懐かしい本 山崎隆三『地主制成立期の農業構造』

古本で、山崎隆三著『地主制成立期の農業構造』(青木書店、1961年刊)を入手。学部のゼミで、佐々木潤之介先生に報告するように言われた本です。

僕が苦労して報告したあと、佐々木先生は、この本で大事なのは、第5章「近世後期における富農経営の発展」の中に掲載された氏田家の収支計算の総括表だ、その総括表の中に、自作地の経費として氏田家が使う奉公人・日雇の「労賃」の項目があるのですが、それが重要なんだと言われました。
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やっぱり肩が痛い… 『「資本論」も読む』も読む

一昨日、新日本フィルのコンサートに行く前あたりから、またぞろ右肩から右上腕部にかけてじわ〜〜〜っと痛み出す。我慢できない訳じゃないけど、我慢し続けるのはちとつらい、という感じで、時々その痛みが腕先にまで響いたりするので、ただただじっと堪えるのみ。

ということで、土曜日、予約を入れてはいなかったけれど病院に電話して、診察していただきました。で、しばらく星状神経節ブロックによる治療を続けてみようということに…。前回診察していただいたときは、どちらかといえば五十肩の症状が出ていたということでしたが、今日、診察していただいたときは五十肩より肩の凝りによる痛みの方が強く出ているという感じで、症状の方も一定しない様子。困ったもんです。

宮沢章夫『「資本論」も読む』

年末から新年にかけていろんな本を読んだので、それらについて書きたいのですが、肩が痛くて、なかなかキーボードに向かうのがしんどいのが実情。そんななかで、宮沢章夫氏『「資本論」も読む』(WAVE出版)を読んでいます。『資本論』の解説やら経済学的な検討をしようというようなものではなく、劇作・演出家の宮沢氏が、ともかく「せめて『資本論』を読んでから死にたい」と、『資本論』(テキストとされているのは大月書店国民文庫版の邦訳)にチャレンジして悪戦苦闘されている様子をそのままエッセイとして連載されたもの。

しかし、『資本論』を茶化したりするようなのとはまったく違って、ともかく『資本論』を読んでみたいという高校生以来の「純粋野望」に突き動かされた真面目な格闘記。リンネルとは何か、エレとは何か、また、「舌」に関するマルクスの注へのこだわりなど、なるほど経済学者では思いつかないような、真剣な読みっぷりに感動すら覚えてきます。

往復16時間半の日帰り出張…疲れた

昨日は、学生対象の講師を務めると言うことで出張してきました。

朝6時に出かけ、帰ってきたのは夜10時半過ぎ…。2時間半かけて出かけて、4時間講義して、2時間余り質問に答えて、また2時間半かけて帰ってくるという強行日程でした。お疲れ様?

しかし、学生諸君の熱心な質問攻めにあって、こちらの方が元気をもらったぐらい。みなさん、しっかり学習して、それをパワーにしてください。時間配分のへたくそな講義につきあってくれてありがとうございました。m(_’_)m
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またまた買い込んでしまった…

11月は、約3万円の出超。買いすぎが原因であることは明らか… 大変だ〜〜〜

  • ゲアリー・マーカス『心を生みだす遺伝子』(岩波書店、5月刊、本体2800円)
  • 新岡智・板木雅彦・増田正人編『国際経済政策論』(有斐閣、8月刊、本体2300円)
  • 萩原伸次郎『世界経済と企業行動 現代アメリカ経済分析序説』(大月書店、3月刊、本体2900円)
  • 江夏由樹・中見立夫・西村成雄・山本有造編『近代中国東北地域史研究の新視角』(山川出版社、10月刊、本体4000円)
  • 井村喜代子『現代日本経済論<新版> 戦後復興、「経済大国」、90年代大不況』(有斐閣、2000年刊、古本)
  • 井村喜代子『恐慌・産業循環の理論』(有斐閣、1973年、古本)
  • 井村喜代子『「資本論」の理論的展開』(有斐閣、1984年、古本)
  • 『岩波講座 アジア・太平洋戦争<2> 戦争の政治学』(岩波書店、12月刊、本体3400円)
  • 丸山真男・加藤周一『翻訳と日本の近代』(岩波新書、1998年、本体700円)
  • 下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書、2004年刊、本体760円)
  • 前田朗『侵略と抵抗 平和のための戦争犯罪論』(青木書店、11月刊、本体2500円)
  • 田原総一朗編『日本はなぜ負ける戦争したのか。朝まで生テレビ』(アスキー、2001年刊、古本)
  • 高尾翠『天皇の軍隊と平頂山事件』(新日本出版社、11月刊、本体1800円)

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イギリスの童話「一寸法師」って?

