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エンゲルス『空想から科学へ』―マルクスの「変革の精神」と「科学の目」を学ぶ

(2003年4月)

目次

はじめに――『空想から科学へ』を学ぶ意義

『空想から科学へ』は、1880年、フランスの社会主義者ポール・ラファルグ(1842〜1911、マルクスの次女ラウラの夫)の求めに応じて、エンゲルスが自著『反デューリング論』(正式には『オイゲン・デューリング氏の科学の変革』1878年刊)から3つの章をえらんで再構成し、若干の説明をつけくわえてまとめ、フランス語に翻訳されて出版されたものです。そのときの表題は『空想的社会主義と科学的社会主義』で、マルクスが序文(発表時はラファルグの署名)を書いて、「科学的社会主義の入門書となるであろう」と紹介しました(古典選書シリーズ『空想から科学へ』新日本出版社、9ページ。以下、『空想から科学へ』の引用は同書のページ数のみ記します)。

そしてマルクスの予想のとおり本書は好評を博し、1883年には、あらためてドイツ語で出版されました。このとき、『空想から科学への社会主義の発展』という表題がつけられ、そこから『空想から科学へ』の名前で広く親しまれるようになりました。日本でも、1906(明治39)年に、堺利彦による最初の翻訳が彼の編集発行していた雑誌『社会主義研究』第四号に「科学的社会主義」の表題で掲載(このときは英語版からの重訳)され、いらいたくさんの翻訳が出版されています。

科学的社会主義の入門書

『空想から科学へ』の魅力は、なによりもマルクスが「科学的社会主義の入門書」と書いたように、科学的社会主義の理論の全体像が分かりやすく説明されていることです。

そもそも「科学的社会主義」ということばは、マルクス、エンゲルスに先立つ社会主義思想である「空想的社会主義」にたいすることばです。科学的社会主義の学説は、ある日、マルクスとエンゲルスが天才的に思いついたというようなものではなく、人類がそれまでの歴史のなかでつくりあげていた哲学や経済学、あるいは社会主義思想などの成果を徹底的に研究して、そのなかからマルクスたちがつくりあげたものです。その1つが、フランスのサン‐シモンとフーリエ、イギリスのオーエンに代表される「空想的社会主義」の流れです。

彼らは、19世紀はじめに、資本主義の矛盾や階級対立が明らかになりはじめたばかりのときに、資本主義の害悪、不合理を批判し、資本主義に代わる合理的で理想的な未来社会はどんな社会でなければならないかを考えました。そうすることによって、彼らは、社会主義思想の最初のあらわれとなりました。しかし、彼らに共通していたのは、その未来社会論を、それぞれの頭のなかで考え出した理想社会の青写真、見取り図としてしか示せなかったことです。そのために、理想社会を生み出す条件はどこにあるのか、誰がそれをつくるのか、それを明らかにすることができませんでした。

そこを、「科学の目」で明らかにしたところに、マルクス、エンゲルスの画期的な意義がありました。『空想から科学へ』は、そのことを分かりやすく明らかにしています。

第1章では、その空想的社会主義とは何であったのか、その歴史的な意義とのりこえられなければならなかった問題点とは何だったのかが解明されます。

第2章では、社会主義を空想から科学へ発展させたものは何であったのかが論じられ、弁証法とともに、マルクスの「二大発見」――史的唯物論と剰余価値の理論が紹介されています。

第3章では、科学的社会主義の立場から資本主義のもとでどのような矛盾がすすんでいるか、その矛盾を解決し、資本主義をのりこえた新しい社会を実現する条件がどのようにつくられているか、そしてその未来社会はどんな社会になるのかなどを明らかにしています。

ですから、『空想から科学へ』を学ぶことによって、私たちは、科学的社会主義の学説の全体像をつかむとともに、社会主義を空想から科学へと発展させたマルクスたちの「科学の目」を生きいきとつかむことができます。

科学的社会主義の普及に大きな役割

もちろん、マルクスの「科学の目」といったとき、いちばんの著作は『資本論』です。『資本論』は、マルクスの生涯をかけた著作で、第1部は1867年に初版が出版されていましたが、第2部、第3部はマルクスの生前には完成せず、エンゲルスがマルクスの残した原稿をもとに刊行しました。

マルクスは、『資本論』の執筆とともに、1864年につくられた国際労働者協会(インタナショナル)の活動にも力を注ぎました。そして、1869年のドイツ社会民主労働者党(創立大会のひらかれた都市の名前からアイゼナッハ派と呼ばれた)の結成をはじめとして、1870年代からヨーロッパ各国に労働者の立場にたつ社会主義政党が結成されるようになりました。フランスでも、1879年に労働党が結成され、翌年の全国大会では、マルクスも協力し、みずから前文を書いた綱領が確認されています。これらの政党は、それぞれ程度の違いはあれ、科学的社会主義の立場に立とうとするものでした。

しかし、科学的社会主義への理解という点では、すでに『資本論』第1部が出版されていたとはいえ、非常な大部で、しかも発行部数もかぎられ(初版1000部、1873年の第2版3000部)、だれもが接するというわけにはいきませんでした。そんななかで、1870年代にはマルクスと『資本論』を攻撃したデューリングの理論がドイツの党内でもてはやされるといった事態も起こりました。それにたいして、エンゲルスがマルクスに代わって反論したのが、『空想から科学へ』のもとになった『反デューリング論』です。多くの人びとは、これらの著作を通じて、はじめて本格的に科学的社会主義の学説に接することができるようになりました。

『空想から科学へ』は、英語版が出た1892年までの12年間に、10カ国語に翻訳され普及しました。その背景には、こうした事情もありました。

科学的社会主義の学説の普及という点では、『空想から科学へ』でのエンゲルスの独自の貢献もみておかなければなりません。資本主義のかかえる体制的な矛盾を、エンゲルスは「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」と定式化しました。また、その矛盾の深まりとともに資本主義の枠のなかで「生産の社会化」がすすむとして、株式会社、国有化とともに、1870年代になって広がったトラストをとりあげました。

これらの点については、第3章のところであらためてふれたいと思いますが、『空想から科学へ』は、たんに科学的社会主義の学説を要約・解説した書物ではけっしてなく、そこに古典そのものに挑戦する意義、楽しみもあるということも強調しておきたいと思います。

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第1章 空想的社会主義とは

第1章で何を学ぶか

第1章では、サン‐シモン、フーリエ、オーエンという3人の空想的社会主義の思想の基本的な特徴、歴史的な役割、それが科学的社会主義とどういう関係にあるのかをつかむことが眼目です。その見地から第1章を読むとき、冒頭の一段落が大事なところです。そこでエンゲルスは、つぎのように言っています。

