HOME僕の書いたもの>『反デューリング論』に挑戦しよう

科学的社会主義の古典選書シリーズ

(2001年12月)

最新訳の刊行を機会に
科学的社会主義の“百科事典”
『反デューリング論』に挑戦しよう

目次

このたび、新日本出版社の「科学的社会主義の古典選書シリーズ」の最新刊として、エンゲルスの『反デューリング論』が、秋間実・東京都立大学名誉教授の翻訳で刊行されました。

『反デューリング論』は、科学的社会主義の「百科事典」ともいわれる著作です。レーニンは、自覚的な「労働者のだれもがかならず手もとにおいておかなければならない書物」(「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」)の1つにあげています。哲学、経済学、社会主義の3篇にわたり、本文だけで上下2分冊あわせて456ぺージにもなる大著ですが、最新訳は、文章もいっそうこなれて読みやすく、また注も最新の研究成果をふまえて書き下ろされています。

ここでは、『反デューリング論』とはどんな文献か、それをどんなふうに学んだらよいか、そしてこんどの最新訳の特徴を紹介して、みなさんへの学習のすすめとしたいと思います。

↑TOP

デューリングとは?

『反デューリング論』という一風変わった題名は、正式には『オイゲン・デューリング氏の科学の変革』といいます。デューリングなる人物の乱暴な科学的社会主義攻撃にたいして、エンゲルスがマルクスと協力して反論した著作です。

デューリングは、1833年ベルリン生まれの学者で、『反デューリング論』が出版された1878年には45歳でした。1863年にベルリン大学の私講師(正規の教員ではないが、大学の許可を得て講義をおこない、受講者の聴講料をもって収入とした)となり、哲学や経済学の著書をあらわしていました。その彼が、1870年代に入って、突如、『国民経済学および社会主義の批判的歴史』(1871年、75年に改訂第2版)、『国民=社会経済学の課程』(1873年、76年に改訂第2版)、『厳密に学問的な世界観および生活形成としての哲学の課程』(1875年)を出版し、「社会主義の改革の星」として華々しく登場したのです。そして、もともと社会主義とは無関係だった学者のデューリングが社会主義に「改宗」したとか、若くして失明し苦学したという事情などがあいまって、社会主義の陣営の一部にも、デューリングをもてはやし、賛美する動きが生まれました。

しかしながら、実際にその著作をみてみると、誇大妄想的に自分の「新発見」を持ち上げる一方で、マルクスの理論をねじ曲げ、口汚く攻撃するものでした。デューリングのマルクス攻撃がどんなだったのか、エンゲルスの引用から一部紹介すれば、「理解の狭さ」「宗派的スコラ学の一分派の影響の一症候」「集中し秩序だてる能力の欠如」「思想と文体のぶざまさ、品位のないことばづかい」「ペテン」「歴史的幻想と論理的幻想との雑種」「欺瞞的言い回し」「個人的虚栄心」……と、これがどうしてそんなにもてはやされたのか驚くほどです。

しかしながら、ドイツ社会民主労働者党(アイゼナッハ派)の機関紙に、デューリングの見解は科学的社会主義と合致するとか、彼の著作はマルクス『資本論』に次ぐ最良のものだとかとする匿名の論文が掲載され、あとでその筆者が幹部のべーベルだったことがわかるという事件も起きました。こうしたところに、当時の党の理論的弱さがそのままあらわれていました。同じ理論的弱さは、当時の反動的なビスマルク政権との提携を基本路線とするラサール派との無原則な合同(1875年に、アイゼナッハ派とラサール派とが合同し、ドイツ社会主義労働者党を結成)にもあらわれていました。

それゆえ、新しい党のなかでのデューリング熱の広がりは、理論的にも政治的にもいっそう重大な混迷をもたらす危険がありました。そこでエンゲルスは、ドイツの党幹部の求めにおうじて、全面的な反論を決意したのです。

↑TOP

論争から生まれた“百科事典”

この反論は、デューリングが相当な「体系創造家」だったために、広範な分野にわたることになりました。それは、エンゲルスがいっているように、デューリングの「体系」に別の体系を対置しようというものではありませんでした。しかし、それでも「かなり一般的に学問上または実践上の関心を引いているもろもろの問題点」について、科学的社全主義の見解を「積極的に展開する」ものとなりました。エンゲルス自身、後日、「哲学、自然科学、歴史の諸問題についてのわれわれの見解の百科事典的概観をあたえる試み」(エンゲルスからベルンシュタインへの手紙、1884年4月11日、『マルクス=エンゲルス全集』第36巻、123ページ)と書いています。

そのなかには、マルクス、エンゲルスの数多い著作のなかでも、この文献ではじめて展開されたという問題もたくさんあります。よく紹介される「生命とは蛋白体の存在の仕方である」(上、118ページ)とか、「世界の現実の統一性は、世界が物質的だというところにある」(上、66ページ)という指摘などが、たくさん登場します。