『資本論』を読んでいたら、「7マイル長靴」というのに、訳注がついていて、「イギリスの童話『一寸法師』にでてくる人食い鬼が履く、一またぎで7リーグ(約21マイル)進める長靴にちなむ」と書いてありました。(新日本出版社版『新訳 資本論』新書版第2分冊523ページ)

イギリスの童話「一寸法師」? 「一寸法師」はもともと日本のお話。イギリス版の「一寸法師」って、どんなお話なんでしょう?
ご存じの方、ぜひお教えください。m(_’_)m

今日も

今日も印刷工場で仕事。順調にすすみ、夕方には無事終了。外へ出てみたらまだ明るい。あんまり久しぶりすぎて、こんな時間に仕事が終わっても、いったいどうしていいのかわからん…。う〜む (^_^;)

で、久しぶりに吉祥寺の南口駅前の博多ラーメン「味ごのみ」で、とんこつラーメンを食す。ここのとんこつは、博多風の細麺。博多ラーメンは、この細麺でやや固めにゆでるのだけれど、僕の好みは「柔らかめ」。それに味付け玉子をトッピングして、620円は十分お安いと思う。
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今村仁司『マルクス入門』

筑摩書房のマルクス・コレクションを読んでいる手前、仕方なく購読。

結論からいうと、あれこれ今村流マルクスを描いていますが、マルクスの全体像が見えてこないだけでなく、今村氏がいまマルクスを通して何を主張したいのかさえよく分かりませんでした。

全体として、『資本論』の話は、一部を除いて、主には価値形態論までで終わっており、たとえば未来社会における個人所有の復活という問題でも、「いったんは私的所有へと変質し頽落した個人所有を、もう一度共同所有と結合する」「個人所有と自由な個人を優位におき……共同所有を劣位におく仕方で、個人と共同体を結合する」など述べるだけで、意味不明というか、個人所有と共同所有の関係が問われている時に、その関係を明らかにしないままに、その周辺をあれこれさまよっているだけです。

とくに最後の2章は、「第4章と第5章は、いささか自説を押し出す試みをしてみた」(あとがき)だけあって、出来が悪いですね。

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筑摩版『資本論』続き

その後も、筑摩版『資本論』をたらたらと読んでいます。また、いろいろ疑問な箇所を見つけました。

上246ページ終わりから2行目「資本家のサナギ」
原語はKapitalistenraupe。Raupeは辞書をひく限り、「幼虫、いも虫、毛虫」でサナギの意味はありません。サナギはPuppe。
上251ページ終わりから5行目「社会的生産の古い諸形態」
これはFormationenだから「諸構成体」の間違い。Formと勘違いしたんでしょうか?
俗流経済学と通俗経済学
鈴木直氏の担当部分は、すべて「俗流経済学」になっていますが、今村仁司氏・三島憲一氏が翻訳を担当した部分は、なぜか「通俗経済学」と訳されています。どっちでもいいんですが、訳の統一ができてません。(^^;)
Stoffwechsel
「物質代謝」というような意味の単語ですが、これも訳の不統一です。鈴木氏担当部分は全部「新陳代謝」という訳になっているのですが、今村氏の担当部分では「素材のやりとり」(上67ページ3行目)、「物質変換」(上130ページ注38の4行目、6行目)となっています。なお、三島氏担当部分には、この言葉は出てこないみたいです。

それから、前に書き込んだときに指摘した強調(ゴチック)がいっぱい出てくる件ですが…
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とりあえず昨日今日買ったもの、読んだもの