「現代の社会主義は、その内容からいえば、まず、一方ではいまの社会にゆきわたっている、有産者と無産者、資本家と賃労働者の階級対立の直観から、他方では生産のなかにゆきわたっている無政府状態の直観から生まれた産物である。しかしその理論的形式から言えば、それは、はじめは、18世紀のフランスの偉大な啓蒙思想家たちがうちたてた諸原則をひきつぎ、さらにおしすすめたものとしてあらわれ、しかもいっそう徹底させたものということになっている。あらゆる新しい理論がそうであるように、いかに深くその根が物質的な経済的事実のなかにあったにしても、それはまずすでに存在している思想上の素材に結びつかなければならなかった」(23ページ)

ここで言われていることは、第1に、社会主義というものは、資本主義経済の矛盾や階級対立の「直観」から生まれたということです。

これは、社会主義とはそもそもどういうものかということを明らかにした大事な指摘だと思います。「社会主義」の看板をかかげたソ連が崩壊したとき、マスコミでは「社会主義は終わった。時代遅れだ」とさかんに言われました。実際には、マルクス、エンゲルスが展望した社会主義的未来とは無縁の人間抑圧、他民族抑圧の体制の解体であり、日本共産党は、そのソ連の巨悪とたたかってきた党として、解体を歓迎しましたが、マスコミなどでは「社会主義崩壊」論が吹聴されました。

しかし、ここでエンゲルスが指摘しているように、社会主義というのは、資本主義の生み出す様々な矛盾や対立を目の当たりにして、「何とかしなくては」と思うところから始まるものなのです。ですから、資本主義の矛盾や対立がなくならないかぎり、社会主義は終わらないし、社会主義が時代遅れになることはありません。いまアメリカなどで、世界のどこかで第2、第3のマルクスが生まれているかも知れない∞いまこそマルクスの批判に耳を傾けるときだ≠ネどといわれるのも、ここに根本的な理由があります。まずこの点を深くつかんで、たがいの確信にしたいと思います。

第2に、エンゲルスは、新しい思想というものは、材料としては「すでに存在している思想上の素材」と結びついているけれども、その内容、その根は「物質的な経済的事実」のなかにあると指摘しています。これは、第2章のところで紹介する史的唯物論の見地そのものですが、エンゲルスは、第1章でも、この見地から空想的社会主義とは何であったのかを明らかにしているのです。すなわち、空想的社会主義は、「思想上の素材」としては18世紀の啓蒙思想をひきついでいて、したがって啓蒙思想をいっそう徹底させたものとしてあらわれたけれども、その内容は、19世紀の資本主義の経済的矛盾のなかに根をもっているということです。

年代的な流れを整理する

ところで第1章を読んでいくと、空想的社会主義だけでなく、さらにさかのぼった18世紀の「啓蒙思想家」なども登場するので、はじめは難しく感じるかも知れません。それらは、19世紀のヨーロッパの歴史や思想を知るうえで欠かせないことですが、さしあたりは注などを参考にして読みすすんでいくようにしましょう。ここでは、参考のために、マルクスたちをふくめ、年代的な流れ、前後関係をを少し整理しておきます。

空想的社会主義の代表者は、フランスのサン‐シモン(1760〜1825)、フーリエ(1772〜1837)、それにイギリスのオーエン(1771〜1858)です。マルクスは1818年生まれなので、3人はおおよそ50歳ぐらい年長ということになります。

彼らが、その社会主義思想を発表しはじめたのは19世紀に入ったばかりのころでした。サン‐シモンの『ジュネーブの一住民の手紙』は1802年、フーリエの『四運動の理論』は1808年、オーエンが共産主義村の「計画」を公表したのは1817年です。マルクス、エンゲルスがはじめて綱領的文書を明らかにしたのは『共産党宣言』1848年のことですから、空想的社会主義は、著作や活動の時代という点では、3、40年ほど先立つことになります。

啓蒙思想との関係でいうと、代表的な啓蒙思想家の生年は、ヴォルテールが1694年、ルソー1712年、ディドロ1713年などで、空想的社会主義者よりさらに50年ないし70年ほどさかのぼることになります。またその著作は、ルソーの『人間不平等論』が1755年、ディドロたちが中心となった『百科全書』の刊行が1751年から60年代にかけてですから、空想的社会主義者たちの著作より50年ほどさかのぼる。そういう関係になります。

そして、その間に、1789年、フランス革命が起こり、封建制度が倒されますが、資本主義が本格的に発展しはじめるのは19世紀に入ってからのことです。しかし、早くも1831年にはフランスのリヨンで最初の労働者の蜂起が起こり、1838年から42年にかけてはイギリスでチャーティスト運動が広がるなど、労働者の階級闘争が起こっています。

こういうおおよその流れを頭に入れておくと、啓蒙思想と空想的社会主義の関係も分かりやすくなるのではないでしょうか。

空想的社会主義とは

さて、サン‐シモン、フーリエ、オーエンは、それぞれの角度から資本主義の害悪を批判し、こうした矛盾や欠陥のない、よりよい社会、より合理的な社会を探究しました。理想の社会をめざすという点では、封建社会の不合理を批判した18世紀の啓蒙思想家と共通しています。「啓蒙思想家たちがうちたてた諸原則をひきつぎ、さらにおしすすめたものとしてあらわれ、しかもいっそう徹底させたものということになっている」(23ページ)といわれる所以です。

しかし、空想的社会主義と啓蒙思想のめざしたもののあいだには大きな違いがありました。それは、啓蒙思想家たちが、法律や権利のうえで自由や平等が実現すれば理想的な社会が実現すると考えたのにたいして、空想的社会主義者は、法律的な自由や平等の実現だけでは搾取や社会的な貧富の格差はなくならない、産業と生産のしくみそのものをあらためなければ、本当に万人が平等に生活する理想社会は実現しないと考えたことでした(28ページ)。

そこには、それぞれが根ざしている「物質的な経済的事実」の違いが反映しています。

啓蒙思想は、資本主義がようやく生まれはじめたばかりの18世紀に登場した思想です。そこでの課題は、封建社会の身分制度やさまざまな制限にたいして、資本主義の発展を可能にする自由や権利、法のもとでの平等をかちとることでした。それにたいし、空想的社会主義が登場した19世紀初めには、資本主義はまだ未熟だったとはいえ、すでに発展を開始し、そのもとでの労働者階級のたたかいも始まっていました。そうした現実に根ざして、空想的社会主義者たちは、資本主義の害悪をのりこえた未来社会(社会主義、共産主義)を展開したのでした。

