『1861-63年草稿』第3分冊後半をさらにざっくり読む

591ページ「四 相対的剰余価値」

591ページ下段。賃金と剰余価値。「先行するもの、規定するものは、賃金の運動である。その騰落が利潤(剰余価値)の側に反対の運動を引き起こす」

592ページ上段。「賃金の騰落は、剰余価値(利潤)率を規定しはするが、しかし商品の価値または価格(商品の価値の貨幣表現としての)には影響を及ぼさない」。「賃金の上昇が商品価格を高くするというのは、間違った先入観である」。

592ページ下段。剰余価値率は賃金の相対的な高さによって決まる。賃金の相対的な高さは、必要生活手段の価格によって決まる。必要生活手段の価格は労働の生産性によって決まる(これはリカードウの説? マルクスの説?)。生産性は土地の豊度が高いほど大きい。「改良」はすべて、生活手段の価格を引き下げる(ここらあたりはリカードウ)。労賃=労働の価値は、労働が労働者階級の平均的消費に入る必需品を生産する限りで、労働の生産力の発展に反比例して騰落する。
 利潤は、労賃が上がらなければ下がりえないし、労賃が下がらなければ上がりえない。
 労賃の価値は、労働者が受け取る生活手段の量によって計るべきではなく、この生活手段に費やされる労働量によって計るべきである。実際には、労働日のうち労働者自身が自分の者として取得する割合で。

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『1861-63年草稿』第3分冊後半を引き続きざっくり読む

続きです。

こういう学説史の部分を読んでいると、ついついマルクスが引用しているリカードウの部分を、リカードウの著作にもどって読み直して、リカードウの論理をどういうふうにマルクスが批判したのかを追体験? し直そうとしてしまいますが、そうやってリカードウにさかのぼってみても、結局、マルクスがリカードウの学説を検討することを通じて、みずからの経済学の認識をどう発展させたのか、という肝心の問題はちっとも深まらない。

だから、そういう「さかのぼり」はこの際きっぱり諦めて、関心を、もっぱら、マルクスがリカードウ学説との格闘を通じて、自分の経済理論をどう発展させたのか、自分の理論としてどんな新境地を切り開いていったのか、というところに向けて、読んでいった方がいいと思う。ほんま。(^_^;)

ということで、大月書店『資本論草稿集』6、561ページ「一 労働量と労働の価値」から。

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『1861-63年草稿』第3分冊後半をざっくり読む

『資本論草稿集』1861-63年草稿の第3分冊(「剰余価値にかんする諸学説」)の後半部分(大月書店『資本論草稿集』6、530ページ以下)をざっくりと読んでみます。

530ページに「剰余価値にかんするリカードウの理論」の見出し。これはマルクスのもの。とはいえ、ここで取り上げられているのは『経済学と課税の諸原理』の後半部分。

章の書かれていない530ページの冒頭部分の引用は、第25章「植民地貿易について」から。

そのあとは、

第26章「総収入と純収入について」(531ページ)
第12章「地租」(535ページ)
第13章「金にたいする課税」(536ページ)
第15章「利潤にたいする課税」(543ページ下段)
第17章「原生産物以外の諸商品にたいする課税」(549ページ上段)

など。

で、561ページ下段(草稿650ページ)で、「われわれは、こんどはリカードウの剰余価値論の説明に移ろう」と書かれている。このあとは、第1章「価値について」からの引用がおこなわれているし、「一 労働量と労働の価値」(561ページ)から「五 利潤論」(604ページ)まで見出しを立てて書いている。あらためてリカードウの価値論・剰余価値論の批判を始めたということだろう。

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『剰余価値学説史』はどう読めばよいのか(3)

『1861-63年草稿』220ページ(MEGA II/3.2 S.335)

さて、『剰余価値学説史』の続き。大月書店『資本論草稿集』第5分冊の170ページから。

マルクスは、「今度は、スミスについて考察すべき最後の論点――生産的労働と不生産的労働の区別――に移る」と書いているが、こんなことを書きながら、{}で括りながら、「あらかじめ、前述のことについてもう1つ」といって、再生産論にかんする書き込みをしている。ここで注目されるのは、次の部分。

年々の労働の生産物がそのうちの一部分をなすにすぎないところの年々の労働生産物が、収入に分解する、というのはまちがっている。これにたいして、年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する、というのは正しい。(170ページ下段)

後半の「年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する」というのは、再生産表式を使って説明すると、こういうこと。

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『剰余価値学説史』はどう読めばよいのか(2)