この間買った本。

  • 関志雄『共存共栄の日中経済』(東洋経済、新刊)
  • 八代尚宏・鈴木玲子『家計の改革と日本経済』(日本経済新聞社、新刊)
  • 山之内靖『受苦者のまなざし 初期マルクス再興』(青土社、2004年11月刊)
  • 今村仁司・三島憲一他『現代思想の源流』(講談社、2003年刊)
  • 古井倫士『頭痛の話』(中公新書、新刊)
  • 岩井忠熊『陸軍・秘密情報機関の男』(新日本出版社、新刊)
  • 建部正義『はじめて学ぶ金融論〔第2版〕』(大月書店、新刊)
  • 加藤周一『歴史の分岐点に立って 加藤周一対話集5』(かもがわ出版、新刊)
  • 宮澤誠一『明治維新の再創造 近代日本の〈起源神話〉』(青木書店、新刊)
  • 松野誠也『日本軍の毒ガス兵器』(凱風社、新刊)
  • F・コワルスキー『日本再軍備』(サイマル出版、1969年)=古本

ということで、完全に買いすぎです…。(^^;)
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ブログ広がるか?

お嬢様学校の先生をしながら、日々東奔西走し、「資本論」から春闘情勢、ジェンダー論まで喋りまくり、書きまくり、なおかつその日々の奮戦ぶりを毎日インターネットに公開されている石川康宏先生が、最近の出来事200502によれば、なにやらブログに興味を持ち始めたような…。

ということで、とりあえず、日記を書きまくるならブログは最適ですよ、と送ってみました。果たして、ブログ、広がるでしょうか? (^^;)

ありがとうございますm(_’_)m

神戸のお嬢様学校の先生でありながら、連日のごとく東奔西走して、資本論から春闘情勢、ジェンダー論まで、あらゆることを展開し、なおかつその毎日の生活&奮闘ぶりを、日々ホームページで公開されている神戸女学院・石川研究室(経済学)で、私めのブログをリンクしていただきました。

石川先生、ありがとうございますだ? m(_’_)m

『現代思想』マルクス特集号

いまさらとは思うが、『現代思想』2004年4月臨時増刊「総特集 マルクス」を読み始めました。筑摩の「マルクス・コレクション」といい、マルクスが出版ジャーナリズムでいろいろ取沙汰されるのはよいのですが、問題はその中身です。

全部は読み終わっていませんが、これまで読んだところで、いろいろ感想を。
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筑摩版『資本論』

筑摩書房から新しく出た『資本論 第1巻』を読み始めました。

とりあえずぱらぱら読み始めた印象では、細かい訳注などがいっさいない(簡単なものは割り注で入っているが)ので、意外と読みやすいというのが一番。あと、強調(ゴチック)がたくさんあるのも特徴です。後者は、邦訳「マルクス・エンゲルス全集」などの底本となっているDietz社のWerke版ではいっさい省略されているものを、同じDietz社の普及版(1953年)を参考に復活させたとのこと。従来の邦訳資本論にはなかったもので、結構たくさん出てきます。

ところで、これまで読んだところで、誤訳(もしくは誤植)と思われるのは――

(1)上巻68ページ13行目、および、同72ページ8行目の「人間労働の支出」のところは、独文はArbeitskraftなので、「人間労働力の支出」と訳されるべき部分です。同じ68ページの15?16行目では、「人間の労働」と「人間の労働力」がきちんと訳し分けられているので、たんなるミスか、それとも誤植なんでしょうか。しかし、2カ所もというのはちょっと解せません。

(2)上巻171ページ、注73の3行目と4行目の「資本制生産様式」。原文はProduktionsprozesses(「生産過程」)なので、ここも訳が違っています。そのあとに出てくる「生産様式」はProduktionsweiseなので、正しい翻訳になっています。

こなれた日本語にするために、いろいろ努力されていますが、上記2点は誤訳もしくは誤植と言わざるをえません。

ジョン・ベラミー・フォスター『マルクスのエコロジー』

マルクスのエコャ??ー表紙

ジョン・ベラミー・フォスター氏は、『独占資本主義の理論』(鶴田満彦監訳、広樹社、1988年)などの著書で知られるアメリカの経済学者。現在はオレゴン大学教授(社会学)。

で、この本は、最初は「マルクスとエコロジー」という題名で書かれる予定だったが、執筆の過程で「マルクスのエコロジー」に変わったという。著者によれば、マルクスに対するエコロジーの側からの批判は、次のような6点にかかわっている。