マルクス、エンゲルスは、科学的社会主義をつくりあげるときには、空想的社会主義の克服に努力を払いました。しかし、彼らが社会主義思想の最初のあらわれとして、歴史的な役割をはたしたことには積極的な評価を与えています。エンゲルスは、『空想から科学へ』でサン‐シモン、フーリエ、オーエンの思想を紹介(33〜45ページ)したとき、彼らの弱点をあげつらうのは「三文文筆家」にまかせて、われわれは彼らの「天才的な思想の萌芽や思想をよころぶ」(33ページ)と強調しています。またマルクスは、たとえば『資本論』第1部第8章「労働日」で、労働者のたたかいにふれたなかで、「資本の理論」への最初の「挑戦」として、オーエンが労働日の制限を主張したことに言及しています(『資本論』上製版Ta518ページ、新書版(2)519、520ページ)。

よく学習会で「空想的社会主義というのは、ダメな社会主義ではなかったのか」とか「マルクスたちが空想的社会主義を評価しているのを知って驚いた」という質問や感想が出されますが、歴史的に積極的な役割をはたしたというプラスの面と、それが弱点をもっていたという限界の面と、両面をきちんとつかむことが大切です。

なぜのりこえられなければならなかったのか

それでは、空想的社会主義の弱点、科学的社会主義によってのりこえられなければならなかった問題点とは何でしょうか。エンゲルスは、次のように書いています。

「3人のすべてに共通していることは、彼らがこのころまでに歴史的に生み出されていたプロレタリアート〔労働者階級〕の利益と代表者としてあらわられたのではないということである。啓蒙思想家たちと同様に、彼らはまず特定の階級を解放しようと思わないで、直ちに全人類を解放しようと思った。……本当の理性と正義がこれまで世界でおこなわれなかったのは、ただ人びとがそれらを正しく認識しなかったことだけによるのである。まさに天才的な個人が欠けていたが、その天才がいまやあらわれて真理を認識した。彼がいまあらわれたこと、真理がたったいま認識されたということは、歴史的発展の連関から必然性をもってでてくる、避けられない出来事ではなくて、純然たる偶然の幸運である」(27〜28ページ)

ここでエンゲルスが指摘しているのは、次の2つの事柄です。

第1は、空想的社会主義者たちは、それぞれ、より合理的な社会としての未来社会の青写真、見取り図を示すことはできたが、どうして資本主義がより高度な社会へ発展するのか、その歴史的な条件を明らかにすることができなかったということです。彼らの未来社会論は、「天才的な個人」(28ページ)による「真理」の発見ということでしかなかったのです。

第2に、その未来社会をめざす運動の担い手はだれかという問題でも、答えを見出すことができなかったということです。彼らが労働者階級の代表としてではなく、直ちに全人類の解放をめざしたというところにそれがあらわれています。事実、フーリエもオーエンも、自分たちの理想社会の計画への援助を、各国の政府や資本家たちに求めました。

それゆえ、空想的社会主義は、資本主義の害悪を批判することはできても、資本主義の矛盾や対立がどこから生まれてくるのか、どうしたらそれらをなくすことができるのか、そうしたことを明らかにすることができませんでした。第2章のおわりのところで、エンゲルスは、次のように指摘しています。

「従来の社会主義はたしかに現存の資本主義的生産様式とその結果を批判したが、しかしそれを説明することができなかったし、したがってそれを克服することもできなかった。従来の社会主義はそれを簡単に悪いものとして投げ捨てることができただけである」(60ページ)

資本主義を「悪いもの」として投げ捨て、否定するだけでは、ほんとうに社会主義が力を発揮することはできません。そこに、空想的社会主義のいちばんの問題がありました。

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第2章 マルクスの「2つの偉大な発見」

第1章の結論として、エンゲルスは、「社会主義を科学にするためには、まずそれが実在的な基盤のうえにすえられなければならなかった」(46ページ)と指摘しました。それにこたえて、第2章では、社会主義を空想から科学へ発展させたものは何かが明らかにされています。

ここで学習する内容は、3つあります。1つは、弁証法的なものの見方です。2つめに、その弁証法と唯物論の見地からみると、人間社会のしくみはどうなっているかという史的唯物論の見地です。3つめは、剰余価値の理論で、それによって資本主義の秘密が明らかになったと指摘されています。

弁証法の3つの特徴

まずとりあげられているのが、弁証法の問題です。

不破議長は『科学的社会主義を学ぶ』で、弁証法の特徴を、形而上学的なものの見方と対比しながら、つぎのように整理しています(同書46ページ)。

(1)ものごとを、全体的な関連や相互のつながりのなかでとらえる。

(2)すべてのものを、生成し消滅するものとして、あるいは運動や変化のなかでとらえる。

(3)固定的な境界線や「不動の対立」にとらわれず、ものごとをとらえる。

これにたいし、形而上学というのは、ものごとを、(1)個々ばらばらにとらえる、(2)固定した変化しないものとみなす、(3)“白は白、黒は黒”といった固定的な枠組みでとらえる――いわば“石頭”式のものの見方です。

『空想から科学へ』の学習でも、まずこの整理をよく頭に入れておくことが大切です。そのうえで、弁証法的なものの見方の特徴を、古代ギリシャ以来の科学と哲学の歴史のなかで、大きくふりかえったエンゲルスの説明を読んでみましょう(『空想から科学へ』47〜58ページ)。

古代ギリシャいらいの大きな歴史のなかで

――人間が、自然や歴史などをとらえるときまず目の前にあらわれるのは、すべてのものごとがたがいに関連しあい、作用しあっている姿であり、すべてのものが運動・変化し、生成・消滅している姿である。古代ギリシャの哲学者たちは、それを、万物は流動している=iすべてのものは変化している)と、ありのままに、弁証法的にとらえていた(エンゲルスは、彼らは「天成の弁証家」だったと書いています)。

――しかし、すべてのものは相互に関連しあっている、たえず運動・変化しているというのは正しいとしても、それだけでは、それが何であるかは分からない。そこで、たがいに関連しあい、たえず運動・変化しているなかから、個々の事物をとりだして、分類したり、分解・解剖したりして、一つひとつ研究することが必要となる。そして、実際そうやって自然科学の研究は発展してきた。

――それとともに、「自然物や自然過程を個々ばらばらにして、大きな全体的連関の外でとらえる習慣」が生まれ、ものごとを運動しているもの、変化するもの、生きているものとしてとらえるのではなく、静止しているもの、固定不変のもの、死んだものとしてとらえる考え方が生まれ、それが自然科学から哲学にうつされ、形而上学的な考え方が成立した。

――形而上学的なものの見方というのは、常識にあった考え方のようにみえるし、実際に「対象の性質に応じて広い狭いはあるが、かなり広い領域で正当」なものでもある。しかし、その範囲を超えると、形而上学的な見方では「解決できない矛盾」にぶつかってしまう(その例として、エンゲルスは、生物の死という問題をとりあげています)。

――こうして自然科学がさらに発展していくと、形而上学のわくにおさまらないようなさまざまなことがらが明らかになってくる。それらは、ものごとを本質的に「連関、連鎖、発生と消滅において」とらえる弁証法的なものの見方の正しさを確証している(ただし、実際に弁証法的に考える自然科学者は少ないので、混乱が生まれているとエンゲルスは書いています)。

