昨年12月に朝日新聞が実施した世論調査について、『AIR21』に詳細な結果が報告されていました。
それによると、「自分に愛国心がどの程度あると思うか」の質問に、20%は「大いにある」、58%が「ある程度はある」と回答。「あまりない」「全くない」は合わせて20%しかありませんでした。注目されるのは、同時に質問した、アジアにたいする歴史認識についての回答です。
昨年12月に朝日新聞が実施した世論調査について、『AIR21』に詳細な結果が報告されていました。
それによると、「自分に愛国心がどの程度あると思うか」の質問に、20%は「大いにある」、58%が「ある程度はある」と回答。「あまりない」「全くない」は合わせて20%しかありませんでした。注目されるのは、同時に質問した、アジアにたいする歴史認識についての回答です。
藤原彰先生の『日本軍事史<上巻>』(日本評論社)を、出張の行き帰り+今日の通勤で、読み終わりました。
夏休み前に出版された粟屋憲太郎『東京裁判への道』上・下(講談社選書メチエ)をようやく読み終えました。
出版当初から気にはなっていたのですが、結局、買ってしまいました。まだ読み始めたばかりですが、このあたりはほとんど勉強したことがないので、関連文献も含め、ちょっと勉強してみたいと思います。
著者は、スターリンが対日参戦の条件として、サハリンの「返還」とクリル諸島(千島列島)の「引き渡し」を上げたこと、そのさい「返還」と「引き渡し」という区別がきちんとなされていたことに注目しています。この点は、スターリンの覇権主義の問題として重要なポイントなので、それを国際政治史としてどう扱われているのか、興味があります。
日本国内の動きとしては、海軍少将の高木惣吉に注目しています。そして、高木惣吉を含め、支配層の中の「終戦派」において、「国体護持」と「皇室の安泰」とを区別する動きがあったということに注目しています。これは、従来からあった論点なんでしょうか? しかし、確かに資料には2つの言葉が並んで出てきますが、だからといって、両者を区別して考えていたということになるのかどうか。むしろ、マッカーサーの占領政策からの“後知恵”ではないかという気もするのですが…。
しかし、とりあえず結論を急がず、読んでみたいと思います。
【書誌情報】書名:暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏/著者:長谷川毅/出版社:中央公論新社/出版年月:2006年2月/定価:本体3200円+税/ISBN4-12-003704-5
今日は、昼に仕事をすませたあと、久しぶりに日比谷シャンテシネで、映画「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々」を見てきました。(なんと、これでようやく、今年2本目)
ナチス・ドイツがスターリングラードの攻防に敗北しようとしていた1943年2月、ミュンヘンの大学で、反ナチスのビラを配布したとして逮捕されたハンス・ショル、ゾフィー・ショルの兄妹。「白バラ」抵抗運動として有名な事件ですが、そのなかで唯一の女性であったゾフィー・ショルを主人公とした作品です。
「白バラ」抵抗運動については、70年代に本を読んで知っていましたが、今回の作品は、90年代になって旧東ドイツで見つかったゲシュタポによるゾフィー・ショルの尋問調書にもとづいて、逮捕されてからわずか5日で処刑されたゾフィーの、取調官モーアとの緊迫したやり取りが描かれています。
ギッタ・セレニー『人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話』(小俣和一郎訳、岩波書店)。まだ100ページほど読んだだけですが、ナチス・ドイツがポーランドに設けた絶滅収容所長にたいするインタビュー。原書は、1974年にまず英語で出版されたそうです(邦訳は、1997年のドイツ語版から)。著者は、イギリス在住のジャーナリスト、歴史研究者(女性)で、1967年から1970年にかけて、西ドイツでおこなわれたナチ裁判を傍聴し、1970年に終身刑の判決を受けた元レブリンカ収容所長フランツ・シュタングルにたいする70時間にわたってインタビューしたもの。
1対1のインタビュー記録ではなく、他の関係者へのインタビューや記録とつきあわせて、シュタングル(あるいはその他の収容所関係者)の言い分が事実に合致しているのかどうか、確かめながら、なぜ普通の人間が、ヒトラーによる「ユダヤ人最終解決」を担うことになったのか。その心理に迫っています。
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読売新聞社が「検証・戦争責任」で世論調査を実施。
まず気がつくのは、質問事項が非常に意図的なこと。
たとえば、戦争責任についての質問では、「先の大戦に踏み切ったり、敗北に追い込まれたりした責任など、いわゆる『戦争責任』」という書き方をして、明らかに、戦争責任を開戦責任あるいは敗戦責任に限定する意図を色濃くにおわせています。アジア諸国を侵略した「責任」は、まるで視野にないかのようです。で、このように「戦争責任」を限定しておいた上で、「戦後、十分に議論されてきたと思いますか」などと質問したのでは、肝心の侵略戦争の責任についての議論は雲散霧消していきます。
