7月31日付の英タイムズ紙が、「日本の戦争犯罪についての暗黒博物館」と題する記事を掲載しています。
Black museum of Japan’s war crimes – World – Times Online
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7月31日付の英タイムズ紙が、「日本の戦争犯罪についての暗黒博物館」と題する記事を掲載しています。
Black museum of Japan’s war crimes – World – Times Online
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ようやっと赤澤史朗『靖国神社』(岩波書店)を読み終えました。
この本の靖国神社論は、画期的なものです。なぜなら、戦後の靖国の「平和主義」の可能性というものを考察の軸の1つに据えているからです。靖国神社の「平和主義」? と思われるかも知れませんが、これは言い換えると「殉国」「顕彰」か「追悼」かの対立。靖国神社も戦後の再出発の時点からずっと今のような靖国神社ではなかったということです。
もちろん、靖国神社の「平和主義」は、靖国神社の戦前の伝統からきちんと抜け出すことができず、結局は、「殉国」「顕彰」の流れに飲み込まれてしまう訳ですが、同じ、「殉国」と「追悼」との対立は、広く日本国民の戦争犠牲者にたいする態度のなかにあったわけで、敗戦からの絶対的な「時間」の経過とも重なって社会的な変化を重ねていくことになります。そこを、「靖国問題」にたいする国民各層の動きというかたちで追っていったところに、この本のおもしろさがあるように思いました。
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靖国神社の「日本の戦争は正義の戦争だった」という特異な歴史観について、ニューヨークタイムズ、USAトゥデーの記事を紹介しましたが、こんどは英紙フィナンシャル・タイムズが、7月19日付で「アジアの騒ぎ――まさに地域経済が統合されるときに、ナショナリズムが高まる」という記事を掲載。そのなかで、靖国神社の特異な戦争観について、次のように書いています。
The Yasukuni museum next to the shrine shamelessly glorifies Japan’s war record and glosses over such “incidents” as the Nanjing massacre, but the mixed and sometimes acerbic responses recorded in the visitors’ books suggest that many Japanese remain unconvinced.
拙訳で概略を紹介すると――
神社に隣接する靖国博物館〔遊就館のこと〕は、恥知らずにも、日本の戦争の記録を美化し、南京大虐殺のような“事件”についてごまかしている。しかし、来館者ブックに記録された、様々なそして時には辛辣な反応は、多くの日本人が依然として納得してないことを示唆している。
フィナンシャルタイムズ紙の記事全体は、日本だけを批判したものではなく、中国や韓国の「ナショナリズム」も問題にしています。そういう立場からのものであっても、靖国神社・遊就館がおこなっている「日本の戦争は正義の戦争だった」という主張は、「恥知らず」なものとしか言いようのないものだと批判されているところに、この記事の妙味があります。
FT.com / Home UK – A stir in Asia: nationalism is on the rise even as the region’s economies intertwine
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「日本の戦争は正しかった」とする“靖国史観”派にたいするアメリカのメディアの報道を2つ紹介します。
1つはニューヨークタイムズ紙6月22日付の記事、もう1つは、USAトゥデー紙6月23日の記事です(抄訳)。
日本のために無罪判決を求める戦争神社
ニューヨークタイムズ6月22日付靖国神社は、日本の軍国主義の過去を再評価しようとする動きの象徴的中心であり、日本と近隣諸国との関係悪化の核心に横たわっている。……
靖国の戦争博物館〔遊就館のこと――訳注〕は、「参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」と言うことによって、アメリカが大恐慌から逃れるために、日本に真珠湾攻撃を強要したと主張する。博物館で上映されている「私たちは忘れない」というビデオは、アメリカの戦後の日本占領を「無慈悲」なものと描き出している。しかし博物館は、日本自身のアジア占領には言及していない。たとえば南京大虐殺について、博物館は、中国人司令官を非難し、日本の活動によって「市内では、市民が再び平和な生活を送れるようになった」とつけくわえている。……