エンゲルスは、このようにのべて、形而上学的なものの見方にたいする弁証法の特徴を描き出しています。不破議長が整理した弁証法の三つの特徴が、歴史の流れのなかで、生きいきと語られていることがわかるでしょう。

この弁証法をふたたびとりあげたのは、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770〜1831)です(54ページ)。マルクスもエンゲルスも、若いころ、このヘーゲルの哲学を学びました。ヘーゲルは、自然から人間の歴史、人間の思考過程にいたる膨大な哲学体系をつくりあげました。しかし、その哲学は観念論の立場に立つものだったので、唯物論の立場へとつくりかえられなければなりませんでした。エンゲルスは、そうやって成立した「現代の唯物論」は「本質的に弁証法的」だと強調しています(57ページ)。

経済を土台として社会をとらえる

そして、弁証法と唯物論の立場から、人間の社会とその歴史をとらえたのが史的唯物論(「唯物論的歴史観」59ページ)です。

エンゲルスは、「現代の唯物論は歴史のなかに人類の発展過程を見るのであり、その発展過程の運動法則を発見することがその課題である」(57ページ)と書いています。そして、その課題をはたすための材料――「歴史観に決定的な転回をもたらした歴史的諸事実」(58ページ)は、プロレタリアート(労働者階級)とブルジョアジー(資本家階級)のあいだの階級闘争として、すでにヨーロッパの歴史のなかに登場していました(一八一三年のリヨン蜂起など)。「物質的利害にもとづく階級闘争」(同前)、あるいはさまざまな階級の「物質的利害」の対立というものを明らかにして、そのことによって、人類の歴史的な「発展過程の運動法則」を示す――そこに史的唯物論の意義があります。

史的唯物論によって何が明らかにされたのか――それをエンゲルスは簡潔に説明しています(59ページ)。

(1)まず、これまでの歴史は、原始社会を除いて、階級闘争の歴史であったこと。

(2)たがいにたたかうあれこれの階級は、それぞれの時代の経済的諸関係の産物であること。

(3)だから、社会のその時代、時代の経済的構造が、社会の「現実の土台」をかたちづくっていて、法律的・政治的制度あるいは宗教や哲学といった人びとの社会的な意識(「見解」)は、その土台のうえにたつ上部構造であって、その上部構造は、結局のところ、土台から説明されるべきであること。

ここでは、史的唯物論のなかでも中心となる「土台・上部構造」という考え方が簡潔に説明されています。これは、社会のしくみ、成り立ちを建築物にたとえたものですが、経済を土台にして社会をとらえるということです。そして、その経済的構造に根ざして、さまざまな階級の利害の対立、階級闘争がうまれ、それが歴史の発展の原動力になってきたということです。

第1章の冒頭で、エンゲルスが、新しい思想は古い思想から「思想上の素材」を受けつぐが、その内容はそれぞれの時代の経済のなかに根ざしていると説明していたことは前に紹介しましたが、これはまさに史的唯物論の見地であることが分かると思います。

資本主義の搾取のしくみ

このように史的唯物論の見地が明らかにされると、何よりも重要なことは、社会主義は、空想的社会主義のように「天才的頭脳の偶然的な発見」としてではなく、労働者と資本家の階級闘争の「必然的な産物」としてあらわれるということです(59〜60ページ)。資本主義のもとで労働者の階級闘争がどうしておこってくるのか、その原因を資本主義の経済のしくみのなかに探り、そして資本主義のつくりだしたもののなかに「この衝突の解決の手段を発見する」ことです。そして、マルクスは、『資本論』に結実する経済学の研究のなかから、「剰余価値」のしくみを明らかにすることによって、資本主義の搾取の秘密を暴露したのです。

ところで、ここでは、搾取のしくみは「不払い労働の取得」(61ページ)であるとして、ごく簡単に説明されているだけです。これだけでは分かりにくいので、若干補足して解説してみたいと思います。

いま労働者の1日の労働力の価値を8000円としましょう(労働者が1日暮らすのに8000円分の価値が必要だということです)。資本家は、価値どおりに、1日8000円の賃金で労働者を雇い、労働者を8時間働かせます。しかし、労働者が1日の労働でつくりだす価値は8000円にとどまりません。たとえば4時間で8000円の価値が生産されるとすると、労働者は最初の4時間で賃金に相当する価値を生産し、そのあとさらに4時間働かされて、さらに8000円の価値を生産することになります。最初の4時間の労働には賃金という対価が支払われますが、あとの4時間の労働には何の対価も支払われません(それゆえ、「不払い労働」といいます)。しかし、この不払い労働も新しい価値を生産しているのであり、それはまるまる資本家のものになります。それが剰余価値であり、資本家のもうけです。

搾取のしくみを解くうえで重要なことは、資本家が労働者の労働力を「価値どおり」に買った場合でも、労働者は搾取されているということを説き明かすことでした。マルクス以前にはそれが説明できなかったため、労働者は資本家にだまされているとか、資本家が不当にかすめとっているとか非難するだけで、資本主義の経済のしくみを説明できなかったのです。この剰余価値の理論によって、はじめて資本家が労働力を「価値どおり」に買った場合でも搾取されていることが明らかにされました。

エンゲルスは、史的唯物論と剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露は、マルクスの「2つの偉大な発見」であり、その発見によって社会主義は科学になったと指摘しています(61ページ)。これは、第1章の最後で「社会主義を科学にするためには、まずそれが実在的な基盤の上にすえられなければならなかった」と指摘したことへの答えというべきものです。第1章から第2章へ、空想から科学へと社会主義の発展を大きな流れでつかめるのではないかと思います。

なお、搾取のしくみについては、マルクスの『賃金、価格および利潤』や『資本論』にも挑戦して、さらに学習を深めてほしいと思います。不破議長の『科学的社会主義を学ぶ』の97〜99ページでは、『空想から科学へ』のもとになった『反デューリング論』での説明をもとに、搾取のしくみが分かりやすく解説されています。

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第3章 「科学の目」で資本主義をとらえる

第1章、第2章では、社会主義を科学にするには、それを実在的な基盤のうえにすえなければならなかったこと、そして、史的唯物論と剰余価値の理論による資本主義的生産の秘密の暴露というマルクスの「二大発見」によって、それが可能となったことを学びました。

その「科学の目」で資本主義をとらえると、そこにはどんな矛盾が存在しているか、その矛盾をなくすためにはどうしたらよいか、そして資本主義の矛盾をのりこえたあとの未来社会はどんな特徴をもった社会になるのか。第3章では、科学的社会主義の立場からの資本主義批判と未来社会論が明らかにされます。

『空想から科学へ』は、マルクスと『資本論』にたいする攻撃にエンゲルスが反撃した『反デューリング論』がもとになっていることは、前回ご紹介しました。ですから、『反デューリング論』はもちろん、『空想から科学へ』も、『資本論』第一巻でマルクスが明らかにした理論的成果を縦横に生かして書かれています。とくに第三章では、『資本論』からの引用もおりまぜながら、資本主義の発生から没落までをダイナミックにえがき出していて、『資本論』学習への手引きともなるものです。

社会発展の究極の原因は?