  1. マルクスのエコロジーにかんする記述は「啓発的な余談」であって、マルクスの著作本体とは体系的に関連づけられていない。
  2. マルクスのエコロジーにかんする洞察は、もっぱら初期の「疎外」論から生まれたもので、後期の著作にはエコロジーにかんする洞察は見られない。
  3. マルクスは、結局、自然の搾取という問題へのとりくみに失敗し、それを価値論に取り込むことを怠った。
  4. マルクスは、科学の発展と社会変革がエコロジー的限界の問題を解決し、未来社会ではエコロジー的問題は考える必要がないと考えた。
  5. マルクスは、科学の問題やテクノロジーの環境への影響に関心を持たなかった。
  6. マルクスは、人間中心主義である。

著者は、こうした見方が、マルクスが批判した相手の議論であって、マルクスのものではないことを明らかにしていくのだが、その詳細は省略せざるを得ない。

面白いのは、こうした問題とかかわって、著者が、自分のマルクス主義理解を問題にしていること。「私のエコロジー的唯物論への道は、長年学んできたマルクス主義によって遮られていた」(まえがき)と書いて、次のように指摘している。

私の哲学的基礎はヘーゲルと、ポジティヴィズム〔実証主義〕的マルクス主義に対するヘーゲル主義的マルクス主義者の反乱に置かれていた。それは1920年代にルカーチ、コルシュ、グラムシによって始められ、フランクフルト学派、ニュー・レフトへとひきつがれたものであった。……そこで強調されたのは、マルクスの実践概念に根ざした実践的唯物論であり、……このような理論の中には、自然や、自然・物質科学の問題へのマルクス主義的アプローチが入り込む余地はないように思われたのである。……私が自分の一部としたルカーチやグラムシの理論的遺産は、弁証法的方法を自然界に適用することの可能性を否定した。それは基本的に領域全体をポジティヴィズムの手に譲り渡すことになると考えたのである。……私の唯物論は、完全に実践的な、政治経済学的なものであり、哲学的にはヘーゲルの観念論とフォイエルバッハによるその唯物論的転倒から知識を得たものだったが、哲学と科学内部における唯物論のより長い歴史については無知だった。(本書、9?10ページ)

著者はまた、「唯物論を実践的なものにする際に、マルクスは自然の唯物論的把握への、つまり存在論的および認識論的カテゴリーとしての唯物論への一般的な関わりをけっして放棄しなかったということである」とも指摘している(同、23ページ)。
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学習会の感想

過日、若者相手に「『科学の目』と古典学習」をテーマに喋ったものの感想文をどっさりといただきました。準備不足で、レジュメの「一」の(一)だけで1時間もかかってしまうというとんでもない講義だったのに、「よかった」「学習の意義が分かった」「古典を読んでみようと思った」などなどの感想をいただき、うれしいやら申し訳ないやらです。

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韓国、国家保安法廃止の動き

韓国で、国家保安法廃止の動きが起こっています。国家保安法は、軍事独裁政権時代に民主化運動弾圧のために利用されるなど、これまでたくさんの人権侵害をうみだしてた法律。独裁政権時代には、『資本論』を読むことさえできませんでした。しかし民主化が進んだ現在でも同法は廃止されておらず、韓国で開催されたアジア大会に参加した北朝鮮選手を北朝鮮国旗を振って応援することまで国家保安法違反とされました。

もともとこの法律は、日本の治安維持法をひきつぐかたちで制定されたもの。廃止すべきという意見にたいしては様々な反対も予想されていますが、もし実現すれば、韓国の「民主化」もいよいよ本物になったことを証明するものといえます。

国家保安法廃止論議が本格化(朝鮮日報)
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今日の買い物

今日(正確にはすでに昨日ですが)買った本です。

  • 石川康宏『現代を探求する経済学 「構造改革」、ジェンダー』(新日本出版社)
  • 高崎真規子『少女たちはなぜHを急ぐのか』(NHK出版、生活人新書)
  • 小松美彦『自己決定権は幻想である』(洋泉社新書)

またぞろ、いろいろな本の買い込み癖がうごめきだしたかな…? 気をつけねば。

1冊目は、優雅な女子大(しかもお嬢様学校)の先生でありながら、
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