とする見解を主張しているとして批判したことから、安田氏が伊藤氏への反論を書いたというわけだ。
「魔力」というのは、もちろん「」付きで使われているもので、伊藤氏は「天皇の特殊な権力を、ここで便宜的に『魔力』と表す」(17ページ)と断っている。しかし、そもそも正体不明の力のことを魔力というのだから、いくら「便宜的」といってみても、戦前の天皇が実際にもち、行使した権力を「魔力」とくくってしまったのでは、およそ学問研究にはならないだろう。
しかし、安田氏の批判は、そうした言葉上の問題にとどまらない。
またもや歴史研究者には必読文献が
『歴史評論』2011年1月号 ((『歴史評論』は、歴史科学協議会が編集・発行する月刊の会誌です。))に、宮嶋博史氏が「方法としての東アジア再考」という論文を書かれています。岩波新書の「シリーズ日本近現代史」(全10冊、2006〜2010年)を取り上げたものです。同シリーズを取り上げた論評は、宮地正人氏の『通史の方法』(名著出版、2010年)を除くと、初めてだと思います。
宮嶋氏がこの論文でいちばん大きな問題として取り上げられているのは、第7巻『占領と改革』(雨宮昭一氏)です。その部分の見出しが「研究者のモラルについて」になっているのですから、その批判がどれほど厳しいか、わかるのではないでしょうか。
沖縄返還を実現したのは世論の力
沖縄返還をめぐる外交文書が公開されました。NHKは、それをつたえるニュースの中で、当時の佐藤栄作首相が「政治主導」で返還を実現したと報道していますが、まったく読み違えもいいところ。
「懇談会」座長の大濱信泉・早稲田大学元総長が「強い線を打ち出さなければ、返還を求める過熱した世論は押さえられない」と語っているように、沖縄返還を求める国民多数の「世論」こそが返還を実現した一番の原動力です。そのことが、今回公開された外交文書でも確かめられたと言えます。
『日本近現代史を読む』を読む
新日本出版社から『日本近現代史を読む』が出版されました。著者は、宮地正人(監修)、大日方純夫、山田朗、山田敬男、吉田裕の各氏。
第1部「近代国家の成立」、第2部「2つの世界大戦の日本」、第3部「第2次世界大戦後の日本と世界」の3部24章構成になっています。
これは必読文献! 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
1945年9月27日、昭和天皇が初めてマッカーサーを訪問する。このとき、天皇が「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにおたずねした」と発言したとされる。しかし、この記述の元になったマッカーサーの『回想記』には、事実関係と矛盾した記述が多いという。
それでは、実際には、昭和天皇はマッカーサーとの会見で何をしゃべったのか? 第1回会見の記録は、2002年10月に初めて公開された。さらに、2002年8月に、朝日新聞が、1949年7月の第8回会見から通訳を務めた故松井明氏の記録(写し)を入手し、その概要が公表された(ただし、同写しの全文はなお公表されていない)。
本書は、こうした資料にもとづいて、占領下あるいはサンフランシスコ講和条約締結前後の時期に、昭和天皇が主体的・能動的にはたした政治的役割を探究している。
大石嘉一郎『日本資本主義百年の歩み』を読み終えました。
大石嘉一郎氏の『近代日本地方自治の歩み』 (大月書店、2007年)に続いて、買ったままになっていた『日本資本主義百年の歩み』(東京大学出版会、2005年)を読み終えました。
いわゆる正統派の立場から、通史的に書かれているので、特別“これが目新しい”というところがある訳ではありません。それでも各章の末尾に、長めの注がつけられていて、明治維新の性格をどうみるか、日本の産業革命をどうとらえるか、大正デモクラシー(「護憲三派内閣」)の評価などなど、研究史上も論争的な問題についての大石氏の考え方が端的に書かれていて、非常に勉強になりました。
藤原彰『日本軍事史<上巻>』
藤原彰先生の『日本軍事史<上巻>』(日本評論社)を、出張の行き帰り+今日の通勤で、読み終わりました。