サー・ジェイムズ・スチュアート、重農学派と、文字どおり「剰余価値」にかんする諸学説を扱ってきたマルクスだけれど、「A・スミス」になって、ちょっと調子が変わってくる。

草稿ノート第6冊243ページ(大月版『資本論草稿集』第5分冊、51ページ)から、スミスの剰余価値論について書かれているが、ノート257ページ(同、77ページ)にきて、{}にくくられた次のような書き込みがある。{}は、草稿でマルクスが[]でかこっていた部分。

{ここでなお次のことを考察するべきであろう。(1)A・スミスにおける剰余価値と利潤との混同。(2)生産的労働に関する彼の見解。(3)彼が地代と利潤とを価値の源泉としていること、および、原料や用具の価値が収入の3源泉〔賃金、利潤および地代――大月版訳注〕の価格と別個に存在したり別個に考察されたりしてはならないような商品の「自然価格」についての彼のまちがった分析。}

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『剰余価値学説史』はどう読めばいいのか?

『剰余価値学説史』(「1861-63年草稿」の「剰余価値にかんする諸学説」部分)には何度か挑戦していますが、まったく歯が立ちません。(^_^;)

そもそもマルクスは、何を明らかにするためにこれを書いたのか? それを考える以前に、全体の組み立てさえよく分からない。そのまま闇雲に読み始めてみても、さっぱりつかめいない。

マルクスがここはこうだと見通しをもって書いている部分と、マルクス自身が経済学者の著作と格闘している探求的部分とがあるようだ。そこを区別しながら読み進むしかないのだろうか。

まず、全体の組み立てを整理しておこう。ということで、まず『資本論草稿集』(大月書店)の目次から。

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『1861-63年草稿』を読む(1)

大月書店「資本論草稿集」の『1861-63年草稿』<1>。

第3章「資本一般」I「資本の生産過程」1「貨幣の資本への転化」の部分。

『資本論』では、第2篇「貨幣の資本への転化」第4章「貨幣の資本への転化」に相当する部分だが、『資本論』では次の第3篇「絶対的剰余価値の生産」に含まれる「労働過程」や「価値増殖過程」、「貨幣の資本への転化が分解する2つの部分」(第6章「不変資本と可変資本」に相当)などが、ここに含まれている。

42ページ下段〜43ページ上段にかけて「資本主義的生産」が登場する。これが『1861-63年草稿』での初出か? しかしすでにマルクスは、「資本主義的生産」は自明な用語として使っている。「資本主義的生産」という言葉は、すでに「資本にかんする章のブラン草案」や「引用ノートへの索引」「私自身のノートにかんする摘録」(『資本論草稿集』第3分冊)に登場する。「資本主義的生産の制限」という表現が登場する(「自分自身を止揚する資本主義的生産の諸制限」454ページ上段、483ページ下段、515ページ上段) ((重田澄男『再論・資本主義の発見』桜井書店、2010年、によると、「資本主義的」という用語は「プラン草案」には1回、「私自身のノートにかんする摘録」では14回登場するらしい(同書、111ページ)。このことからみても、「プラン草案」→「私自身のノートにかんする摘録」という執筆順序が想定できる。))。「資本主義的」という形容詞が初めて登場するときに、それが「資本主義的生産の諸制限」という角度から登場したことは興味深い。

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「第3の項目 果実をもたらすものとしての資本」の読み方

マルクス『1857-58年草稿』のIII「資本にかんする章」の最後の部分「第3の項目 果実をもたらすものとしての資本。利子。利潤。(生産費用、等々)」の部分をどう読むか。

中身でなく、マルクス自身の書き込みから、マルクスの思考の運びを考えてみました。手がかりとなるのは、『資本論草稿集』第2分冊573ページ下段。そこには、区切り線のあとに「本題に戻ろう」と書かれています。

そこで問題。はたして、マルクスは、ここで、どこまでさかのぼって「本題」に戻ったのでしょうか?

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57-58年草稿「固定資本・流動資本」のところをどう読むか

『1857-58年草稿』を読んでいます。マルクスは、一応、経済学の本を書くつもりでこの草稿を書き始めたとはいえ、途中で、ああでもないこうでもないと考え始めると、その「ああでもない、こうでもない」をそのまま草稿に書き込みながら考えをすすめています。だから、『草稿』を読んでいくときは、個々の記述を読み取るだけでなく、マルクスの思考の流れをつかむことが大事になってきます。

ということで、先日から、固定資本・流動資本関係のところを読んでいますが、僕自身は、マルクスの書いた中身を理解するので精一杯で、マルクスの思考の流れはさっぱりつかめませんでした。

でも、よく読むと、マルクス自身が「さて、本題に戻ろう」とか「上述の論点を詳論するまえに」とか、「最後に」とか、ちゃんと手がかりを書いています。

ということで、教えてもらった、この部分の組み立てをもとに、自分なりに、マルクスの思考の流れを読み取ってみました。はたして、どうでしょうか?