まず第3章の冒頭で、エンゲルスは、もう一度、史的唯物論(「唯物論的歴史観」)の基本的立場を明らかにしています。そして、経済こそが社会の土台であり、階級関係も経済構造によって決まってくることを確かめたうえで、それならば、社会発展の「究極の原因」も経済のなかに求めなければならないと指摘しています。

「すべての社会的変動と政治的変革の究極の原因は、人間の頭のなかに、すなわち、永遠の真理と正義についての人間の認識の発展に求めるべきではなくて、生産様式と交換様式の変化に求めるべきであり、それは哲学のなかでなくて、その時期の経済のなかに求めるべきである」(62ページ)

社会の矛盾や弊害をなくすための人びとのたたかいは、これまでも、またこんにちも、日本各地で、そして世界中でもたたかわれています。そこには、「大切な自然や地球環境を守りたい」「人間らしい暮らしをしたい」など、さまざまな気持ちや動機があるでしょう。しかし、なぜそんな矛盾や弊害が生まれるのか――その原因は、その時期の経済のしくみのなかに探らなければならないということです。

エンゲルスはさらに、矛盾や弊害の原因が経済のなかにあるのなら、その矛盾や弊害をなくす手段も経済のなかに求めなければならないと指摘しています。

「それはまた同時に、暴き出された弊害を取り除くための手段もまた、変化した生産関係そのもののなかに――多かれ少なかれ発展して――存在しているに違いないということを意味する。この手段は、けっして頭のなかで考案すべきものではなくて、頭をつかって現存の生産の物質的事実のなかに発見すべきものである」(63ページ)

だからこそマルクスは、資本主義経済の研究にとりくみ、『資本論』の完成に精力を注いだのでした。同時に、現実の経済は日々発展しているのですから、マルクスの解明でこと足れりとするわけにいかないことも明らかです。いま私たちがこの日本で直面している様々な問題、矛盾を解決する「手段」は、マルクスたちの成果を全面的に受けつぎながら、さらに私たち自身が自分たちの「頭をつかって」見つけなければならないことはいうまでもありません。

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資本主義の体制的矛盾をどうとらえるか

さて、それでは「科学の目」で資本主義をとらえると、そこにはどんな矛盾が存在しているのでしょうか。エンゲルスは、第三章で、資本主義の生成から没落までをダイナミックにえがきながら、それをつらぬく体制的な矛盾を「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」として定式化し、それを「資本主義の根本矛盾」と呼びました。

生産の変化――個人的生産から社会的生産へ

資本主義の矛盾を明らかにするために、エンゲルスは、資本主義以前――中世の農業や工業と比較しながら、議論をすすめています。

資本主義以前の社会では、生産に直接たずさわる労働者(農民や職人)が、労働手段(土地や農具、仕事場や道具)を所有していて、その労働手段をつかって自分自身が働いて生産する、そういうやり方が一般的でした。

ところが資本主義になると、機械が登場します。道具は、一人で使う「個人の生産手段」(65ページ)でしたが、機械は「人間の集団によってのみ使用できる生産手段」(同)、つまり「社会的な」生産手段です(注)。そして、生産手段が道具から機械にかわるのにつれて、生産力が大きく伸びるとともに、生産そのものが「個人的行為」から「社会的行為」に変わります。

(注)厳密にいえば、道具や機械は労働手段です。生産手段といった場合は、労働手段のほかに、それを使って働きかける対象――原料がふくまれます。しかし、ここはエンゲルスの書いているのにしたがって議論を進めることにします。

その結果、でき上がった生産物も「個人の生産物」から「社会的生産物」に変わります。たとえば、自動車工場では、ある労働者は溶接の一部だけを受け持ち、別の労働者は座席シートをはめ込むだけ、というようにたがいに仕事を分担しあって(これを「分業」といいます)、工場全体として一つにまとまって、自動車を生産しています。だから、でき上がった自動車を指して、「これは私がつくった」といったらおかしなことになります。

取得のルールは昔のまま

それでは、でき上がった生産物はだれのものになるのでしょうか。これを「取得」の問題といいますが、中世では、これはきわめて単純明快な問題でした。個々の労働者が、自分のものである原料や労働手段をつかって、自分自身が働いて物をつくっていたのですから、でき上がった生産物は当然、その労働者のものでした。「生産物にたいする所有は自分の労働にもとづいていた」(67ページ)。つまり、自分の労働にもとづく取得です。

資本主義になると、生産は、すでにみたように個人的生産から社会的生産に変化しました。しかし、取得の方は、ひきつづき「個人の生産物」であるかのように扱われました。ただし、その「性格」はすっかり変わっています(六八〜六九ページの注を参照)。取得する個人は、以前のように、自分の労働で生産物をつくりだした労働者ではなく、労働者をやとって働かせる資本家です。資本家は、工場や機械――労働手段の所有者であるということで、他人(労働者)の生み出した生産物を自分のものにします。「労働手段の所有者は、生産物がもはや彼の生産物ではなくて、もっぱら他人の労働の生産物であるにもかかわらず、ひきつづきその生産物を取得したのである」(68ページ)。これを「資本主義的取得」といいます。

「資本主義の根本矛盾」の定式化

ここからエンゲルスは、「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」こそが資本主義のさまざまな矛盾を生み出すもっとも根源的な体制的矛盾だと結論づけました。

「生産手段と生産は本質的に社会的になっている。しかしこのような生産手段と生産は、各人が自分の生産物を所有し、それを市場にもちだすというような、個々人の私的生産を前提とする取得形態のもとにおかれる。生産様式はその前提を廃棄しているにもかかわらず、それはこのような取得形態のもとにおかれる。この矛盾が新しい生産様式に資本主義的性格をあたえるのであるが、この矛盾のなかに、現代のすべての衝突がすでに萌芽としてふくまれているのである。新しい生産様式がすべての決定的な生産分野とすべての経済的に決定的な国々でますます支配的になり、それによって個人生産が駆逐されてとるにたらない残存物になるにつれて、社会的生産と資本主義的取得とが両立できないこともいっそうはっきりとあかるみに出てこないわけにはいかなかった」(68ページ)

92ページから、もう一度第3章の内容を要約したところでは、「社会的生産物は個々の資本家によって取得される。これが根本矛盾であり、そこから、今日の社会がそのなかで動いているすべての矛盾、そして大工業があかるみにだすすべての矛盾が発生するのである」(93ページ)と書いています。