靖国史観は、ほとんどのアジア人やアメリカ人が受け入れることのできないものである。
東京の神社がアジア中の怒りの的
USAトゥデー紙6月23日付数十年前、帝国の日本軍に占領され、じゅうりんされた中国、韓国その他のアジア諸国は、小泉首相の挑戦的な靖国参拝が、血塗られた過去へ反省を示すことを日本が拒否していることの象徴であるとみている。問題は、1978年に靖国神社が……第2次世界大戦後国際法廷によって有罪を宣告された14人の「A級」戦犯を、ひそかにまつったことである。
靖国神社をめぐる(そして、日本の戦争中の残虐行為をもみけそうとする教科書をめぐる)論争は、日本にとって外交上の結果をもたらしつつあり、アジア中の神経を逆なでしている。……靖国神社のウェブサイトは、1941年の真珠湾攻撃と中国・東南アジアの侵略をこんなふうに説明している。「国の独立と平和を維持し、全アジアを繁栄させるために、日本は戦争を余儀なくされた」。靖国神社は、悪びれることなく、14人の戦犯を「連合軍のでっちあげ裁判で戦犯の汚名をきせられ」た殉難者だと描いている。
ニューヨークタイムズ紙の記事は、すでに有料検索の対象になっています。
USA TODAY紙の記事はこちらから。→USATODAY.com – Tokyo shrine a focus of fury around Asia
米下院が、14日、「日本に対する勝利」決議を採択し、太平洋戦争を起こした日本を「ファシズム軍国主義」と非難し、A級戦犯を処罰した極東国際軍事裁判(東京裁判)の結果が有効であることを確認した、と、韓国の「中央日報」が報道しています。
靖国史観派は、日本は「自存自衛」のためやむを得ずたたかったんだと主張していますが、そう言えば言うほど、日本が戦争につっこむように仕向けたアメリカが悪いという話になるわけです。「中央日報」の記者がコメントしているとおり、この決議は、アメリカとしてもそうした主張を放置できないということを示したものといえます。
それにしても、日本の新聞で、この決議を報道したものはないようです。ジャーナリズムとしての役割を果たしてませんね。
今日の「読売新聞」の論点欄で、元駐米大使の栗山尚一氏が「反日デモの教訓 過去を直視する勇気必要」と題して、首相の靖国参拝問題について意見を述べられています。
栗山氏は、まず10年前の政府談話(いわゆる村山談話)を紹介し、これは「自虐的なものではない」「若い世代はぜひ……この談話の意味と背景を学んでほしい」と指摘。続けて、こう書かれています。
筆者は、政府の責任ある立場にいるものの靖国参拝には異論がある。韓国や中国が反対しているからでも、戦没者の慰霊が大切と思わないからでもない。同神社の博物館(遊就館)の展示などに示される歴史観が、政府談話の認識と相いれないと考えるからである。
外務事務次官、駐米大使などの歴任された方が、このように靖国問題の本質をずばり真正面から批判されているのは、重要な指摘だと思います。
本書は、青土社『現代思想』2003年7月号〜2004年4月号に連載されたものをまとめたもの(2004年7月刊)。著者は、大阪大学名誉教授で、元日本思想史学会会長、新井白石、荻生徂徠などの研究者として著名ですが、最近は、近代以降の日本思想に対象を移し、「日本的なるもの」の問題機制を鋭く問いつづけておられます。
さて、本書をつらぬく著者の視角は、次の一文にあると思います。
国家神道とは、ただ過去に尋ねられるべき問いではない。国家神道への問いは、日本という国家の祭祀性・宗教性をめぐってわれわれがなお発し続けねばならない、あるいはまさに現在発せねばならない緊要な問いとしてある。(本書、10?11ページ)
昨日夜遅く帰ってきて、駅前の銀行に駆け込んだところ、ATMが僕のキャッシュカードを受け付けてくれない…。財布のなかには2000円しかないのに、どうしたらいい? で、備え付けの電話でコールセンターに問い合わせたら、残高照会を試してほしいとのこと。引き出しでけっぽられても、残高照会なら受け付けることがあるらしい。さらに、一度ちゃんとチェックすれば、読み取り不良になっていたカードが回復するらしい。
で、残高照会に放り込んでみたけれど、残念ながら、やっぱりダメ。仕方なく昨晩は、初めてクレジットカードでスーパーの惣菜を買って帰りました。(^^;)
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急に腰が痛くなってしまい、椅子に座ってられないほど。締め切り直前で、仕事が詰まっているのに、困った…。