粟屋憲太郎『東京裁判への道』
夏休み前に出版された粟屋憲太郎『東京裁判への道』上・下(講談社選書メチエ)をようやく読み終えました。
歴博に行ってきました
国立歴史民俗博物館でやっている特別企画展「佐倉連隊にみる戦争の時代」を見るため、昨日、佐倉まで行ってきました。
歴博のある佐倉城趾には、終戦まで、明治7年に創設された陸軍佐倉連隊が置かれていました。今回の企画展は、その佐倉連隊にかかわる資料に即するかたちで、戦争というものが人々の暮らしにどんな影響を与えたかを具体的に見ていこうというもの。派遣先から送られてきた手紙や、戦争に行った兵士が持っていた軍隊手帳なども多数展示されています。
展示は、「I、佐倉城から佐倉連隊兵営へ」「II、佐倉連隊の兵営生活」「III、佐倉連隊と地域」「IV、佐倉連隊と戦争」の4つのコーナーに分かれていますが、一番見応えがあったのは、やっぱり「IV、佐倉連隊と戦争」のコーナー。佐倉にいた連隊は、西南戦争、日清・日露戦争に参加(歩兵第2連隊)。昭和に入ると、2・26事件の鎮圧部隊に加わったほか、「満州」に派遣され、ノモンハン事件にも出動。1944年には南方へ転出し、グアム戦・レイテ戦に参加し大きな犠牲を出しています。
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ノート:宮地正人『日本通史<III> 国際政治下の近代日本』(2)
本書の篇別構成。
近代日本の成立(開国?日清戦争まで)
日本帝国の確立(日清戦後経営?満州事変の勃発まで)
軍部ファシズムと太平洋戦争(満州事変?日本の降伏まで)
戦後日本の展開(敗戦?)
それぞれの時代の大枠的な特徴は、それぞれの篇の冒頭に置かれている「時代の扉」で明らかにされている。著者が、「基本的歴動向の論理的展開」をどうとらえているかが示されている。
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ノート:宮地正人『日本通史<III> 国際政治下の近代日本』(1)
故あって、宮地正人『日本通史<III> 国際政治下の近代日本』(山川出版社、1987年)を読み始める。19年前の本だけれども、日本の近現代史を一つの立場で俯瞰してみせた希有な通史として、いろいろと勉強になる。
本巻のはじめに
ここでは、宮地氏の基本的な視点が明らかにされている。
横浜事件再審、「免訴」の判決
横浜事件の再審・横浜地裁は、9日、被告遺族に「免訴」の判決を申し渡しました。
「免訴」とは、検察官の公訴権がないことを理由に犯罪事実があったかどうかの判断そのものをおこなわず、裁判手続きを打ち切るもの。つまり、いったん治安維持法違反の「有罪」とされた犯罪事実が取調官の拷問による嘘の自白にもとづく嘘の「事実」であった、つまり、犯罪事実はなかったという判断を、横浜地裁は下さなかった、のです。
もともとこの再審自体が、「無罪を言い渡すべき新証拠がある」(東京高裁)として始まったもの。裁判官は独立して判決を下すとはいえ、司法としての責任を放棄したもので、残念でなりません。
大嶽秀夫『再軍備とナショナリズム』
下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書、2004年)とか松原隆一郎『分断される経済』(NHKブックス、2005年12月)とか、年末年始に読み終えたまま感想を書き込めないでいる本がいろいろ溜まってしまいました。
それらは順番に、ということで、まずは、大嶽秀夫『再軍備とナショナリズム――戦後日本の防衛観』から。もとは1988年に中公新書『再軍備とナショナリズム――保守、リベラル、社会民主主義者の防衛観』として刊行されたものですが、昨年12月に、サブタイトルだけ変更して、講談社学術文庫から再刊されました。テーマは、朝鮮戦争の時期における日本の再軍備をめぐる議論。警察予備隊から保安隊にいたる時期の吉田茂首相(保守派)、芦田均・石橋湛山・鳩山一郎ら(「リベラル」)、それに日本社会党の防衛論議を検討しています。