櫻井良樹氏の新著『華北駐屯軍 義和団から盧溝橋への道』(岩波現代全書、2015年9月刊)を読了。盧溝橋事件(1937年)の発端となった華北駐屯軍の歴史を、義和団事件での北京議定書による創設から盧溝橋事件発生までを丹念に追いかけた本で、日本側の資料だけでなく、アメリカやイギリスの関連資料や中国側の資料なども掘り起こして、華北駐屯軍の当初の位置づけ、とくに「列強の行動を規制する側面」を明らかにした点や、その後の第2次山東出兵やとくに「満州事変」後の変質を丁寧にあとづけ、豊台に日本軍が駐屯していたことが決して北京議定書に照らして当然の事態でなかったことを明確にしたことは本書の貴重な成果といえる。
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これも1つの見方―梅原猛氏「思うままに」
本日の東京新聞の夕刊「思うままに」で、梅原猛さんが、NHKのドラマ「坂の上の雲」について書かれている。日露戦争の見方などはまったく異なっているが、しかし、氏が、次のように述べておられるのは、なるほどと思った。
……ドラマの中で屍を踏み越えて進む将兵たちの姿は目を開けて見ていられなかった。そこには戦争の残虐性が映し出されたが、日露戦争は日本国家の命運をかけた戦いであり、幾多の作戦ミスがあったとしても勝利に終わったので、そこで犠牲になった将兵はまだしも救われるであろう。
しかし太平洋戦争では、二〇三高地の戦い以上に残虐で何万という日本兵が皆殺しにあった戦いも多く、戦中派の一員として私はこのドラマの中で犠牲になった将兵に、太平洋戦争で犠牲になった私と同時代の先輩や友人たちを重ね合わせざるを得なかった。
こんどは『明治維新』にとりかかります
勉強します
遠山茂樹氏の『日本近代史I』(岩波全書、1975年)。
ずいぶんと前に古本屋で、今井清一氏の『日本近代史II』、藤原彰先生の『日本近代史III』と3冊セットで買い込んだもの。そのままほったからしていたので、あらためて読み始めました。(^_^;)
遠山茂樹氏が亡くなられました
明治維新、日本近代史研究の泰斗である遠山茂樹氏が亡くなられました。
私が初めて遠山氏の本を読んだのは、大学1年のとき歴史学研究会で勉強した岩波新書の『明治維新と現代』(1969年)でした。しかし、日本史が好きだったとはいえ大学1年生にはむずかしすぎました。(^_^;) そのあと『戦後の歴史学と歴史意識』(岩波書店、日本史叢書)と『<新版>昭和史』(岩波新書)あたりを読んだように覚えています。
これまた日本史研究者には必読論文が
またもや、日本史研究者には必読の論文が、『歴史学研究』2011年3月号(第877号)に載っている。安田浩氏の論文「法治主義への無関心と似非実証的論法――伊藤之雄「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」(本誌831号)に寄せて――」だ。
サブタイトルにあるとおり、これは、同じく『歴史学研究』2007年9月号に載った伊藤之雄氏の論文「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」にたいする反論。伊藤氏の同論文は、同氏の『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』(名古屋大学出版会、2005年)の書評(瀬畑源氏執筆、『歴史学研究』2006年10月号掲載)にたいするリプライなのだが、そのなかで、伊藤氏が、安田氏の名前をあげて、「近代天皇は『魔力』的な権力がある」とする見解を主張しているとして批判したことから、安田氏が伊藤氏への反論を書いたというわけだ。
「魔力」というのは、もちろん「」付きで使われているもので、伊藤氏は「天皇の特殊な権力を、ここで便宜的に『魔力』と表す」(17ページ)と断っている。しかし、そもそも正体不明の力のことを魔力というのだから、いくら「便宜的」といってみても、戦前の天皇が実際にもち、行使した権力を「魔力」とくくってしまったのでは、およそ学問研究にはならないだろう。
しかし、安田氏の批判は、そうした言葉上の問題にとどまらない。
がんばって勉強しなくては…
選挙が終わって久しぶりの本漁りで、買ったもの。昨年急逝された金澤史男・横浜国大教授の『自治と分権の歴史的文脈』(青木書店)。地方自治の歴史というのは、法律的・政治的な制度・仕組みの問題と、財政の問題と、それとそれらをめぐる地方・中央の動きがあって、なかなか難しいのですが、がんばって勉強したいと思います。
残されていた憲兵の424通の手紙
山梨・韮崎市で、日中戦争期に中国で憲兵をつとめていた方が家族に送った手紙424通が見つかり、現在、山梨平和ミュージアム(甲府市)で公開されています。
娘さんのお話では、見つかった手紙の束には、「この便りも吾々の尊い体験として保存するも決して無意味ではなかろう」と書かれた便箋がつけられていたそうです。
粟屋憲太郎氏もコメントされていますが、私も、ぜひ活字化して史料集として出版されることを希望します。
『日本近現代史を読む』を読む
新日本出版社から『日本近現代史を読む』が出版されました。著者は、宮地正人(監修)、大日方純夫、山田朗、山田敬男、吉田裕の各氏。
第1部「近代国家の成立」、第2部「2つの世界大戦の日本」、第3部「第2次世界大戦後の日本と世界」の3部24章構成になっています。
吉岡吉典さんの最期の2冊
昨年、亡くなられた吉岡吉典・日本共産党元参議院議員の遺著が2冊発売されました。左が新日本出版社から出た『「韓国併合」100年と日本』、右が大月書店から出た『ILOの創設と日本の労働行政』です。
吉岡さんは、これまでも『侵略の歴史と日本政治の戦後』『日本の侵略と膨張』『日清戦争から盧溝橋事件』『史実が示す日本の侵略と「歴史教科書」』『総点検日本の戦争はなんだったか』(いずれも新日本出版社)など、数多くの歴史書を書かれています。テーマの1つは日本の侵略戦争であり、もう1つが「韓国併合」と日本の植民地支配です。
明治憲法「不磨の大典」は実は見掛けだけ
軍事史としてみた『日清戦争』
吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズの第19巻、原田敬一『日清戦争』です。
著者の問題意識は、1つは、「日清戦争で日本は国際法を守った」という「神話」を検証すること。もう1つは、日清戦争の過程を可能な限り詳細に追いかけることによって、実は、日清戦争が、「7月23日戦争」、狭義の「日清戦争」、「台湾征服戦争」の3つの戦争から構成されていたことを明らかにすること。
牧原憲夫『民権と憲法 シリーズ日本近現代史<2>』
岩波新書の「シリーズ日本近現代史」の2冊目。牧原憲夫氏の『民権と憲法』を読み終えました。
1877年の西南戦争終結から、1889年の「大日本帝国憲法」発布までの時期が対象になっています。牧原氏が「あとがき」に書かれているように、この時代は、どんな工夫をしてみても、自由民権運動が高揚しながら、結局、敗北し、帝国憲法体制ができあがるという「大きなストーリー」は動かしようがありません。しかし、牧原氏は、民権派と政府の対抗という図式に、「民衆」という「独自の存在」を加え、「三極の対抗」としてこの時代を描き、民権派が「国権」にからめとられていく側面を民権運動の敗北というふうに一面的に見ず、民権派の複雑な諸側面を分かりやすく描くことに成功していると思いました。
藤原彰『日本軍事史<上巻>』
藤原彰先生の『日本軍事史<上巻>』(日本評論社)を、出張の行き帰り+今日の通勤で、読み終わりました。