これが「資本主義の根本矛盾」と呼ばれるものです。第3章を読むと、この定式化が『資本論』第1部、とくに第24章「いわゆる本源的蓄積」でのマルクスの解明を基礎としていることが分かりますが、こういうかたちでの定式化は、エンゲルス独自の工夫というべきものです。

この見方は、私たちがいま、現代の日本と世界の資本主義を分析する場合にも、きわめて重要で有効な視角の一つとなっています。

個々の企業は、マルクスのころとは比べものにならないぐらい大きくなり、大企業のもつ経済的な力は、一国の経済全体に、それどころか世界中に巨大な影響をおよぼすほどになっています。ところが、そうした巨大な力は、依然として個々の企業のもうけのためにつかわれています。そのために、不況のさなかでももうけのために労働者を一方的に解雇する、海外で生産した方が安くつくとなれば、さっさと工場を海外へ移転してしまう、大規模な環境破壊もかえりみない。こうしたところに、「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」の今日的な現われをみることができます。

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資本主義の内部での「社会化」の3つの形態

「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」を根本的に解決する道は、生産の社会的性格にふさわしく、取得も社会的なものにあらためること、すなわち生産手段を社会の手にうつすことです。これは、社会主義への前進を意味しています。

しかし、資本主義は、矛盾や危機に直面したからといって、黙って社会主義に席をゆずるわけではありません。矛盾の深まりを資本主義の枠のなかにおさえこんで、資本主義の存続と発展の道をきりひらこうとします。

「強力に発展していく生産力は生産力の資本という性質に反抗し、生産力の社会的性質を承認させようとする強制をますます強めていくが、この生産力の反抗と強制が、資本主義的生産関係の内部で可能なかぎりで、ますます生産力を社会的生産力として扱うように資本家階級自身に強要するのである」(80ページ)

このように資本主義の枠のなかで、生産力の社会的性格を部分的に承認する――これを「生産の社会化」といいます。そしてエンゲルスは、資本主義の内部での「社会化の形態」として、株式会社、「トラスト」、国有化の3つを取り上げています。

株式会社――経営の仕事は「有給の使用人」の手に

株式会社というと、いまでは当たり前ですが、マルクスのころは、企業というと圧倒的に個人企業であり、資本家は個人資本家でした。しかし、個人では集められる資金にはかぎりがあり、生産力の高まりとともに機械や工場が大規模化するようになると、限界が生じてきます。そこに登場したのが株式会社です。株式によってたくさんの人から資金を集め、個人では不可能だった大きな資本が実現できるようになります。

同時に株式会社のもとで、資本家のあいだに一種の分業≠ェ生まれてきます。大多数の株主は株式をもつだけで、実際の企業の経営は、大株主がみずからおこなう場合もありますが、多くの場合は、彼らによって選ばれた専門家があたるようになります。

つまり資本家がいなくては不可能だと思われていた実際の経営の仕事は「有給の使用人」でもできること、資本家は「なくてもよい」存在であることが実証されたと、エンゲルスは指摘します。

「恐慌が、ブルジョアジーには現代の生産力をこれ以上管理する能力がないことを暴露したとすれば、大規模な生産施設と交通施設が株式会社やトラストや国有に転化したことは、その目的のためにはブルジョアジーがなくてもよいことをしめしている。資本家のすべての社会的機能は、いまでは有給の使用人によっておこなわれる」(83ページ)

『空想から科学へ』を書いたとき、『資本論』は第1部しか刊行されていませんでした。しかし、実はマルクスも、『資本論』第3部で、株式会社においては経営者としての役割は「単なる管理人・支配人」に転化している、株式会社は「資本主義的生産の最高の発展」の結果であり、社会主義・共産主義への「必然的な通過点」であると指摘するなど、エンゲルスとほぼ同じ結論を下していました(注)

(注)マルクスの株式会社論は、新日本新書『資本論』第10分冊756〜764ページで展開されています。不破議長の『マルクスと「資本論」』(2)192〜198ページをぜひ参照してください。

トラストとカルテル

資本主義の枠内での「社会化」の2つめとして、エンゲルスは、「トラスト」をとりあげています。「トラスト」の問題は、1891年のドイツ語第四版ではじめて書き足されたものです(ドイツ語第4版序文、19ページを参照)。

株式会社というかたちで大企業が登場すると、さまざまな分野で少数の大企業どうしが結びついて、共同でその分野全体を支配する「独占」が生まれやすくなります。「トラスト」はそうした独占の1つのかたちで、主にアメリカで発達しました。トラストは、加盟する企業が合同して、その産業分野全体を支配する巨大な単一企業をつくるというものです。有名なのは、1879年に成立したスタンダード石油トラストで、約40の石油会社を結合し、設立当時、アメリカの全製油能力の90〜95%を支配しました。これに似たものとして、ドイツを中心に発達した「カルテル」があります。カルテルは、トラストのように単一の企業に合同するのではなく、各企業が独立性を残したまま、協定をむすんで、生産を調整したり、価格を取り決めたりするものです。

トラストもカルテルも、「生産の規制を目的とする結合体」であり、生産すべき総量を定めて、相互に割り当てたり、販売価格を指定したりします。つまり、その産業部門においては、トラストやカルテルが中心となって「統一的に運営される」ようになるわけです。

エンゲルスは、そのことを「自由競争は独占に転化し、資本主義社会の無計画的な生産は、せまりくる社会主義の前に降伏する」(81ページ)と評価しました。もちろん「社会主義の前に降伏する」といっても、トラストやカルテルは「資本家の利益のため」のものです。しかし、その枠のなかで、生産の社会的性格を部分的に承認せざるをえなくなったものということができます。

国有化について

最後に、「国有化」があげられています。国有化について、エンゲルスは、「まず大規模な交通施設、すなわち郵便、電信、鉄道にあらわれる」と書いています。事実、日本の近代の歴史をふり返ってみても、鉄道事業は、はじめは民間をふくめて始まりましたが、やがて全国的な幹線鉄道は国有化されました(1906年)。郵便事業のように、はじめから国の独占事業として始まったものもあります。

この分野では、1980年代以降いわゆる「民営化」の動きがすすみ、生産の「社会化」が「株式会社→トラスト→国有化」という順序ですすむという単純な図式ではすまない事態が生まれています。しかしこれは、国の財政をつぎ込んでおこなわれてきた交通事業のような分野まで、大企業のもうけの場として明け渡すようになったとみるべきでしょう。

今日の目で読み返してみると、エンゲルスが、国有化の問題にかかわって、どんな国有化でも社会主義的だとする議論を「にせの社会主義」(82ページの注)として批判していることは注目してよいと思います。