当時、すでに『資本論』第1巻が刊行されていた(初版は1867年刊)とはいえ、専門的であり部数も限られていたので、1878年に刊行された『反デューリング論』が科学的社会主義の学説を普及し、その理論的影響をひろめるうえで決定的ともいえる役割を果たすことになりました。実際読んでみると、それもなるほどと思える豊かな内容をもっています。

↑TOP

どんなふうに学習したらよいか

『反デューリング論』の魅力は、こうした「百科事典的」な展開にあり、それらをていねいに拾い出して読んでいくことがなにより大切です。そのうえで、エンゲルスも、全編にわたって展開された見解には科学的社会主義ならではの「内的連関」があるといっていますが、それを探りだせれば、理解はいっそう深まると思います。

とはいっても本書は論争の産物であり、教科書のようにきれいに整理されているわけではありません。たとえば史的唯物論の問題は、第1篇「哲学」ではなく第2篇「経済学」で詳しく展開されていますし、価値とは何かという問題は第3篇「社会主義」にも登場します。それだけに、どんなふうに読んだらよいか、はじめての方はとまどうかも知れません。そうした方に、私は、不破哲三氏が『古典学習のすすめ』(新日本出版社)で指摘されている2つの注意点をぜひ紹介したいと思います。

デューリングにもつきあって

第1は、本書は論戦の書物なのだから、デューリングの議論にもつきあってゆく必要があるということです。そして、エンゲルスが、それぞれの議論を、デューリングのどんな議論に対置しておこなっているのか、デューリングの誤りを批判するのにどんな論法をもちいているのかを読みとっていくならば、エンゲルスの結論的な命題もずっと深い内容で理解できるでしよう。

この点では、従来の『全集』や大月書店の国民文庫が、デューリングの言い分のところは改行をしたうえで、小さい活字で印刷するという特別な組み方をしてあったのにたいし、こんどの新訳では、そうした特別の組み方をやめて、デューリングの言い分とエンゲルスの反論がより一体になって読みやすくなったことを紹介しておきたいと思います。ついでながら、こうした組み方は、もともとエンゲルスの著作にはなく、邦訳『全集』などが底本とした旧東独の『マルクス=エンゲルス著作集』の編集方針にしたがったものでした。その点でも、エンゲルスの著作どおりの組み方に戻したことは、遭切な編集だと思われます。

個々の命題は固定的に考えない

第2は、とくに白然科学については、エンゲルス以後120年以上の発展のなかで、個々の命題には古くさくなったものもたくさんあるという問題です。

不破氏は、だから、そうした個々の命題を固定化するのではなく、それにもかかわらず、エンゲルスが引き出した基本的な結論、白然への見方が今日なお生命力を失っていないという事実に注目して、議論の核心や問題にせまる方法こそ読みとってほしいと指摘しています。こうした読み方をすると、実際に『反デューリング論』がどんなふうに読めてくるか、不破氏は、第1篇の2つの章を実例に紹介されていますので、それもぜひ参考にしていただきたいと思います。

↑TOP

『資本論』の最良の手引き

『反デューリング論』は、『資本論』の手引きとしても、ひじょうに多くの学ぷべき内容をもっています。項目的にあげただけでも、経済学の対象とは何か、狭義の経済学(資本主義社会を研究する狭い意味の経済学)と広義の経済学(人類社会のいろいろな発展段階を対象とする広い意味の経済学)、史的唯物論の考え方、とくに土台と上部構造、歴史における強力の役割、『資本論』の方法である弁証法のとらえ方など、『資本論』理解に役立てるべき内容は無尽蔵です。

さらに、価値とは何か、あるいは剰余価値の発見によってマルクスがどんな“謎”を解いたのかなど、『資本論』の経済学的な内容そのものも明らかにされています。こうした点は、不破氏が『エンゲルスと「資本論」』(上、新日本出版社)で先駆的に解明、強調されてきたところです。『反デューリング論』学習にさいして、ぜひ参照したいものです。

↑TOP

最新の文献研究の成果を生かして

訳者の秋間氏は、エンゲルスが『反デューリング論』とほぼ同じころに執筆の準備をしていた『自然の弁証法』(新メガ版、渋谷一夫氏との共訳)と、そのなかから重要な論文・草稿を集めた古典選書シリーズ『自然の弁証法〈抄〉』(いずれも新日本出版社)の翻訳を手がけた方です。その成果は、注解にふんだんに取り入れられています。

新訳の第1の特徴は、現在刊行中の新『マルクス/エンゲルス全集』(新メガ)の最新の研究成果にもとづいて、『反デューリング論』の初版から第2版・第3版への異同を詳細に注記したことです。

