桐野夏生のブーム再来です。
土曜日、外仕事へ行くので分厚い本は持って行けないということで、『錆びる心』(文春文庫)を持って出かけました。短編集で、こういう空き時間にちょこちょこっと読むには便利です。解説(中条昌平氏)にも書かれていますが、1つ1つのストーリーにはもはや「事件」さえ起こりません。にもかかわらず、そこに「何か」が起こっているのは確かで、その「何か」がもたらす「まがまがしさ」が、独特の「桐野ワールド」を生み出しています。ついつい引き込まれ、1日で読んでしまいました。
で、それにつられて、こんどは、新刊(と言っても2月刊ですが)『残虐記』(新潮社)を日曜日、世田谷美術館へのお出かけの“友”として読み始めました。ストーリーは、有名な小説家が突然失踪する。彼女は実は25年前、小学4年生のときに若い作業員に誘拐され、彼のアパートの一室で1年間監禁された被害者だった、というもの。これもかなり“怪しい”小説で、桐野夏生の筆(キーボードか?)は、彼はなぜ少女を誘拐したのか、その1年間に彼と彼女の間に何が起こったか、という“事件”よりも、“事件”が解決され、救出されたあとの彼女に向けられる世間の“好奇”の眼差しや、そういう眼差しにたいする少女の反応、そういうものへ向けられています。そういう点では、ある意味、『グロテスク』にも似ています。“事件”の魔力という“磁場”のなかでこそ現われ出る人間の本性をリアルに描く――そこに桐野夏生作品の醍醐味があるように思いました。