また、先の戦争について、「中国との戦争、アメリカとの戦争(イギリス、オランダ等連合国との戦争も含む)は、ともに侵略戦争だった」とか「中国との戦争は侵略戦争だったが、アメリカとの戦争は侵略戦争ではなかった」と質問していますが、仮にアメリカやイギリス、オランダとの戦争が侵略戦争でなかったと考えたとしても、フィリピンやマレーシア(英領マライ)、インドネシア(蘭領インドシナ)の国民からすれば、日本の戦争は侵略そのものだったという考えは、当てはまる選択肢がありません。ベトナムへの侵略は、例示項目からもまったく抜け落ちています。
アジア諸国民への加害についての質問にいたっては、「日本人はいつまで責任を感じ続けなければならないと思いますか」と、頭っから「責任を感じる必要はないのに…」という意図が見え透いています。
こういう意図的な世論調査であるにもかかわらず、興味深い結論もいくつか見ることができます。
著者の森本忠夫氏は、1926年生まれ。戦時中は海軍航空隊員として太平洋戦争に従軍。戦後は東レ取締役、東レ経営研究所所長などを務められた方。本書は、1985年に文藝春秋社から『魔性の歴史』というタイトル(これは、荒木二郎宛の手紙で米内光政が使った言葉なのだそうです)で出版され、これまでにも文春文庫、光人社文庫などから再刊されてきたものです。
本書で森本氏は、日本が、いかに無計画、場当たり的で、現代的な総力戦をたたかう体制もなければ計画もないまま、対米戦争につっこんいったかということを詳しく明らかにされています。たとえば、日本はアメリカに資源を禁輸されたので、やむをえず東南アジアの資源を確保するために戦争にすすんだといわれることがありますが、戦争によって東南アジアを獲得し、そこから資源を日本に輸送しようと思ったら、輸送用船舶も必要だし、それを護衛する海上護衛艦も必要になるのに、そうした計画がまったく検討されていなかったうえに、戦況が悪化すると、民間の船舶建造を中止して軍艦などの建造にむりむけざるをえなくなったし、護衛艦船を戦闘に動員し、結局、航路帯を放棄せざるをえなくなったこと、その結果、結局、南方の資源を確保したものの、あまり日本に輸送できなかったことを明らかにしています。つまり、「資源確保のため」といいながら、資源活用に必要な準備はなかった、ということです。
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山中恒さんの『アジア・太平洋戦争史――同時代人はどう見ていたか』(岩波書店)をようやく読み終えました。全体で600ページを超える大著ですが、はまりこんで夢中になって読み進めることができました。
本書が対象としているのは、主要には、1931年の「満洲事変」から1945年の敗戦までのいわゆる15年戦争ですが、話は、明治維新直後の「国軍の創設」から始まり、日清・日露戦争から、孫文の辛亥革命、そして1914年の「対華21カ条条約」と、明治以来の日本の朝鮮・中国侵攻の歴史全体に及んでいます。
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先月、靖国神社と遊就館を見学してきた。遊就館が新しくなってからは初めて。
毎日新聞の世論調査で、日本のさきの戦争について「間違った戦争だった」と答えた割合は43%。「やむを得なかった戦争だった」29%を大きく上回った。
戦争調査:「間違った戦争だった」43% 毎日新聞実施(毎日新聞)
戦争調査:世代間の差、浮き彫りに 戦争の風化が進む(毎日新聞)
話題の映画「ヒトラー?最期の12日間?」を見てきました(渋谷・シネマライズ)。実を言うと、日曜日(7/10)にも見に行ったのですが(シネマライズは、日曜最終回はいつでも1000円!)、満員・立ち見で、あきらめて帰ってきました。今日は、約8割のお客さんというところでしょうか。普段、シネマライズでは見かけないような年配のお客さんも見かけましたが、やっぱり圧倒的に多いのは若いお客さんでした。(今年18本目の映画)
さて、見た感想ですが、圧倒的としか言いようのない作品でした。とくに、これでもかこれでもかと描かれる、ソ連軍の砲撃を次々に打ち込まれていくベルリンの街の様子からは、本当に戦争というもののもつ残虐さ、残酷さが伝わってきます。
また、安全な地下壕の中で、最期の作戦指揮をとろうとするヒトラーには“狂気”すら感じさせられます。そして、ヒトラーを取り巻く将校連中は、みんな、帝国の「最期」を目前に、どこかでヒトラーに引導を渡さなければいけないと思っているにもかかわらず、裏切り者として処刑されることを恐れ最期まで忠誠を尽くそうとする者と、何とか脱出して生き延びることを考える者との間で、無駄な当てこすりやかけひきに時間が空費されていく…。そこには、「国民」を守ることなどまったく登場せず、ヒトラーの狂気は、そのまま「第三帝国」の狂気を示していると思いました。
その狂気を浮き彫りにしてくれるのは、1人の軍医の冷静な目と、狂信的なヒトラーユーゲントの少年です。(プログラムや公式ホームページでは、この2人の俳優が誰なのか書かれてないのが残念です)
しかし他方で、この映画では、ヒトラーとナチスが何をやったかは、まったく描かれません。映画は、主人公のユンゲがヒトラーの秘書に採用された1942年11月から、いきなりベルリン陥落目前の1945年4月20日に飛ぶので、その間に起こったことは、すっぽり抜け落ちています。
旧日本軍の遺棄毒ガス兵器損害賠償訴訟で、旧軍属の男性が、終戦間際に実際に化学兵器遺棄に携わった体験を証言することに。
旧日本軍遺棄化学兵器の除去については、すでに日中政府間での合意にもとづき、自衛隊が作業にあたっていますが、裁判の争点は、組織的遺棄の有無。実際に遺棄作業に携わった人の証言は初めてだそうです。