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矛盾の解決と未来社会論

巨大になった生産力を社会が掌握する

エンゲルスも書いているように、株式会社などの「社会化の形態」は、あくまで資本主義の枠のなかでのことがらです。したがって、生産の社会的性格の承認をせまるといっても、資本家の利益のためという基本的な性格はすこしも変わっていません。そこにとどまらず、「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」を根本から解決するためには、なにが必要なのでしょうか。エンゲルスは、つぎのように述べています。

「この解決はただ、現代の生産力の社会的性質を実際に承認し、したがって生産様式、取得様式、交換様式を生産手段の社会的性格と調和させるということのうちにしかありえない。そしてこのことは、社会がみずから管理する以外にはどのような管理も手におえないまでに発達した生産力を、社会が公然と、率直に掌握することによってのみ、おこなうことができる」(八四ページ)

つまり、生産は社会的になったにもかかわらず、生産物、生産の果実は相変わらず資本家が自分のものにしている――ここに「根本矛盾」があるのですから、その根拠になっている生産手段を社会がにぎることによって、取得のルールを生産の社会的な性格と一致させる。それによって、矛盾を解消することができるというのです。「生産力を、社会が公然と、率直に掌握する」とは、資本家のもとにある生産手段を社会全体の手に移すこと、これを「生産手段の社会化」といいます。

市場経済の破壊的作用を規制する

生産手段の社会化によって、どんな未来社会が生まれるのでしょうか。エンゲルスが指摘している点を紹介しましょう。

1つは、資本主義のもとでの「生産の無政府状態」を克服して、経済活動全体を「社会全体ならびに各個人の欲望に応じた」ものに社会的・計画的に規制していくことが可能になるという点です。

資本主義では、私たちが消費するものは、ほとんどすべて商品として生産されています。これを商品生産とか市場経済といいます。市場経済の特徴は、企業にしても個人にしても、生産が、自分の消費のためではなく、他人が消費する品物を、市場に売りに出して、他人に買ってもらうことを目的におこなわれるところにあります。

しかし市場経済のもとでは、その商品にどれぐらい需要があるのか、同じ商品をつくる生産者がほかにどれぐらいいて、市場にはどれぐらい売りに出されるのか――そうしたことは、事前に決まっているわけではなく、市場での売り買いによってはじめて明らかになります。ですから、ある生産者のつくった商品が売れるかどうかは、実際に市場に出してみるまで分かりません。せっかく生産した品物がまったく売れなかったり、売れ残って値下がりしたりすることもあります。その結果、企業が倒産するということもおこります。そうやって、一方で商品が大量に売れ残りながら、他方では、必要なものが必要なだけ生産されず、手に入らないということも起こります。市場経済は、そうした売れ残りの危険やアンバランスをもっています。これを「生産の無政府状態」とか「生産の無政府性」といいます。

「生産の無政府状態」が生まれるのは、生産手段が個々の資本家の手ににぎられていて、生産が個々の企業の利益を目的としておこなわれているからです。ですから、生産手段を社会の手に移すことによって、それを克服することが可能になります。

「そのこと〔生産手段の社会化――引用者〕によって、今日では生産者自身にたいして反抗し、生産様式と交換様式を周期的に突き破り、ただ盲目的に作用する自然法則として暴力的、破壊的に自己をつらぬいているだけの生産手段と生産物の社会的性格が、試算者によって十分に意識してはたらかされるようになり、撹乱と周期的な崩壊の原因から、生産そのものの強力な槓杆に変わるのである」(84ページ)

「今日の生産力をついに認識されたその本性にしたがって扱うことによって、社会的生産の無政府状態にかわって、社会全体ならびに各個人の欲望に応じた生産の社会的・計画的規制があらわれてくる」(85ページ)

個人の生活手段を保障する

2つめに、生産手段の社会化とともに、取得のあり方が根本的に変化するという点です。

「こうして、生産物がまず生産者を奴隷化し、ついでまた取得者をも奴隷化する資本主義的取得様式は、現代の生産手段そのものの本性に基礎をおく生産物の取得様式によってとってかわられる。一方では、生産の維持と拡大のための手段としての直接に社会的な取得によって、他方では、生活手段と享楽手段としての直接に個人的な取得によってとってかわられるのである」(86ページ)。

つまり、経済活動の維持・拡大のために社会として必要な部分――生産手段――は、社会が取得し、社会的に保障する。それにたいして、個人の生活のために必要なものは、「直接に個人的な取得によって」保障されるというのです。さらに、ここには書かれていませんが、労働能力をもたない子どもやお年寄り、障害者や病気の人たちのために必要な部分――これは社会的に取得され、社会的に保障されます。

よく「共産主義は個人の財産をとりあげる」という反共攻撃があります。これは、マルクスの時代からあった攻撃ですが、マルクスたちは、それにたいして、「共産主義になってこそ、個人の財産は実現される」と反論してきました。『空想から科学へ』のこの指摘も、そうした攻撃への反論の1つといえます。

そして、個人に保障される生活手段の内容そのものも、資本主義のもとではさけられないさまざまな浪費をとりのぞいて、飛躍的に豊かに、肉体的精神的に全面的で自由な発展を可能にするものになります。

「社会による生産手段の取得は、現存する生産の人為的な障害を取り除くだけでなくて、現在では生産のさけられない付随物であり、恐慌のときに頂点に達する、生産力と生産物の積極的な浪費と大量破壊をもとり除く。さらにそれは、今日の支配階級とその政治的代表者たちのおろかな奢侈的浪費をとり除くことによって、大量の生産手段と生産物を社会全体のために解放する。ただ物質的に十分にみち足りており、日に日にますます豊かになっていくだけでなく、肉体的、精神的素質の完全で自由な育成と活動を保障するような生活を、社会的生産によってすべての社会の成員にたいして確保する(ことが可能になる)」(90〜91ページ)

「自由の王国」への飛躍

3つめに、そのことは、たんに個々人の全面的で自由な発展を保障するというだけでなく、はじめて人間が人間社会の主人公となる「自由の王国」への飛躍を実現するものであるという、人類史的な視点からの歴史的な意義づけがあたえられています。

「社会による生産手段の掌握とともに、商品生産が廃止され、したがってまた生産者にたいする生産物の支配が廃止される。社会的生産の内部の無政府状態にかわって、計画的、意識的な組織があらわれる。個体生存競争はおこなわれなくなる。それによってはじめて、人間はある意味で、最終的に動物界から離脱し、動物的生存条件から出て真に人間的な生存条件にはいる」(91〜92ページ)

「そのときからはじめて、人間は自分自身の歴史を十分に意識して自分でつくるし、そのときからはじめて、人間によって作用させられてきた社会的諸原因は、ますます大きな度合いで人間の欲したとおりの結果をもたらす。それは、必然の国から自由の国への人間の飛躍である」(92ページ)