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マルクスと有料道路

本城靖久『馬車の文化史』(講談社現代新書)

マルクスの『1857-58年草稿』を読んでいると、有料道路の話が出てきます。たとえば、

 a–b 間のある道路を前提する……と、この道路が含んでいるのは一定分量の労働、つまり価値だけである。それは、道路を建設させるのが資本家であろうと国家であろうと、同じである。それでは、資本家は、ここで、剰余労働を、したがって剰余価値をつくりだすことによって、利得を手にするだろうか? ……問題なのはまさに、資本家が道路を価値実現できるかということ、資本家が道路の価値を交換によって実現できるか、ということなのである。(大月書店『資本論草稿集』<2>、193ページ下段?194ページ上段、および194ページ上段?同ページ下段)

労働者を、6労働時間相当の賃金で、1日12時間働かせて道路を建設したとすれば、完成した道路にはすでに剰余労働が対象化されている。しかし、道路は普通の商品のように売るわけにはいかない。だとすれば、どうやったら資本家は剰余価値を実現できるか、というのです。

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『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(7)

451ページ下段、第84段落から。

【第84段落】451ページ下段

「経済学に外面的に舞い込んできた、資本の様々な種類」? 「資本それ自体の本性から生じた運動の沈殿物」?
よく分からない。(^^;)

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『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(6)

第60段落から。また話は、循環と回転速度の問題に。

【第60段落】425ページ下段?427ページ上段

ラムジの引用。「固定資本の使用は、価値が労働の量に依存するという原理をかなりの程度まで修正する」。これが古典派経済学を悩ませた最大の問題。

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『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(5)

第42段落から第54段落までは、回転時間の相違に関する数式計算。マルクスは一生懸命やってるが、あまり実りがないので、とりあえず省略。

【第55段落】419ページ上段?419ページ下段のお終いまで

ここでは「競争の法則」として、『資本論』第3部で展開されることになる内容が展開されている。

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『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(4)

さて、391ページ上段、第26段落から。いよいよ経済学者の批判が始まります。

【第26段落】391ページ上段?392ページ

まず、よく分からないのは、「流動資本との関連における剰余価値は、明らかに、利潤として現われるのであって、固定資本との関連における剰余価値としての利子とは区別される」(391ページ上段、左3行目?)という記述。文脈から見て、これがマルクスの積極的見解の展開だと思われるのだが、意味がよく分からない。

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『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(3)

【第10段落】364ページ上段?367ページ上段までの長い段落

ここで出てくる問題は、まず第1に回転。回転が生産される剰余価値の量に与える影響について。

次が、「流通費用そのもの」「本来的な流通費用」について。

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『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(2)

さて、続きです。

マルクスは、過程を進行する主体としての「流動資本」、流通しなければならない各局面に固定された「固定資本」という定義を使って、早速、経済学者たちの批判に向かう。

【8】361ページ上段から363ページ上段までの段落。

まず、復習。(^_^;)

 流動および固定という規定は、まず第1には、2つの規定のもとに――特殊的種類の2つの資本として、2つの特殊的種類における資本としてではなく、同じ資本の異なった形態上の諸規定として――措定された資本そのもの、すなわち1つには過程の統一として措定され、次には過程の特殊的局面として、統一としての自己からは区別されたものとしての資本そのものとして措定された資本そのもの以外のなにものでもないということ……。

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『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(1)

 さて、本題に戻ろう。

 というのは、『資本論1857-58年草稿』の「固定資本と流動資本」の書き出し。(^_^;) そこまでの剰余価値と利潤にかんする学説史が終わって、ここで、マルクスは、資本の流通にかかわる問題の検討に戻っています(大月書店『資本論草稿集<2>』356ページ下段)。

 「固定資本と流動資本」という見出しは、新MEGA編集部のもので、ここでマルクスが取り上げているのは、決して、固定資本と流動資本の問題だけではなくて、流通費の問題や、回転および回転が利潤率に及ぼす影響など、『資本論』第2部で取り上げられているいろいろな問題がごたまぜで出てきます。

しかも困ったことに、「固定資本」「流動資本」という概念そのものが、マルクスの中で、まだ固まっていません。というか、書きながら、だんだんと「固定資本」「流動資本」の概念が固まってゆく、というところに、この部分の面白みがあるということです。

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