とくに第2篇第10章「『批判的歴史』から」は、マルクス自身が原稿を執筆したのですが、エンゲルスは論文掲載にあたって長さの関係で大幅に削らざるをえませんでした。その大部分は第3版のときに復活されましたが、それでもなお数カ所復活させられなかった部分もあり、またエンゲルスが書き改めている個所もあります。新訳では、それらが詳しく訳注に記されており、これによって、はじめてマルクスの最初の原稿の内容がうかがいしれるようになったといえます。

↑TOP

新たに書き下ろされた注解

第2に、注にも工夫が凝らされています。とくに、日本での科学的社会主義理論の到達点にたって、巻末の注解が新しく書き下ろされたことが注目されます。

そのなかには、従来の邦訳ではとりあげられていなかった項目もあります。たとえば、序文に「理論的自然科学」という、あまりなじみのないことばが登場します。もちろん文脈から推測可能ですが、こんどはじめて注がつけられ、観察・観測にもとづく自然科学研究にたいして、その成果を概括し理論化するレベルでの自然科学研究のことだと説明されています。

また、『反デューリング論』第1篇第13章「弁証法。否定の否定」では、『資本論』第1巻第24章「いわゆる本源的蓄積過程」の結論部分で展開された「否定の否定」の問題がとりあげられています。しかし、この部分の『資本論』の文章は、『反デューリング論』で引用されている『資本論』第2版(1872年)のあと、フランス語版(1872〜75年)にさいしてマルクスが改訂をくわえた結果、現在の邦訳『資本論』の該当個所と少し表現が異なっており、そのことが論争のポイントの1つとなったこともあります。こんどの新訳では、そうしたことを考慮して、注解には、フランス語版、およびその改訂を取り入れてエンゲルスが編集したドイツ語第3版(1883年)と第4版(1890年)、さらにエンゲルスが監訳した英語版(1887年)の該当部分の邦訳が紹介されていて、たやすく比較対照できるように工夫されています。

第2篇「経済学」の第2〜4章は、経済の発展と政治・国家の関係、もっと広くいえば史的唯物論での社会の経済的土台と上部構造との関係などが論じられた興味深い章です。この章題となっている「強力」ということばの原語はドイツ語のゲヴァルトですが、この語は多義的な意味を持っています。戦前の邦訳でも、底本となった言語はドイツ語、英語、ロシア語などいろいろでしたが、「権力」「強力」「力」、形容詞の場合には「強制的」「強力的」など、さまざまな訳が試みられてきました。

新訳では、本文中では文脈におうじて訳し分けるとともに、章全体としては、武器・武力の問題も出てくるが、あつかっているテーマは直接的な暴力・武力の問題だけに限定されないという内容にふさわしく、「強力論」という章題が採用されています。さらに、注解で、原語が「力、強制力、支配力、権力、暴力、武力などの意をもつ多義的な語」であることを指摘するとともに、翻訳上の経緯も簡潔に紹介されています。

さらに、人名索引も詳しい解説がつけられていて、人名注として活用できるようになっていることも特徴です。

↑TOP

訳文もいっそう読みやすく

さらに訳文もいっそう読みやすくなっていることも、新訳の魅力といえます。日本語として、たいへんこなれた文章になっていることはいうまでもありません。また、特別な組み方をやめてエンゲルスの著作どおりに戻したことについては、前に紹介したとおりです。さらに、あちこちに登場する聖書や戯曲からの引用とか、マルクス、エンゲルスの論文の引用が邦訳のどこに該当するかといった指示、あるいはエンゲルスがデューリングをからかっているところの指摘など、簡単な注は、すべて小さな活字で〔〕に入れて本文中に組み込まれています。そのためいちいち後ろのぺージをめくる手間がかからなくなりました。

ほかに、今回の翻訳では、<>を使って、重要な語句や、長い文章のなかのまとまりを浮き立たせる工夫が訳者である秋間氏の手によっておこなわれています。これは原文にないものですが、エンゲルスの書く文章は、もともとかなり息の長い文章であることにくわえて、そのなかにデューリングの主張などを入れ込んで、あれこれ論じたりしていて、かなり入り組んだ文章になっています。それだけに、私には、<>を補うことで読みやすくなったと感じられましたが、いかがでしょうか。

↑TOP

「科学の目」を学ぶ機会に

激動の21世紀に大きな志をもって前進するために、日本の民主的変革の展望とともに科学的社会主義の世界観的な確信を自らのものにすることが必要です。そうしたとき、『反デューリング論』の新訳が刊行され、だれでも手軽に学べるようになったことは、たいへん心強い応援だと思います。この機会に、1人でも多くの方が挑戦されることを期待します。

(おわり)

↑TOP

論文一覧に戻る