社会主義・共産主義への前進とともに、社会全体にほんとうの意味で人間らしい生存と生活の諸条件が保障され、そこから人類の新しい発展がはじまります。資本主義をのりこえて社会主義・共産主義の未来社会へ前進することが、人類社会の歴史において、どのような意味をもつか、壮大なスケールでの解明といえるでしょう。

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不破議長の問題提起をうけて

「根本矛盾」論のとらえ方

以上、『空想から科学へ』第3章のポイントをみてきました。最後に、エンゲルスの「根本矛盾」論にかかわって、不破議長によって投げかけられている新しい問題提起を紹介しておきたいと思います。

1つは、エンゲルスが「社会的生産と資本主義的取得の矛盾が、プロレタリアートとブルジョアジーの対立として、あかるみに出てきた」(70ページ)と書いている問題です。

つまりエンゲルスは、労働者と資本家との階級対立を、「根本矛盾」の現われ(現象形態)の1つと位置づけているわけです。しかし、労働者と資本家との階級対立、階級闘争は社会発展の原動力そのものだといわなくてはなりません。不破議長は、「この階級的な矛盾は、資本主義の成り立ちの根本であって、なにか経済体制の矛盾の一現象形態などではないはずです」(不破哲三『科学的社会主義を学ぶ』新日本出版社、173ページ)と指摘しています。こういう点から、労働者と資本家との階級対立を「根本矛盾」の現象形態とみる見方は、再検討してみる必要があるということです。

2つめは、「根本矛盾」のとらえ方が“枠組み”論になっていて、現実の資本主義のさまざまな弊害や混乱、対立を生み出している原因、原動力を十分とらえきっていないのではないかという提起です。

不破議長は、この間、資本主義経済の推進力は「できる限り大きな量の剰余価値を吸収しようとする本能」(新日本新書版『資本論』(2)395ページ)、つまり分かりやすくいえば「利潤第一主義」であるとくり返し強調してきました(『科学的社会主義を学ぶ』107ページほか)。そういう視角から、資本主義の動きをダイナミックにつかもうというのです。

さらに不破議長は、一連の『資本論』研究のなかから、マルクスが、資本主義の体制的な矛盾をつぎのような点にこそみていたことを明らかにしました。すなわち、「利潤第一主義」を推進動機とする資本主義は、一方では、資本主義社会で人口の最大多数をしめる労働者階級は貧困な状態におき、消費の狭い限界をつくりだしておきながら、他方では、生産の無制限的な拡大への衝動・傾向をもち、消費の狭い限界を無視して「生産のための生産」に走る――この2つの側面の矛盾と衝突こそが、資本主義の体制的矛盾だというのです(注)

(注)詳しくは、不破哲三『科学的社会主義を学ぶ』106〜120ページ、同『マルクスと「資本論」』(1)125〜132ページ、(3)27〜35ページなどを参照してください。

現実の資本主義を突き動かしている推進動機、原動力を出発点にして、資本主義の生きた矛盾を「運動論的に」つかむ。そういう角度から、あらためてエンゲルスの「根本矛盾」論をふり返ってみると、たしかに不破議長が指摘するように、資本主義の矛盾のとらえ方が構造的で静態的な印象をあたえることはまぬかれません。

もちろん、エンゲルスの「根本矛盾」論が間違っているとか、あるいはマルクスとはまったく異なった見地だということではありません。しかし、両者の違いをそれをそのままにしておかないで、もう一度、マルクスと『資本論』そのものに即して掘りさげてみたらどうなるか。私自身には、不破議長の問題提起は、そういう現代的な問題意識にたった、大変知的刺激にみちたものだと思えます。古典の学習というのは、けっして昔の文献をただ読むということではないのだということも、あらためて強く感じました。

商品生産と「生産の無政府状態」について

2つめに、商品生産と「生産の無政府状態」の問題についてもふれておきたいと思います。

「生産の無政府状態」について、エンゲルスは、つぎのように述べて、これも、労働者と資本家の階級対立とならぶ「根本矛盾」のあらわれ(現象形態)の1つと位置づけました。

「社会的生産と資本主義的取得との矛盾は、いまや個々の工場における生産の組織化と社会全体における生産の無政府状態との対立としてあらわれる」(74ページ)

資本主義とともに商品生産が社会全体をおおうようになり、「生産の無政府状態」は、資本主義のもとで、社会全体に大きな影響をおよぼすようになります。その最大のものが、資本主義を周期的におそう恐慌だといえます。

しかし、厳密にいえば、商品生産による「生産の無政府状態」は、恐慌が起こりうるということのもっとも抽象的な可能性、条件です。「個々の工場における生産の組織化と社会全体における生産の無政府状態」との矛盾から、直接的に恐慌を導き出すのは、恐慌がなぜ起こるのかという説明として不十分なものです。「生産の無政府状態」がそのまま恐慌の原因となるのであれば、商品生産を基礎としている資本主義は、いつも恐慌におそわれるということなってしまうはずです(注)

(注) この点は、「市場経済を通じて社会主義へ」という道を考える場合にも重要な点です。市場経済=生産の無政府性=恐慌ということであれば、生産の無政府性や恐慌を克服しようと思ったら、市場経済を廃止するしかなくなります。市場経済と社会主義的な計画性との結合を考えるうえでも、市場経済=生産の無政府性=恐慌という図式は、さらに掘り下げた検討が求められるものです。

 不破議長は、『マルクスと「資本論」―〈再生産論と恐慌〉』全3巻のなかで、「生産の無政府状態」という恐慌の「可能性」のうえに、市場経済のたえざる変動と均衡への動きという範囲をこえて、不均衡を拡大・累積させて恐慌へといたる「根拠」「原動力」はどこにあるかを追求しています。この問題は、今日の日本のデフレ不況の問題をどうとらえるかということにも結びつく問題ですが、この方向でとらえていってこそ、資本主義のダイナミックな動きをとらえることができると思います(『科学的社会主義を学ぶ』173ページ参照)。

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さいごに

以上、『空想から科学へ』の読みどころを私なりに紹介してきました。『資本論』第1部の成果を生かしたエンゲルスの独自の解明、エンゲルスとマルクスの結論との一致、あるいは、『資本論』全体を見通したときに明らかになる資本主義の体制的な矛盾のとらえ方のちがいなどもとりあげました。そうした問題も視野に入れてこそ、“古典を歴史のなかで読む”ことができるのではないでしょうか。

科学的社会主義の理論は、けっして一度でき上がってしまえばそれで終わりというようなものではありません。古典も、けっして出来合いの教科書のようにきれいに整理されているわけではありません。『空想から科学へ』の学習とともに、そうした古典にくり返し立ち返りながら、新鮮な問題意識で学ぶことの大切さと楽しさを感じていただければと思います。

(おわり)

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